明るくなってきた。
昨日の夜、『義母と娘のブルース』FINAL 2024年 謹賀新年スペシャルを見た。今回もたくさん笑ってたくさん泣いた。元日には羽田空港にいた。飛行機を降りて建物に入るとすれ違う人たちが地震の話をしており空港内のテレビに釘付けになっている人もいた。翌日は羽田空港自体が大変なことになった。前日にたまたま何事もなく帰宅できたがなんともいえない気持ちでニュースを眺めた。周りの安否を気にしつつも平穏に過ごした。こんな平穏も本当にたまたまなんだという気持ちを強くした。よく行く店の人が能登出身で帰省していたそうだ。4日から営業予定だったが帰れる目処が立たないという。ちょうど「4日からだな」と確認して帰宅したばかりだった。身内に夫を突然亡くした人がいるが高齢の彼女は大晦日の夜、具合が悪かったという。心配しながら聞いていると翌日自分の調子を慎重に見極め少し歩かないとと思い明治神宮まで出かけたというので驚いた。破魔矢を納めに行ったがお財布を忘れて今年のを買えなかったと笑った。何度も何度も「お父さん」という言葉が出てきた。旅先でナビに従っていると少し尻込みするような道に出た。道自体は悪くないが道幅が狭く、両側からススキやら何やらが道路側へ伸びている。とりあえず進んだ。対向車が来たら来たときに考えるしかないと進んだ。ナビが「まもなく目的地です」と言ってまもなく車は少しだけ開けた場所にでて対向車がきた。あちらもびっくりしたようだった。ナビは目的地といったが私たちが目指したのはそこではなかった。狭いスペースで慎重にUターンをして今きた道を戻った。行きと同じように枝葉がパシンパシン車にあたる音がした。目的地は行きに通り過ぎるときに一瞬ここかなとなった場所できれいに整備されていた。さっきの車の人がいた。心配して待っていてくれたらしい。ニコニコしているので車を降りて「ナビの通りに行ったつもりだったのだけど」と言ったらニコニコとあそこをあのまま行くと3キロほどで別の集落だと教えてくれた。直接的な心配や社交辞令的な言葉はなく小さな顔いっぱいの笑顔で何度か同じことを言いつつ色々教えてくれた。言葉があまり聞き取れないところもあったがしばらく話してお礼を言うと彼はトイレに向かった。地元の人ならではの慣れた感じだった。美しい海をみながら再び走り旧陸軍が作った弾薬庫へ向かった。男性がひとり案内板を見ていたが中へ入った様子はなかった。四角くくり抜かれた空間はひんやりしていてすぐに行き止まりになったようだった。暗くて先があるのかないのかもわからずただなんとなく怖かった。携帯の懐中電灯で照らすとそこは行き止まりの壁に見えた。明るい光がさす入り口に戻ると壁面に小さなスイッチがあった。押してみた。電気がついた。さっき行き止まりの壁だと思ったところにはもっと奥があった。右への通路も伸びていた。ここに弾薬庫があることは地元の人も知らなかったという。すでに何もないただの空間になっているのに壁も天井も通路もあまりに冷たく感じてざわざわした。優れた技術が用いられた弾薬庫だったそうだ。何に優れていたのだろう。優れているってなんだろう、と思った。車に乗り元来た道を戻ると細い道の正面に車が止まり何かを運び出していた。急いでくれているようだった。お正月の準備かな、と眺めていると車はバックして曲がり道をあけてくれた。通り過ぎるときにそっちを見るとさっきの人だ!あちらも驚いた顔をしてすぐにあの笑顔になった。お互いニコニコしながら会釈をして通り過ぎた。何かを届ける仕事の途中だったんだ。もう会うことはないのだろうけど私たちは彼のことをまた話題にするだろう。
今日は1月3日。寒い地方の被災地に少しでも早く多くの支援が届きますように。