なんか色々思い悩んでいたら、というわけではないけど遅くなってしまった。今朝も秩父庵玉木屋のお菓子。今日のお菓子は「ちちぶぽてと」。鮮やかな黄色の紙に包まれたシンプルなお菓子。タグには「田舎発ちちぶぽてと行」。映像は浮かびにくいけどなんてかわいらしい。ちちぶ、も、ぽてと、もひらがなで書くとかわいい。これもほろほろっとしてる。さつまいもの優しいお味。よいですねえ、お菓ティタイム。
少し前にフランスの精神分析家のアンドレ・グリーンの本を読んでいると書いたと思う。この人もウィニコットと同じく読みにくいと言われているけれど読みにくいというより患者が見えにくい、と私は思う。別に思弁ばかりというわけではなくて相当ラディカルなことをしようとしていてそっちでこっちが勝手に患者を想像する余裕をなくしているというのはある。グリーンは私が読んだ限りだと(相当心許ない)ウィニコットが認めなかったフロイトの概念「死の欲動」=「ネガティブナルシシズム」、というか死の欲動にdisobjetalizing functionという機能を見出して、ネガティブナルシシズムはこの機能を使って対象のlinkを破壊する活動と捉えてるみたい。ここはビオンのattacks on linkingを参照している。ラカンだとforecosure。どう訳されていたか。「予めの排除」とかだっけ。フロイトの原抑圧の発想と同じ?まあラカンはともかく、というかグリーンはラカンを通過したあと袂をわかち私たちはラカン派ではないフランス精神分析の勉強としてグリーンを読んでいるからとりあえず確認はあと。グリーンはこれを第二局所論の読替えと並行して行うからややこしいのか。フランスでは自我を自己le soiと区別するしそれは主体le subuetでもない。グリーンはsubject lineを想定して拡張の基盤を作る。でもそもそもグリーンが拡張したいのは対象のほうだろう。ここで大切なのは対象関係のobject(英)、objet(仏)は異なるということ。フランス語で対象関係は「対象との関係」という意味と「対象へ向かうobjectale関係」と区別できてしまうからややこしい、私にとっては。ウィニコットとの関連でいえばウィニコットが主観的対象のことを考えるときの思考回路と似ていると思うのだけどウィニコットが母子関係のメタファーで読者を納得させてしまったという失敗(だと私は思うしウィニコットらしく失敗という言葉を使いたいだけというのもある)を超えて欲動概念を形態と輪郭を作り出すものとして拡張することで対象に自律性を持たせると同時に、欲動をマトリックスとしたsubject line上に欲動的主体(身体に根ざしているという意味でとりあえずこうよんでおく)も見出されるとかまあそんな感じからそれぞれの病理とサブジェクトの分析可能性を考えることが臨床的観点か?もう独り言でしかないが。
少し時間があったから頭がお勉強モードになった。平日はほぼそういう余裕ないからよかったわん。ゴミ捨てに行ったらあまり寒くなかった気がするのだけど気のせいかしら。なんにしても風邪ひかないように過ごしましょうね。