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精神分析

桜紅葉、「ジョン・バティステ アメリカンシンフォニー」

スーパーに寄って散歩道に入った。ベンチには誰もにいなかった気がする。通り過ぎてから気づくくらいの存在感で人がいる場合もあるので見逃したのかもしれない。春は桜のスポットになる小さな広場。これまで何度となく写真を撮ってきた桜が紅葉していた。花が咲き、地面も花びらでいっぱいにし、葉桜を過ぎてしまうとそれが桜であることを忘れてしまうくらい普通の緑になる桜。このあたりは老木も多いのだろうが気づくと切り株になっていたりするとびっくりする。紅葉すると再び存在感が増して私は不思議に思う。これがあの桜なんだなあ、と毎年思う。先日、きれいに染まったかたそうな葉っぱを拾い上げてみた。柔かかった。小さな手に握られた銀杏の柔らかい花束と同じくらい。昨晩、もうだいぶ散った桜を見上げた。細くて小さな電灯がメインの桜を照らしている。そこだけ夕焼けみたいだった。こんなにきれいな色になるんだったか。なるんよね。パランパランって落ちるんよね。そういえば「桜紅葉」という季語がある。秋の季語だ。帰宅してしばらくすると強い風の音が聞こえた。気温がぐんぐん上がっているようだったが部屋は肌寒かったので暖房をつけた。なんか怖いね、と話した。コンビニのワインとスーパーのパンが美味しかった。生ハムを乗せるだけでサラダも豪華になる。桜が満開になると決まって雨が降る。そんな印象も変わっていくのだろうか。桜紅葉、あと数日したら何事もなかったかのように片付けられるのだろうか。二日前、風を受けて道路を埋め尽くしながら散るイチョウを掃く人たちにこれは大変な作業だなと思った。昨日その道はすっかりきれいになっていた。花壇の土はまだイチョウに敷き詰められていた。驚いた。一体どうやって。昨晩の強風で落ち葉たちはどこかへ移動しただろうか。またそれを黙々と掃き集める人たちとすれ違うだろうか。ありがとうございます。毎日遅い時間に道を歩いているとその時間から仕事を始める人たちにも出会う。この時間にはもうお仕事を終えられただろうか。お疲れ様です。そういえばこの前、早朝に作業を終えた割と大勢の人たちとどこかの店で一緒になったのだけどどこだったか。赤ちゃん観察のトレーニングで平和島に通っていた頃は朝から呑んでいる人と昼に一緒になって店は15時とかに閉まっていた。平和島もだいぶ変わった。

Netflixでなんとなくみていた『ジョン・バティステ アメリカン・シンフォニー』の続きをまたなんとなくみた。字幕もつけずにみていたのでよくわからないところもたくさんあったが表情や間合いや音楽で伝わってくるものが多く何度も涙ぐんだ。ジョンの独特の声、、彼のルーツを感じさせる楽団のメンバーの写し方がよかった。作家である妻スレイカ・ジャワドのインスタでの二人の交流もいい。ワンコもとってもかわいい。

今日も色々。夜遅くからのミーティングを忘れないこと!ほんとこれは絶対。頼むぜ、自分(友だちがリマインドしてくれることになってるけど。感謝です)。