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精神分析

12月31日(日)朝

攻撃性をうまくこなした文章を書く人がいてファンや同業者はそういう文章が好きらしい。見下されたと感じたのでスキルを用いて見下し返してやった、という文章にしか私にはみえないけど。私に読解力がないだけかもしれない(こういう反転をさしはさむやり方)。きっとそうなのだろう。その人に実際にバカにした感じでため息をつかれたし嘘をつかれ傷つけられてもうまく反応できなかった。搾取をなかったことにできる人はそうとはわからないように人を見下し自分の正しさを主張するのが上手らしい。学問にも誠実なようで論争の場には入らず素人としておいしいとこどりしてイケてる文章を書くのも上手。自分の苦労話で共感を得るのも上手。個人的にひどいことされていな人にとってはとっても素敵な人なのかもしれない。そういう関わりがないっていいことなんだろうね。

旅先から学術大会の演題に応募した。遊びながら作業するのは大変だったけど仕事の隙間時間にやるよりははるかに楽だった。切り替えがいらない。今日までの応募だったからなんとかやってみた。仕事の一環でもあるけど目の前の人との密な関係から得た学びをみんなに通じるように書くのは難しい。自分の文章を英訳して日本語を見直す方法は役に立ったけど全然ダメだなと思った。続けていくのみだけど。

今日はどんな感じになるかな。思いがけないことがたくさん起きるから休日は面白い。みんなにいいことありますように。

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趣味

12月30日(土)朝

暗い。気持ちも暗いというかひどい人が平然とフェミニストに味方、というかなんていうのそういうの、偉そうに評価、というの?あなたはそこから何も学べていないけど読み物としては知的に興奮したわけですね、ヴァージニア・ウルフも媚びるためのグッズではなくて人なんですよ、あなたみたいな心性に傷つけられた一人の、と思う。与えることと搾取することを同時にやっている人は与えることが免罪符になりがち。あなたをいつも支持してくれるそのフェミストが書いているのはあなたみたいな人の振る舞いですけどね、と変化しない背景にある構造にうんざりする。こんなでは告発以外に道がなくなるのも当たり前。結局エネルギーを使うのはやられた側。おかしいだろう。とムカついたりしていて何も進められなかった。

昨晩、外で人が騒ぐのが聞こえた。怒鳴り声ではなく楽しそうだったからいいけど。今もまた。まさか昨晩と同じ人たちではないと思うけど酔っ払いだな、このテンションは。忘年会だったのかな。

気になったお店に入ったらカレー屋さんだった。女性ひとりでやっている店だった。私はそういう店にひきつけられるらしい。もう11年だという。もともとこの土地の人ではないが子育てをしながら定住したらしい。小さな小さな店なのに話から推察するにかなりのやり手だ。近所の人にも親しまれているらしく適度な繋がりも感じさせられた。若い人が友達の結婚に関してあれこれ話す仕方もビッグママへの報告という感じだった。なんとなく一緒に笑い合ったりして昔からの知り合い気分になった。カレーもメニューにある写真通りに美しくおいしかった。

今日は移動が多い。みんないい一日になりますように。

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12月29日(金)朝

まだ夜みたいに月がきれい。もうだいぶ西の空にいるけど。

また私変なこと書いちゃったんじゃないの、と振り返ろうとするがすでに何を書いたかわからなくなっている。そのときは散々こんがらがった頭が「ああこういうこと」ってなってさらさらって書けて「書けたー」となるんだけどこんがらがりをどうやって解いたのかを意識化できてないからすぐにまた元に戻る。締切にまだ間に合うからがんばってみたけどと先生に見せたら英訳してみればと教ええてもらった。最近、その効果を実感していたのに忘れていた。1、2日前のことなのに。「そもそものところがダメだから」と言わずに「こんなでもやれるとこまでやる」を繰り返す。やれるとこまでしかやれないのは当たり前だけど「まあいっか」よりはいける気がする。自己暗示。

「はあ、ひろこん」と思い浮かべてすぐ「疲労困憊のことだよ」と頭ん中で言い直す。誰も聞いてないが私が聞いている。「テキトーなこと言ってると外でも出るからやめなさい」と言われたことがあるようなないような。たしかにいつもふざけているとついきちんとした場でも、というのは起こりうる。大人になってもだいぶ黙ってられるようになったけどつい、というのが多いから気をつけよう。

11月12月ととても大変だった気がするけどこのくらいはやらなくてはいけないのかもしれない。辛い。が、やらなければいけない、というか、まずい。ああ。大丈夫じゃない。今年はスケジュールのミスが本当に多くてたくさんの方にご迷惑をおかけした。本当に申し訳なかった。月一回の勉強会を「ごめんなさい、今、甲府」・・・・とか。日曜日が全部休みの日なんてないことを忘れて勝手に休みにしてしまっていた・・・本当にごめんなさい。

気をつけなくてはいけないことが増えた一年でしたの。でも無事に過ぎそうでよかった。みんなのおかげ。いつもありがとうございます。今日も良い一日をお過ごしください。

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お菓子

パックマンとか。

寒いから起きてすぐに準備をした。暖房の種類も色々で我が家も広い場所はエアコン、洗面所はカーボンヒーターなど使い分けている。田舎の一軒家(実家)に住んでいた頃は家が広い分、いろんなところが寒すぎた。でも多分子どもだったから寒い寒いって騒ぐのもワンセットでこんなに動きたくないとはならなかったのかも。朝ごはんのときとかは母が前もって暖めておいてくれたし。

毎冬、春と長期休みは朝日新聞社主催のスキー教室にいっていた。小学生低学年から参加していて1班で大会に出るようなお姉さんたちが眩しかった。万座温泉スキー場。大好きなスキー場になった。私もすごい怖いコースにでる3班くらいになるまでは行っていたと思う。ほかの学校のいろんな年齢の人たちと仲良くなったというかバカなことをたくさんした。お互いの部屋から聞こえてくる声からふざけあいが始まっていつのまにか蹴り合いになって壁に穴が空いたときはビビった。大きくなって「こんな薄い壁じゃ穴もあくわな」と思ったがその前に蹴るなよという話である。若かったというか幼かった。夜のビンゴ大会だったか、クイズ大会だったかで上位に入り原辰徳のサインボールをもらった。当時ファンだったので嬉しかった。小さな売店の横にあったパックマンにも相当お金を使った。初期のパックマン。はまったなあ。相当お金を使ったが今の子供たちの話を聞いているとまあかわいいもんだった、と思いたい。実際どうだったんだろう。もともとそんなにお小遣いもたされていないだろうからやりくりしたのだろうと思いたい。子供の頃の自分も信用ならない。今もそこそこ心配だが当時よりはだいぶまし、だと思いたい。

今朝は朝からクレープ。毎日おなか痛くなりませんようにと願うなら食べなければいいのだがそうもいかないのが私たち、と思いたい。パックパックパックマン。

主に欲望のお話でした。今日もがんばりましょう。

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精神分析

12月27日(水)朝

ユースキンをポンプで使っている。またすぐカサカサになってしまうけどこれが一番きくかなぁ。今年は頑張ってリップもできるだけ塗るようにしている。冬の小さな切り傷は本当に痛いから。

空がとてもきれい。日の出の赤に近いねえ。当たり前だねえ。あ、初日の出の色ね。同じようにきれいでも数日後の空にはみんな特別感感じちゃうでしょう。そういうものよね。実際特別なんだと思う。だってこの前冬至を過ぎて数日後の夕方「なんか今日明るくない?」って言ったら「冬至も過ぎたしね」と言われてそんなすぐに変わらないでしょー、と思ったけどいやいや変わるのかもな、と思った。だって秋だなあ、と感じたら立秋だったもの、今年も。冬の始まりはよくわからなかったね。気候変動は怖いけど季節を愛でるだけでも役に立ってるかもしれないいねえ。季節はいつのまにか巡るものでもこうしてずれに気づかせてくれるからいつのまにか世界が変わってしまうことにも気づけるかもしれない。結果に対して何ができなくてもずれを感じながら、何かを思いながら自然や食べものや人に触れてくって何か起きたらみんな同じでしょ、どうせみんな死ぬんだから、というそりゃそうだ的大雑把さで世界を見るより、いずれ死ぬとしても今日も生きてるからなぁ、とそこに楽しさや面白さを感じていく感じがしていいよね。空がきれい、なんてこれまでなん万回も言ってると思わない?月がきれい、とかも含めれば。同じものに同じように反応できる世界があるって豊かなことだと思う。大体のことは繰り返しに気づくことから始まるんだし。精神分析もね。反復大事。

ああ、今日はとても涙が出るなあ。目が乾燥していて空気が普通に刺激になってるのかも。目薬もらったけどどこへやったっけ。なんかやたら小さな目薬。「岡本さん、いい目してるんですよ」と毎回でっかい声でいう眼科の先生がくれた。「僕と同じ。こういう目は疲れやすいんですよー」って目薬くれた。愛想笑いもせずフフと思ってるんだけどこれまでたくさん安心させてもらってきたから信頼もしてる。なんか同年代らしい。地元の人たちってお医者さんもお店の人たちも面白い人が多い、というか生活に馴染んでいるものほど面白味があるよね。意外性が生じることが多いから。意外と感じる基盤は日常だものね。

なんかすごくどうでもいい独り言をダラダラ書いてしまった。年末だから?いつもだろう。空見にいこう。単に仕事に行くだけだけど言い方変えれば少しいい感じする。もう赤い部分は消えちゃったかもだけどね。今日もがんばろーね(やや疲労)。

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精神分析

12月26日(火)朝

首に色々巻きすぎて暑い。もっと早朝に玄関前の落ち葉を掃除する予定だったけどしたくない。ゴミ捨てにいくときにしよう。山椒の木の小さい葉っぱがすっかり落ちた。アゲハの幼虫に食われては枯れてた頃が懐かしいなあ。今は葉っぱが落ちるだけで幹はしっかり。伸びすぎた枝を切らなくてはいけないくらい立派になった。

昨晩は変なところで寝てしまい途中お布団へいかなくちゃ、とベッドに横になったら快適。やっぱりここよね、と思いながら目を閉じた。ふと気づいた。寝ていない。これ眠れないってやつか。でも目を開ける気配もない。夢との中間か。結構長い時間その状態にいたと思う。目を開けた。おお目が開いた、と思った。いつのまにかまた目を閉じていた。頭に浮かんでいたのは大体昨日起きたこと。これまでのひどいことや理不尽についても考えた。女にひどいことしても大手出版社の雑誌とかに偉そうに文章を書いて人気を集めている人のことを出版社に言った場合のやり取りとかシミュレーションした。ほぼ警察のひどいバージョンと同じになった。聞くだけ聞いておいて「確たる証拠がない」とかいうやつ。あなたの興味を満たすために時間や心的労力を使ったわけじゃないというやつ。最近、身近でもそういうことがあってそれに対する抗議も起きたけど自分も加害者になる視点が欠けてるから結局被害者と加害者の特定とその内容にばかり興味が向きがちだなと思った。どの業界も個人間で起きていることなどどうでもいいんだよね、大きな部分で損害を被らない限りは。幸せなこともその合間合間で考えてにっこりした気持ちになった。これいつ眠れるんだろう、と思いながら変な姿勢にならないようにだけ気をつけてじっとしていたらいつのまにか眠っていた。

最近まで英語から日本語の翻訳に苦しんでいたが今は日本語から英語の翻訳に困難を感じている。自分で書いた文章なのに英語にすると全く別の脳が必要になる。どうして私はこの題名にしてしまったのだろう、と日本語でしかものを考えていなかったことを後悔したりした。

今日のお菓子は「寿太郎みかんマドレーヌ」。あとしょうが紅茶。これで沼津のお土産はおしまい。美味しかったな、雅心苑のお菓子たち。よし。ゴミ捨て行こう。ささっと落ち葉を捨てましょう。今日は火曜日。昨日予定を間違えたから気をつけないと。みんなも元気で。

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12月25日(月)朝

布団に潜り込んだのが遅かったので起きたのも遅かった。柳樂光隆さんの記事更新のメールが来ていたのですぐに読んだ。なぜなら私が今年はまったエメット・コーエンに関する記事だったから。エメット・コーエンは本当にいいよなぁ、と私もnoteにメモ的なことを書いておいた。ジャズはクラシックとはまったく異なる音楽なんだな、とこの前オフィスからすぐに行けるオペラシティの2階ホールでやっていた無料コンサートをみながら思った。もちろん取り入れたり融合したりはあるわけだけだけど私が本当に小さな頃から親しんでいたクラシックの方が具象的というか、今全く比較するための基準を思いつかないけどとにかく違いを感じた。これまで何も考えないで聴いていたからな。

今年は柳樂光隆さん高橋ユキさんの記事に課金した。ゲームもしないし推しもいないし普段普通にお金をかけることも課金というのかもしれないがよく聞く感じでの課金という言葉に馴染みがなかった。でもこの二人の記事は広く読まれてほしいし無料記事も充実しているとはいえ続けてもらうためには消費者側も協力せねば、ということでドキドキしながら課金した。アマゾンプライムに勝手に登録されたまま(私がわかりにくい誘導にのってどこかを押してしまったのだろうけど)気づかずにいたこともあって自動的にお金が引き落とされたりするのとか怖いのだけどこの二人にはしてよかった。

高橋ユキさんの記事について昨日も話していたのだが、私は高橋さんのおかげで裁判や法律についての知識も増した。知識だけでなく判例から学べることは多いし、高橋ユキさんの書き方もいい。心理職は法律や犯罪のことも勉強しなくてはいけないわけだけどこういう現場の人の声を聞いていると自然に入ってくるからチェックしてみるといいかもしれない。私は例外がいつも興味深くて深追いしてしまう。なぜ例外?と思うから。

月曜朝なのにのんびりしてしまった。子供たちは今日まで?お疲れ様。冬休みは短いけど楽しんでね。みんながんばろー。

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精神分析

12月24日(日)朝

鼻づまり。風邪?と思って慌ててみかんを食べる、というのは小さい頃からみかん=ビタミン=風邪に効く、とイメージを刷り込まれているからかも。こういう大雑把な感じで伝えられていく知恵って大事よね。あっという間に治ったのはビタミンのおかげというより起きて動いて血が巡ったからなような気がするけど。

早朝から探し物でバタバタ。まいにちまいにちぼくらはせまいへやひっくりかえしていやになっちゃうよ♪と歌いながら。無事に見つけた。今度こそすぐに見つかる場所に置くようにせねば。それにしても「およげたいやきくん」は悲しい歌だけどエバーグリーン。エバーグリーンという単語は似合わないけどすごいことだ。

探し物が片付いたら英語でメール。本当に簡単なやりとりなのだけどこのあとに控える諸々を考えると辛い。楽しみだけど辛い。さっき返したメールにもう返信が来ている。先生方、本当にみなさん仕事が早い。プレッシャー。そんなときにみんなの中に流れてくる曲はありますか。私はBilly JoelのPressure。流れてはくるけどこの曲の方にきちんと注意を向けてみると「こんなちっちゃなことでこの曲が流れてきてしまう私って・・・」とやや落ちこむ。ああ。

昨晩のReading Freudはいつも通りフロイトの技法論集を読んだ。藤山直樹先生監訳の岩崎学術出版社版で。精神分析臨床を実際に営んでいる先生の監訳であることが非常に大切。臨床なくして技法はないですものね。

フロイトが死ぬ少し前に書いた「終わりのある分析と終わりのない分析」。最後まで読みきれていないけどこれは本当に何度読んでも深ーく思うところがありますね。読めば読むほどか。いや、何度も読む中でこっちも臨床のみならず精神分析の組織の中でいろんな経験積んできてるからなおさらなんだろうね。私は精神分析理論を欲動論として読み込みながら考えていくことが必須だと思っているし自分の臨床に一番しっくりくるからこの論文は重要。教える立場なのに没頭しすぎて時間配分に失敗してしまった。何度も読んでるのにね、不思議。しかし失敗失敗。しっかりしましょう。今日も教える立場だぞ。しっかりね。はい。

今朝のお菓子の名前はなんだったか。沼津の雅心苑さんのいろんなお菓子をもらったのでそこから。かわいくて美味しそうで昨晩もおなかいっぱいなのに小さいのを食べちゃた。「駿河ほろりん」というさっくさくの丸い和風のクッキー。とっても美味しかた。今日は「雪の」なんとかって書いてあった気がする。萩の月っぽいふんわりお菓子。これも美味しかった!今日も美味しいものたくさん食べて頑張ろう。クリスマスはかわいいお菓子もいっぱい出てるから。それでは良い日曜日をお過ごしください。

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12月23日(土)朝

あれだけあったお菓子の最後の一個を食べた。でも大丈夫。今日からまたお菓子天国の予定。年末年始も美味しく過ごそう。でもおなか大切にしないと出かけられない。

来年6月の来日が発表されたFairground Attractionを聴いている。心地いい。これまでの歴史をよく知らないけど解散したあともちょこちょこ再結成していたということかしら。とにもかくにも朗報ですね。

また資料がなにがなにやらになっていて本来やるべきことを見失いそう。本来やるべきことってなんだ?どれのことを言っているのだ?すでにわからなくなっている。

この前、バスに乗ろうとして地下鉄の階段を上がったらバス停からバスが出るのが見えた。あー。寒かったからとりあえず次の停車場まで歩くことにした。じっと待つなんて辛すぎる。あれ?バス停って反対車線と似たようなところに大体向かい合ったところにあるよね。向こう車線の向こうにバス停が見えたのにこっちのが見えない。少し急ぐ。あれれ?子供のキックボードが突っ込むように向かってくる。リュックを掠めて他の子供に何か叫びながらその子は通り過ぎた。ああ、バスが!さっき少し走っておけば到着したであろうバス停に誰もいないのを確認してドアも開けずに通り過ぎていった。最初に見かけたバスが遅れていたのだろう。こんな短い間隔ではこない。はあ。結局目的地まで歩いてしまった。大した距離ではなかったが普通はあまり歩かない距離だったのだ。

地面を埋めていた落ち葉も少なくなりつつありいよいよ景色がシンプルになっていく。そして寒い。何度言っても消えることなどないがどうしても呟いてしまう。寒い。もういやね、乾燥もひどいし。でも昨日はゆず湯であったまりました。なんとかがんばりましょ。

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12月22日朝

今朝のお菓ティは秩父の私的には定番土産「ポテくまくんのおやつ」と熱い緑茶。ポテくまくんはかわいいしおいしい。今日は寝不足。寝坊。時間がないな。

年賀状の準備をしている。喪中ハガキも何枚かいただいた。私も年賀状を書くのは数年ぶり。不思議なことに今年亡くなった知人と同じ名前の人がSNSのおすすめに出てくるようになった。全くの別人。私はその人の名前を呟いたことも打ち込んだこともないのに。いつも手書きかおしゃべりでのやりとりだったから。亡くなったとお知らせがきたときはしばらくぼんやりした。同世代のいつも応援してくれる人だった。愛されていた猫は元気だろうか。

家電が次々に故障していく。同じくらいの年月で止まってしまうような何かがあるんだね。電気のこともなにも知らないが。GWに青森で風力発電を見たがあれはインパクトがあった。それを見ながら聞いた原発の話はもっとインパクトがあった。それで今年初めてSDGsを学んだようなものだけどいろんな土地の人の話を聞いたり食べ物などにその影響が出ているのを実際に知ったりするともう何だか本当にやばいやばいこれはやばい!となる。友人が「私今だったら子ども産まないかも」と言っていた。未来の子供を守るってこういうことでもある。

クィア・アイで「過去はヒストリー、未来はミステリー、大切なのは今だ」みたいなセリフがあった。とても大変な生育史を持つ人たちがたくさん登場する番組で言葉の力も強い。

今日も知らない人と他愛もない会話をしたりするのだろうか。この前久しぶりに寄ったスーパーの店員さんがユーモアある過保護ぶりで接してくれて面白かったし楽しかった。人生の先輩方にはかないませんわ。遅い時間までありがとうございます。

朝の光はいいね。寒いけど暖かい飲み物と一緒にがんばりましょ。

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健康

眠い。夢のちょうどいい区切りで目覚めた。昨年だったかエアコンが壊れて新しくしたらリモコンが手かざすと画面が起動してそこからメニューを選ぶやつになったのだけどこれ手順が増えただけで全然便利さを感じない。なんか色々喋るし。昨日の電気代を超えた、とか。大きなお世話じゃ。そういうことするから暖房最小限にとか考えて身体を悪くしてしまう人が出るのでは。圧力よりもお金をくださいな。お金の不安が最も健康に悪いと思うよ。今朝はカルディのチョコとジンジャーブレッドのハーブティ。お菓子は身体に悪いかもしれないけど私の心には悪くないよ。体重とか気にしつつ食べ過ぎてしまうときとかは辛いよね。美味しいものを美味しいと感じることメインで食べられない心になってしまってる自分を責めてしまったりもするし。私みたいに見かけとかは気にしなくてもすぐおなかが痛くなってうーってなりながら時間を無駄にするのも健康とはいえないね。ほどほどって自分的にどうかって話だから難しいよね。

鳥がすぐそばにいる。鳴き声でわかる。でもベランダではない。ベランダで鳴いているときは本当に近い!とわかる。あんな小さいのに力強く鳴くよね。全身運動なんだろうねえ。

もう何年も前のことだけど乳幼児観察というロンドンのタヴィストッククリニックでやっているトレーニングのひとつがそこでトレーニングを受けてきた先生によって日本でも紹介されて私も2年間のプログラムに出た。赤ちゃんの存在感に驚いた。あんな小さいのに寝ていても周りの注意を惹きつけ続けている存在。毎週定期的にご自宅へ伺って1時間ただただ観察して帰ってそのままを記録して毎週グループで順番にその記録を発表して検討するという形式のトレーニング。私はたまたま出会ったこのご家族に本当に幸せな体験をさせてもらった。生まれてまもなくから2歳まで毎週毎週みせていただくのだけど本当にただ見ているだけでこちらから関わることは全くしないのに関係ってできちゃうんだよね。バウンサーで眠っていただけの日も多かったけどそれでも小さなお口をムニュムニュ動かしたり手をにぎにぎしたり時折薄目を開けてお母さんが家事をしている方をぼんやり見遣ってまた眠ったり一体どんな世界を生きているのかしら、と関心を惹き続けてくれた。生き延びるため、と本人が思っているわけではなかろうに。すごい存在。どうか今日も泣いたら誰かが気づいてくれる世界に生きられますように。ガザの赤ちゃんたちの命も奪われませんように。悲しい。もし我が子が、以前にもし自分が、と考えられない人の心は全く健康とはいえない。心が機能していない。お金のせいもあるのだろう。悪循環が止まりますように。願うだけではダメだけれど願わないことにはアイデアも浮かばない。人類の課題は常に山積み。「どうせ」とまとめてしまわないで関心を向け続けよう。今日は木曜日。どうぞお気をつけて。

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自分任せ人任せ

頭痛。薬をとりにいくのもキツくイタイツライの間にウトウト。歯を食いしばってしまうらしく起きるたび歯も痛い。やっと薬を飲んだ。いやはや。寒いねえ。

今日のお菓子はなにかな。秩父のお土産がまだあるからお茶といただきましょうか。頭痛であまり食べる気がしないけど食べたい気持ちはある。どういうことかしら。

昨日『フロイト全集22』に入ってる「精神分析概説」を読んでいた。手術を何回しても戦争の最中でも死ぬ間際まで本当によく書き続けてくれたものだ。精神分析は治療者が長生きすることが最も求められる。そうはいっても認知的、身体的な限界は普通にあるわけで日本の場合、訓練分析家が精神分析家候補生を受け入れるのは75歳まで。相手が候補生でなければその分析家が好きにすればいいのだろう。自分のことは自分にしかわからないというのは全くの嘘だということを精神分析はいっているわけだけどわからなくても自分に委ねるのも精神分析だ。私自分のこと全然わからないけどとりあえずやってますよ。人に揉まれつつ委ねつつそれって結局自分に自分を委ねてるってことでもあるのでしょう、という感じが自我の複数性。Donald Winnicott Todayのアンドレ・グリーンの論文は

・・・this is the final paradox-a colleague is more an-other than he is an a-like, and a patient is more an a-like than he is an-other.Alter ego.

で終わるんだけどカッコつけてると思う。最初かっこいいと思ったけど小説はこういうことをサラッと具体的な登場人物使って書いちゃうわけでやっぱりこの辺は手堅くいこうぜ、と思ったりした。今グリーンに親しみ中だから難癖もつけたくなっちゃう。親しくなるってそういうことだよね。そんなことないかしら。

さて昨晩できなかった資料作りをして大急ぎで仕事行きますよ。部屋はあったまってるけど外に出るのは辛いねえ。えらいよね、私たちみんな。がんばりましょうかね。

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アンドレ・グリーンの概念とか。

なんか色々思い悩んでいたら、というわけではないけど遅くなってしまった。今朝も秩父庵玉木屋のお菓子。今日のお菓子は「ちちぶぽてと」。鮮やかな黄色の紙に包まれたシンプルなお菓子。タグには「田舎発ちちぶぽてと行」。映像は浮かびにくいけどなんてかわいらしい。ちちぶ、も、ぽてと、もひらがなで書くとかわいい。これもほろほろっとしてる。さつまいもの優しいお味。よいですねえ、お菓ティタイム。

少し前にフランスの精神分析家のアンドレ・グリーンの本を読んでいると書いたと思う。この人もウィニコットと同じく読みにくいと言われているけれど読みにくいというより患者が見えにくい、と私は思う。別に思弁ばかりというわけではなくて相当ラディカルなことをしようとしていてそっちでこっちが勝手に患者を想像する余裕をなくしているというのはある。グリーンは私が読んだ限りだと(相当心許ない)ウィニコットが認めなかったフロイトの概念「死の欲動」=「ネガティブナルシシズム」、というか死の欲動にdisobjetalizing functionという機能を見出して、ネガティブナルシシズムはこの機能を使って対象のlinkを破壊する活動と捉えてるみたい。ここはビオンのattacks on linkingを参照している。ラカンだとforecosure。どう訳されていたか。「予めの排除」とかだっけ。フロイトの原抑圧の発想と同じ?まあラカンはともかく、というかグリーンはラカンを通過したあと袂をわかち私たちはラカン派ではないフランス精神分析の勉強としてグリーンを読んでいるからとりあえず確認はあと。グリーンはこれを第二局所論の読替えと並行して行うからややこしいのか。フランスでは自我を自己le soiと区別するしそれは主体le subuetでもない。グリーンはsubject lineを想定して拡張の基盤を作る。でもそもそもグリーンが拡張したいのは対象のほうだろう。ここで大切なのは対象関係のobject(英)、objet(仏)は異なるということ。フランス語で対象関係は「対象との関係」という意味と「対象へ向かうobjectale関係」と区別できてしまうからややこしい、私にとっては。ウィニコットとの関連でいえばウィニコットが主観的対象のことを考えるときの思考回路と似ていると思うのだけどウィニコットが母子関係のメタファーで読者を納得させてしまったという失敗(だと私は思うしウィニコットらしく失敗という言葉を使いたいだけというのもある)を超えて欲動概念を形態と輪郭を作り出すものとして拡張することで対象に自律性を持たせると同時に、欲動をマトリックスとしたsubject line上に欲動的主体(身体に根ざしているという意味でとりあえずこうよんでおく)も見出されるとかまあそんな感じからそれぞれの病理とサブジェクトの分析可能性を考えることが臨床的観点か?もう独り言でしかないが。

少し時間があったから頭がお勉強モードになった。平日はほぼそういう余裕ないからよかったわん。ゴミ捨てに行ったらあまり寒くなかった気がするのだけど気のせいかしら。なんにしても風邪ひかないように過ごしましょうね。

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お菓子

「よかった」

寒くて起きてしまうような場所で寝たり起きたりしてしまった。失敗。じんわりきく暖房を消して急速に温まる暖房をつけた。しかしジンジャーブレッドティーを飲んだらあっという間に暑いくらい。これが一番きくが短時間しか持たない。昨日セミナーが開かれるいつもの6階へエレベーターで上ってドアが開いたらなんとシャッターが。ガーン。なんだこの締め出し感は。行き場がないから下へ戻った。なぜかビルの自動ドアは閉まらない設定になっておりエレベーター前も黄色い落ち葉でいっぱい。先日世田谷ボロ市のときも世田谷通り沿いの店の店内が公園のように黄色い落ち葉がふわふわ積もっておりびっくりした。でもそこはお店の人もいた。わざとってことはないだろうけどなぜ。わざと?だとしたらなぜ?アート?きれいではあった。誰か来ないかな、と再びしまったエレベーターのドアのそば、できるだけドアの外から離れて隅っこで人を待つ。昨日は私もそんなに早く行かなかったしもっと早くくる人もいるのにこの日はみんなゆっくりだったみたい。誰も来ないよー、と思って寒さに耐えかねてさっきまでいたヴェローチェへ、と思ったが開始時間までそんなに時間があるわけでもなかったからファミマへ。ホットコーヒーレギュラーで。ポン(紙コップを置く音。軽い。)どうもありがとさんです。うん?コーヒーが出てこない。またセットの仕方が悪いのか?この前セブンでカップ傾いたままスイッチ押しちゃったらもうカバーがあかなくてあーどうしよーこれカバーとカップがすこしかぶっちゃってるよ出すとき倒れちゃうよ店員さーん、と心で呼びながらまずはコーヒーが無事に注がれてくれるのを見守る。よし無事。注意深くカバーを開ける。よっしゃ。あーよかった。隣の人、こいつやばい、って感じだったのかもしれないけどそんなこと気にしない。無事でなにより。ファミマのコーヒーもじっと見ていたら出てきた。豆を丁寧にひいてくれてたのか、機械さんが。私が待てない人なだけか?でも寒かったからむしろ長居はしたかったし、実際このご家族はここで寒さ避難をしているよね、という三人家族がすぐ後ろで年賀状を見ながら楽しそうにしていた。そうだ年賀状買わねば。ファミマで買えばよかった。10枚入りの細長いメルティキッスは買ったのに。コンビニやばい。おなかいっぱいだったのに冬季限定の文字に全て惹かれ迷いに迷って箱が小さいことで罪悪感だけは減らし購入。ストロベリーマーブルメルティキッスかわいい。結構甘かったけど昨夜はセミナー続きで夜遅くなったから合間合間にいただいた。小さくて白とピンクのマーブルでかわいかったし美味しかった。そうそう今回も無事に入ったコーヒーカップで手を温めつつセミナールームのあるビルへ戻った。別の参加者が三人。よかったー。鍵空いてないね、誰が持ってるんだろう、ここでできない場合どうするんだろう、スタバ?それにしても寒いねー。そこの自動ドア閉まらないの。あ、ほんとだ。など話しているうちに鍵到着。無事解錠。無事開催。よかった。毎日小さいよかったがいっぱい。やばい、しまった、やっちまった、も多いけどどれもこれもとりあえず解決すればよかったになるから結果的によかったが一番多くなる仕組み。また寒くなってきちゃったけど朝のお菓子タイムはほくほくだったからいいや。今朝は秩父のお土産、「玉木屋詰め合わせ」から「かえでモン」。小さいお皿に半分乗せてフォークを入れたらポロポロポロ。おお、もう一回り大きいお皿の方が安全だったか。でもこぼれなくてよかった。メープルの味が美味しい。マーガリンの味も美味しいということでよかったよかった。色々難題も多いし勉強も難しいが無事に月曜日ですね。嬉しくないか。でもとりあえずがんばろ。とりあえず、とりあえず、と一歩一歩。気づいたら結構進んでるかもよ。と希望を持ちつつね。私はまずはセミナーのフィードバックのメールを送ろう。はあ。何かやろうとするとすぐに元気がなくなるのはなぜ。セミナーはすごくよかったのだからがんばって書きなさい。がんばらなくても書けるでしょ、そのくらい。はい。やります。自分の中に怖すぎない尻叩きフレンズを住まわせてなんとかやりましょう。寒い寒い。お大事に。

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12月17日(日)

さくさくクッキー。友達がお客さんから教えてもらったお店を私も教えてもらった。あそこかな、でもあそこ焼き菓子あったっけ、と思いつつすぐに通りかかる機会があったので行ってみた。あった!シンプルな焼き菓子がいくつか。その中でも一番シンプルなのを買ってみた。お菓子天国がさらに天国になった。美味しい♪

NHK短歌やってる。いとうせいこうすごいな。「無力上等」ね。ほんとそう。「自分が書くことで民衆たちが動くほうがが怖い」。「超平成の言葉遊び」が紹介されててよかった。

相手のことを考えて自分の好きなことをする。多分それが一番安全にどこかへ向かう方法。たとえば子育て。自分の好きなことなんかする時間がない。それもそう。でもそういうことではない。相手のことと自分のことがセットになっている場合は「そうせざるをえない」ところからしか生まれない豊かな相互作用がある。美容とか飲食とかの業界で女ひとりで小さな店を持ってやってきた友達が自然と多くなったのだけどおしゃべり楽しい。いつも限られた時間で何かしながら話すだけだけど「人って面白いよね」で大体終わる。特に私の仕事は本当に興味深く思ってくれる。彼らも多くの人と出会う仕事を長年続けているから病気や障害に対しても具体的な関わりがあるし具体的に言わなくてもものすごくリアルに捉えられるんだろうね。この前、すごい打ちのめされた話をしてて実際の関係で打ちのめされるのは長年かけて人生豊かにするのかもしれないけどそのときはもう立ち直れない・・ってなるよね、仕事にもちょっと響いちゃったりしてさ、という話をしていてそういえばと。この人いつも何かと打ちのめされた、人生に大きな影響を受けた、ずっとそれを宿題にものを考えてきた、とか言うから最初はすごいな、偉いな、と思ってきいてたんだけど、そういう相手多すぎじゃね?と思ってたら相手が全部本だったんだよね、みたいな話を思い出した。あれは面白かったな。私の周りはそういう人多いような気がする。やっぱり子育てを考えるのは大切。本みたいに扱えない相手と生きていくことの豊かさがもっと守りとともにありますように。子育てがないと人間は生きていけないものね。私は基盤作りにがんばるよ。彼女たちの子供たちももうだいぶ大きくなった。色々あったよねえ。彼らにもいい友達ができるといいね。ここからは親じゃない、って段階だものね。

昨日は世田谷ボロ市も行った。馬事公苑にも足を伸ばした。古井由吉はこの近所に住んでいたけど新しくなった馬事公苑を見ずに亡くなった。オリンピック仕様にしてすごく変わって見晴らしがとてもよくなったが元々好きな場所なのでなんとなく寂しかった。しかしカフェが素晴らしくよくなっていた。本もたくさん。絵本の読み聞かせもした。それについてもっと書こうと思っていたのになにも書いてないじゃん。まあいっか。いい居酒屋も見つけた。今度ゆっくりいくんだ。さあ、今日の発表準備がまだできていない。やらざるを得ないことはやれるから大丈夫でしょう。がんばりましょう。

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桜紅葉、「ジョン・バティステ アメリカンシンフォニー」

スーパーに寄って散歩道に入った。ベンチには誰もにいなかった気がする。通り過ぎてから気づくくらいの存在感で人がいる場合もあるので見逃したのかもしれない。春は桜のスポットになる小さな広場。これまで何度となく写真を撮ってきた桜が紅葉していた。花が咲き、地面も花びらでいっぱいにし、葉桜を過ぎてしまうとそれが桜であることを忘れてしまうくらい普通の緑になる桜。このあたりは老木も多いのだろうが気づくと切り株になっていたりするとびっくりする。紅葉すると再び存在感が増して私は不思議に思う。これがあの桜なんだなあ、と毎年思う。先日、きれいに染まったかたそうな葉っぱを拾い上げてみた。柔かかった。小さな手に握られた銀杏の柔らかい花束と同じくらい。昨晩、もうだいぶ散った桜を見上げた。細くて小さな電灯がメインの桜を照らしている。そこだけ夕焼けみたいだった。こんなにきれいな色になるんだったか。なるんよね。パランパランって落ちるんよね。そういえば「桜紅葉」という季語がある。秋の季語だ。帰宅してしばらくすると強い風の音が聞こえた。気温がぐんぐん上がっているようだったが部屋は肌寒かったので暖房をつけた。なんか怖いね、と話した。コンビニのワインとスーパーのパンが美味しかった。生ハムを乗せるだけでサラダも豪華になる。桜が満開になると決まって雨が降る。そんな印象も変わっていくのだろうか。桜紅葉、あと数日したら何事もなかったかのように片付けられるのだろうか。二日前、風を受けて道路を埋め尽くしながら散るイチョウを掃く人たちにこれは大変な作業だなと思った。昨日その道はすっかりきれいになっていた。花壇の土はまだイチョウに敷き詰められていた。驚いた。一体どうやって。昨晩の強風で落ち葉たちはどこかへ移動しただろうか。またそれを黙々と掃き集める人たちとすれ違うだろうか。ありがとうございます。毎日遅い時間に道を歩いているとその時間から仕事を始める人たちにも出会う。この時間にはもうお仕事を終えられただろうか。お疲れ様です。そういえばこの前、早朝に作業を終えた割と大勢の人たちとどこかの店で一緒になったのだけどどこだったか。赤ちゃん観察のトレーニングで平和島に通っていた頃は朝から呑んでいる人と昼に一緒になって店は15時とかに閉まっていた。平和島もだいぶ変わった。

Netflixでなんとなくみていた『ジョン・バティステ アメリカン・シンフォニー』の続きをまたなんとなくみた。字幕もつけずにみていたのでよくわからないところもたくさんあったが表情や間合いや音楽で伝わってくるものが多く何度も涙ぐんだ。ジョンの独特の声、、彼のルーツを感じさせる楽団のメンバーの写し方がよかった。作家である妻スレイカ・ジャワドのインスタでの二人の交流もいい。ワンコもとってもかわいい。

今日も色々。夜遅くからのミーティングを忘れないこと!ほんとこれは絶対。頼むぜ、自分(友だちがリマインドしてくれることになってるけど。感謝です)。

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落ち葉

今週の東京は銀杏の紅葉がピークでしたよ。オフィスの大きな窓から見渡せる明治神宮の森の黄色も輝いています。道も黄色い落ち葉でいっぱい。小さな子が小さい柔らかい手にこれまた柔らかそうな落ち葉を花束みたいに握っていて可愛かった。保育園のお散歩帰りに「みてー」と言われて振り向くとその子は小石を持ってニコニコ。意外!かわいい。「きれいね」とみんなでニコニコ。もう色々付き合いが長いなあ。付き合いが長い人がいると新しい人もなぜか昔から知っているかのように接してくれるから地域の活動はいいなと感じる。「ほら、あみ先生」と言われて子供たちもなんか知ってる人、みたいになるらしく、実際一年に3、4回しか会わないのに覚えていてくれる子もいる。2歳クラスになるとだいぶ記憶に定着している。私が安心して場に馴染んでいると向こうも外部という違和感を感じないですむのかもしれないね。いつも大変だけど楽しいよね、一緒に遊ぶの。保育士さんたちのお給料が上がりますように。あんな大変な仕事はなかなかないよ。男性が当たり前にいる職場だったらまた違うでしょうね。

昨晩も夜遅く帰ってきてすぐのフロイト読書会だったけどもう何年になるのだろう。『性理論三篇』を読んでるけどこれも何回目だろう。みんな臨床経験も積んで話し合いも面白い。落ち葉を滑らないようにフミフミしながらの帰り道、疲れたけどこれから読書会かあ、でも終われば元気になってるんだよなあ、と思ってたけど今回もそうだった。フロイトレベルの人をそうそう簡単に理解できるわけないのだけど臨床家という点ではそこそこ対等に話せるようになってるよね、きっと。精神分析を体験する人が増えたらいいな。この豊かな世界はやっぱり体験ありきというか体験というものがどういうものか教えてくれるから。

ひどい話だけど、実際は嘘つきで暴力的で悪口混じりの内輪話ばかりしている人が外ではいい人とか知的な人扱いされていたり面白がられているのを見たりするけどそういう人にいくお金が保育士さんにいけばいいのに。「生活のため」とかいってたけど「あれ?どなたとの?」って感じの人もいるしね。彼らはお互い自分が面白いと思う相手とばかり付き合っているから自分がそういう酷くてつまらない人になっていることに気づかなくて指摘されるとナルシシズムが傷ついてイライラしだしてさらに軽薄になったり傲慢になったりしてしまうんだな。大変。ナルシシズムは奥深いテーマではあるけどね。

さあ行きましょう。そうしましょう。まだ準備してないや。今日は金曜日。頑張ろう。

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12月14日(木)

丹沢ベーカリのパンがとても美味しかった。お店のカードも山並みをイメージしたであろう素敵なデザイン。「ベーカリ」と伸ばさないのもいい。ひとつひとつが大きくて一つ半くらいしか食べてないのだけどおなかいっぱいになりまた何もせず眠ってしまった。今朝は秦野市の北原堂さんの「丹沢蒸しどら落花生入」。仕事は強制力あるから食べても大丈夫。きちんとオフィス行く。助詞を抜くとアーニャを思い出す。SPY×FAMILYの映画はもう始まった?あ、まだだ。22日から。ヒゲダンの新曲はこれの主題歌か。オフィダンとかいっちゃって若者に訂正されたりすることあるわね。いろんなものの略し方間違ってること多いから使わない方がいいわね、とも思うけど訂正してもらえる程度に伝わってるなら別にいいわね。高校時代、親に内緒でしていた喫茶店バイト、その喫茶店の名前を母はいつも大幅に間違えていたけど私たちは「あそこね(名前違うけどね。しかも私バイトしてるけどね)」とわかっていた。そのうちみんなそれで呼ぶようになって母勝利!というわけではないが変えていいものといけないものの区別がついてればいろんなことはゲーム。言葉を変えるといろんな見方は一気に変わるからルールは大事だけど。どうしましょ。変わりゆくものに対して。

昨日『ジョン・バティステ アメリカン・シンフォニー』をスマホの小さい画面で少しだけ見た。ジョン・バティステも柳樂光隆さんのインタビューで知って最新アルバム『World Music Radio』は今年2番目によく聴いたアルバムだと先日Spotifyが教えてくれた。インタビューを読むとこういうすごいアルバムも作れてしまう理由を知れた気になってしまうのだけどソースやルーツに対するリスペクトはこうして形になっていくらしい。とにかく読んでほしいし聴いてほしいな。多様性と簡単に言葉にする前に。彼が、このアルバムに参加したシャソールのことを「彼は従来の意味での音楽の境界線にとらわれることがない。でもそれをやれるのは、すべてを知っているからだ。知っているからこそ、曲げられる。そこに存在するルールを知っていれば、ルールを変えたり、挑んだり、再考察できるし、場合によっては無視することもできるんだ。」と言っている。そうなんだろうなあと思う。

昨晩はふたご座流星群を見たというお知らせもいくつか聞いた。嘘みたいに星が流れていたとのこと。すごい。流れ星なんてもう何年も見ていないしそんなにたくさんの星が流れるのなんて見たことない。素敵。みたい。朝の空もきれいだけど冬の夜空はきれい。寒い寒いいいながら空を見てうわあっとなる。東京だとイルミネーションの方が明るいけどそれはそれであったかい感じもするから素敵。

はあ。毎日余裕はないけどこういう余裕はあるわね。良きこと。がんばりましょ。資料もどんどん読みましょう。はあ。

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食べ物とか本とか。

山中湖のお土産「シャインマスカットキャラメルバウム」をお茶で。コーヒーは後で飲むと思うから。シャインマスカットよりvividな黄緑を背景にチョコが上からとろーりかけられた茶色いドーナツの写真がパッケージの表面。3個入りでたしか箱に「写真はイメージです」って書いてあった気がする。写真はイメージ。そりゃそうだ。が、しかし、そういうことではない。昨晩も作業中の体勢のまま作業をほとんどせずに眠ってしまったので部屋が暖かい。

週末にセミナーが二つあって一つは発表もあるので準備に忙しい。読むのは全部英語。フランス語版は読めないから英訳で。

三浦哲哉さんの本『自炊者になるための26週』(朝日出版社)と贈り物用の本を買いにいきたいが時間がない。三浦哲哉さんは映画のお仕事の本も持っているし、『LAフードダイアリー』(講談社)も食も体験も味わい尽くさんとす、という素敵本だったし今回も期待!食べ物大好き!三浦さんのお料理をいつもインスタで見ていて友達と行った市場だ、とかいろいろ身近だったり本当に美味しそうでこの本が出ると知ったときも嬉しかった。早くほしいな。そのためにも早く準備せねば。でもこの量、絶対間に合わない。

読んでいるのはフランスの精神分析家Andre Greenが「私」とか「自我」とか「セルフ」とかいろんな表現をされてきた主体っぽいものを英国とはまた異なる使い方をされてきたフランスでの「対象」と合わせて記述しようとする章。subject line and object lineという言い方をしている。

Key Ideas for a Contemporary Psychoanalysis Misrecognition and Recognition of the Unconscious” のPart II: Theory. Opening the way for a renewal of the theory-subject line and object line.

どうやら基盤にPiera Aulagnierの”I”に関する考えがあるらしいのでオラニエの最初の著作“The Violence of Interpretation: From Pictogram to Statement. “ (Paris: Presses Universitaires de France, 1975).もチェック、とかしていたら時間がなくなるわけだ。この本、Harold Blumの序文だけでも勉強になるわ。このeditionの序文Joyce McDougallとNathalie Zaltzmanのもいい。

仕事、勉強、仕事、勉強の繰り返し。お菓子は常備。今日は寒い?雨?雪?そんなことないか。東京は。雪国のみなさんはきっともう大変だよね。どうぞお気をつけてお過ごしください。風邪ひかないように!

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ゴミ山

今日は雨みたい。昨晩、雨マークが出ていたけど帰り道は降られずに済んだ。朝、保育園に持っていったビニール傘が帰りにはどれだかわからなくてなっていた。でもこれだろうというものを保育士さんと選んで持って帰った。ビニール傘の種類に驚くとはいえ印つけておかないとすぐにわからなくなってしまう。違いのわかる女、ではない。ネスカフェの「違いのわかる男」CM懐かしいね。女も出ていたと思うけど。ダバダー♪

アジアンドキュメンタリーズがラスト・ツーリストを紹介している。原題もほぼ同じ。The Last Tourist。 2021年製作、101分、撮影地はタイ、ペルー、ケニア、インド、カンボジアなど。インドも入っている。

今年、インドのアジア最大最古のごみ山デオナールごみ集積場のことを描いたノンフィクション『デオナール アジア最大最古のごみ山 くず拾いたちの愛と哀しみの物語』が翻訳出版された。著者はソーミャ・ロイ、ムンバイの最も貧しい零細企業家の生活を支援するヴァンダナ財団を共同設立し、デオナールから融資を求めてくる人たちと出会い、この現実を物語にした。いや、現実をある少女を中心に描いた。これはノンフィクションだ。読み始めたときにブログにもnoteにもメモ的なものを書いたが、希望とか絶望とかいう言葉で何かを見出すにはあまりにごちゃごちゃした現実がそこにあった。ゴミ山には全てがあった。赤ん坊の死体も暴力も犯罪も。でも彼らのものは何もなかった。少女の名前は18歳になるファルザーナー・アリ・シェイク。この話の中で彼女はブルドーザーに轢かれ生と死の境を彷徨う。ゴミ山での暮らしは最初から生と死の間にあるともいえるが彼女はそこで生きてきた。死の淵で彼女は恋をし結婚し子供を産んだ。ゴミ山地区の閉鎖をめぐる裁判と並行して彼女たちは生きていた。しかし「ファルザーナーのような人々、カルヴァーレーで暮らしていたような人々が、法廷ではいまだ目に見えない存在であり続けている」。身代金目的で義兄の息子を誘拐したファルザーナーの兄は弟にいつも言っていた。「ファルザーナーの世話を頼む」。刑務所でガラスの仕切り越しに赤ん坊を見せるファルザーナー。「おまえは大丈夫なんだな?」と尋ねる兄。ここになんの矛盾があるだろう。ゴミ山の地面をならし、ファルザーナーを轢いたブルドーザーの運転手の裁判はこの先も行われることはないのかもしれない。ファルザーナーは笑う赤ん坊の鼻をくすぐりながらいう。「お人形さん、その笑顔はあなたのものじゃないの。わかる?」赤ん坊のアエシャ(「賢者」の意)はけらけら笑う。

ためし読みはこちらでできる。今年読んだノンフィクションの中で最も心に残った本だった。私が子供の臨床をする立場だからというのもあるだろう。ただそこにとどまるしかないという現実に読者としてとどまることをせざるをえない一冊だった。

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いつのまにか、とか。

空。冬っぽさを感じないのは暖かい場所にいるから?凍てつくような雲がないから?微妙に色が変わっていくのがきれい。いつのまにかピンクがかってくるのも素敵。

いつのまにか。いろんなことはそうなんだと思う。

昨日は今年度最後のグループをひとつ終えた。初回面接を検討するグループ。もうひとつ同じグループを異なるメンバーで持っているがいつのまにか良いグループになったと思う。サポーティブというのは何か技法があるわけではなく、それぞれが自分のしていることについて他の人の意見をもらいながら、それを取り入れられないならなんで、あまりに素直に取り入れてしまうならそれはそれでなんで、この人が言うと腑に落ちるけどこの人が言うとなんかイラつくのはなんで、とモヤモヤしながらそのうち「ああ」と気づく。そういういつのまにかが起こるような相互関係をサポーティブというのであってどちらかの工夫をいうものではないだろうと私は思っている。そういう意味でサポーティブな良いグループになったと思う。2時間、メンバーの一人の初回面接を検討して「ああ、私、この患者さんのお父さんとか周りの人と同じことしてる」と気付くにいたり、そこからその人自身がどのような無意識的努力を重ねて生きてきたか、そこにどんな環境との相互作用があったかなどを知り「ああ、それでこの主訴なんだな」と理解し、それを伝え共有しできることがあればそれを提案し契約が成立するなら次のステップへ、という流れだろうか。今、ざっと書いているだけだけどある程度きちんと書いた文章は私のオフィスのWebサイトをご参照くださいませ。妙木浩之先生の本などからまとめています。いつ書いたか記録しておけばよかったな。見直して更新した方がいい部分もあるかもしれない。どうも私はそういう履歴やせっかく教えてもらったりして学んだ方法を活かすのが下手すぎる。これは私が「いつのまにか」を怠惰の言い訳として使っているからだと自覚している。私みたいにここまでこういうことが下手な人はしっかり定着するように意識せねばならない。本当にできないことはどんなに頑張ってもできないけど一度できたなら定着の可能性はなくはないのだから習慣化せねば、と思うのだけどね、とナマケモノさんが顔を出す。というか動物のナマケモノはかわいい。先日、テレビでズートピアを途中から観たがナマケモノになによりもウキウキワクワクした。面白かった!

今日は月曜日。あー。そんな気がしない。サブレも熱いお茶といただいたしがんばりましょう。今日も昨日くらいの気温だったらまだやり過ごせるのだけどどうなのかしら。一応暖かくして過ごしましょうね。

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チョコサンドおかきとか。

出涸らしというほどではない緑茶とチョコサンドおかき。冬はチョコが美味しいな、と毎日のようにコンビニでチロルチョコを買う。チロルチョコ一個だけレジに持っていくのも楽しいけどなんとなく恥ずかしくてセルフレジを使うときもある。私の手はいつも冷たいけどそれでも握りしめて溶けてしまったら嫌だからポケットに入れたり手から離す。今はkiriとのコラボでクリームチーズチョコが出ている。kiri大好きだからすぐに買ったけどこれらは別々でいいかな。かなり甘かった。チョコサンドおかきは甘いのとしょっぱいのがちょうどいい!こういうのを求めていた!ありがとう。クリスマスのお菓子を色々もらってホクホク。チョコサンドおかきもサンタさんと雪だるまのシルバーのちっちゃい袋に入っていました。詰め合わせにはフィンガーチョコも入ってる!昔からあるよねえ、フィンガーチョコ。あー素敵。気持ちポカポカ。お部屋もポカポカ。作業しながら寝ちゃったからだけど。

大谷、ドジャースか。ロサンゼルス大好き。身内が住んでいた頃、ドジャー・スタジアムも数回行った。ホットドッグのケチャップもマスタードもデッカかった。大谷がんばってー。

Take me out to the ball game, Take me out with the crowd. Buy me some peanuts and Cracker Jack, I don’t care if I never get back, Let me root, root, root for the home team.If they don’t win it’s a shame.For it’s one, two, three strikes you’re out at the old ball game♪

みんなで歌うのは楽しいさ。

朝からお洗濯もしたし、今日中に翻訳仕上げねば。グループもあるしがんばらねば。お菓子も買いに行かねば。お菓子食べてるだけで全然進まないじゃんってことのないようにせねば。そうなりがち・・・。適当にポチポチしたテレビでブリテッシュベイクオフやってる。なんかすごいな。クリスマスのお菓子より出演者の服装に釘付け。いかん。釘付けられている場合ではない。そういえば昨日翻訳しててこれは釘付けになるより張り付くの方がいいなと思った言葉があったのだけどなんだったか。辞書には両方の意味があった。うむ。語彙を増やしていかねばな。

さあやろう。まずはもういっぱいお茶を。

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翻訳とか。

空がきれい。光はこうやって色になっていくんだなあ。年末年始は西の方へ。きっとこの時間はまだ真っ暗だろう。

翻訳の仕方がようやくわかってきた気がする。これまでもウィニコットの『ピグル』や『短期力動療法入門』、海外から分析家が来るときのセミナー資料などを訳したことはあったけどやっぱりなんだか全然わかっていなかった。今はIPA Inter-Regional Encyclopedic Dictionary of Psychoanalysis(IRED)、訳すと国際精神分析協会 地域間精神分析百科事典というのをみんなで分担して訳している。私はそもそもワードなどを機能的に使うということからわかっていないので保存の仕方もチグハグだし取り組むたびにやり方が変わってしまったりしていたが、翻訳を相互チェックしている中で少しずつ学んできた。進行は遅れに遅れているがこの週末とりあえずのものは仕上げなければならない。仕事から帰ってくるのがそこそこ遅いし朝もそれなりに早いので帰ってきてからがんばろうと思ってもほぼ成功していない。だからこうやって朝にやる、しかしこうやって時間を無駄にしている。がーん。こういうところ変われない。変わるぞ、今日。この数日ラテンアメリカの精神分析の歴史や最近の動向も学んだし。

本当は今年読んでよかった本とか音楽(ほぼ柳樂光隆発)の話がしたいけど少し進めないと朝も時間がない。まあ、とっても勉強になるのでがんばりましょう。英語はどちらにしても触れ続けないとやばい。来年はシドニーで発表。ひえー。日本でも発表あるよ。精神分析の訓練に興味がある臨床家の人にはぜひいらしてほしい。今日は土曜日。楽しみもあるからなんとかやろう。東京は晴れみたい。暖かい飲み物で喉も潤して出かけましょう。

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れんこんサブレー、寮

「れんこんサブレー」なるものをもらった。裏面をみると茨城県土浦市が販売元。ほー。そんなにれんこんの味はしない、というかそもそもれんこんの味とは?独特の水っぽさ(あるいは水が抜けたっぽさ)と土っぽさ以外にどういえば。形が最高にかわいい。このサブレーもぽこぽこ空いた穴がかわいい。茨城県のれんこんは作付面積、出荷量ともに全国トップとのこと。主な産地は低湿地帯の多い霞ヶ浦地域。土浦は霞ヶ浦地域になるんだね。予備校のときの友達が土浦出身で方言を少し恥ずかしがりつつネタにもしていた。寮だったからたくさん友達ができていろんなことが起きた。上板橋駅はなんの不足もない住みやすい場所だった。いろんな国の人がいた。肉じゃが定食は当時550円。それだって決して安いとは思わなかったけどよくいく定食屋もあった。ケンタッキーで鶏肉の部位を選べることも知った。これからごはんを食べる日も外で何か食べてきてしまった日も通学の一環のようによく通った。いつも一緒に行く友人はケンタ(と呼んでいた)でバイトの経験があったからいろんな裏話を聞いた。もう覚えていない。しょっちゅう門限に遅れては呼び出され寮母さんのおにぎりを食べながら説教というより雑談をされた。このセットはほぼ説教であった。このおにぎりは密やかに恐れられており確実に抑止力になっていた。急に雨が降ってきて隣の部屋の子の布団を取りこんだりもした。その子とはあまり話したことがなかったから迷ったけどベランダは繋がっていたし誰か取り込んでくれたらなあ、と今頃思っているに違いない、と思い込むことで取り込んだ。感謝された。ホッとした。尾崎豊が死んだ年だった。食堂のテレビのニュースを見ながら泣き崩れている子がいた。私は尾崎より氷室とかの方が身近だった、というか比べるものでもないが、尾崎のことをよく知らなかった。嫌な報道のされ方だなと思った。フレディ・マーキュリーが死んだのはその前の年か。高校で隣の席の友達がずっと静かに泣いていたことを思い出した。10代後半は最後の独特の時期という気がする。私は不登校を理由にやってくる小中高生と会うことが多いが何年一緒にいてもその年代ならではというのが現れるのが興味深いし愛おしく思う。今はあの感じが30代まで続いている印象があるがまあそれはそれでそれはそれ。今日は金曜日。がんばろう。

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泣き相撲、池田晶子など。

まだカーテンを開けていない。まだ外は暗そう。今朝は鹿沼名物泣き相撲にちなんだ錦京堂本舗さんのいちごパイ。いくつかの和菓子屋さんが同じロゴを使ってるみたい。「鹿沼銘菓 泣き相撲 元気UP」がセットらしい。行司が軍配を上げる時の団扇の半分に「泣き」もう半分に「相撲」と書いてありその横に鉢巻をさせられた赤ちゃんの泣き顔。でその下に「元気UP」。いいね。元気UPという表現。無病息災、健やかに育て、赤ちゃんたち。この行事は毎年9月に行われるらしいです。

さてさて、名古屋の先生にお返事をせねば。名古屋にいる仲間のことも少し聞いたけど元気かな。コロナ前は毎月セミナーとかで会っていたのに。本当にコロナには困ったもんだ。つい最近まで身近で感染したと聞いていたけど今はインフルエンザでもないしでも熱が出る、喘息みたいに咳が出る、という話の方が多くなってきた。乾燥もしてるし寒暖差もあるし予防も難しい季節。首と足首は温めた方がいいよー。あとこの前首に貼る「めぐリズム」をもらって、いつも勿体無くて結局溜めてしまうから早速使ってみたらぽっかぽかで眠ってしまった。お布団に入るときにすべきだったけど気持ちよかったですよ。今はお布団もいろんな工夫があるから駆使して健康保ちましょうね。

なんか色々してたら時間が経ってしまった。

Amazonから何回か配送か置き配します、遅れます、配送かおき配します、遅れます、を繰り返してようやく届いた池田晶子、陸田真志『死と生きる 獄中哲学対話』を読み始めた。高橋ユキさんがツイートしていたから。池田晶子はすごいね。こういうやりとりを見ると対面かオンラインかとか頻度とかいう形式だけ整えてもね、と思う。もちろんその形式からしか生まれないものもあると思うし大抵の人は一人の人を大切にすることもできないわけだから形式は必要ではあるけど言葉についての研究を深めた方がよさそう。そうそう、蔦屋書店でやってた古田徹也さんの選書フェアのリストが柏書房のnoteで公開されたよ。ウィニコットフォーラムで私が書名を忘れた『言葉の魂の哲学』(講談社選書メチエ)も載っています。ぜひチェックを。言葉繋がり。池田晶子は載ってないけど土居健郎も私たちには特に必読本。土居先生はすでに言葉の研究をこうして始めてたんだよね。がんばらないと。もういかないと。木曜日か。がんばろう。

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常に相互。

キウイジューシー、りんごしゃくしゃく、パイをむしゃむしゃ、コーヒーちびちび、鳥がピーピー、あなたたちの世界は無差別な攻撃や殺戮はないの?殺戮に理由なんてあるの?殺戮って昔は刑罰として殺すことだったみたい。今は?罪なすりつけて殺すの?それは罪だと決めつけて殺すの?生まれたての子供にも?殺していいと決めてるあなたは誰?安全な場所でおいしいごはんを食べくだらない話に笑いながら血だらけの大きな瞳の子供を画面にみる。私もそうやって加担しているのかな。なにをすればいいのだろう。毎日全然わからない。中村哲さんの言葉に「王様は裸だ」といえる子どもであろう、どうにか踏ん張ろうと思っても王様は一人じゃない。私だって王様かもしれない。空を飛びそこには多分その国の人というくらいにしかわからない相手がいると知って爆弾を落とす。どうして?対面の緊迫した状況に画面の向こうからきれいごとをいわれる。暴言と暴力だらけの家に週末だけ電話をかけてきてがんばれといわれる。事態は全く異なる。異なる?心のあり方も?相手に心があること、傷つく身体があることを忘れていることなんてしょっちゅうある。精神分析は心がいかに無慈悲で暴力的かを露わにする。快に基づく行動ではなく思考という行動を高次のものとして考える。そしてそれは常に相互のものであると認識する。どっちかのなにかではない。それが抑止力になると信じる。以前、激しいやりとりをききながら、これが裁判だったら、と考えたというよりこれだけどっちがどうとかといっているのにこれを裁判に持ち込まない理由を考えていた。裁判も誰かのなにかをたやすく決めつけることはできないから個人に対して時間かけるのは当たり前だよね、表向きは。そのせいでなにもしていないのに人生の時間を奪われる人もいるわけだけど。裁きの場に持ち込まずに対話にならなくてもそこに共にいつづけることはとても苦痛だよね。いないほうがいい場合もあるよね。私はどうするんだろう。自分のことなのにずっとずっと迷っている。考えて行動してみて、の繰り返しなのだろうけど。さあ、いかないと。今日は水曜日。色々指差し確認するようにひとつひとつ。ひとりだけどひとりじゃない不思議を確認しつつ。

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コスメよりサブレ。

まだ暗い。今朝は昨日と同じく松月さんの「屋台最中」だけど今日は小倉餡。半分にするとちっちゃい屋台に小豆色がみっしり。あとは松栄堂の「はとむぎサブレ」。鹿沼は全国有数のはと麦の産地だそう。一時、肌にいいとかで母が定期的に飲むように定期的に送ってくれていたのははと麦茶。私は定期的に飲むのを忘れてしまうから美味しくともその効果はわからず。色々きちんとやれば良いこともたくさんあるのだろうけどねえ。この前、東京駅の八重洲口の地下街にいったらメイクとかネイルとか美容系の色々が入ったお店が朝から並ぶほどの混雑でびっくり。これからおしゃれして新幹線で結婚式に行くとか?と思ったけど普段使いだったりするのかしら。友達や患者さんの話を聞いているだけで美容情報も溜まっていくけど進化も早いみたいでこの前も地下街歩きながら友人の話に「今ってそんなネイルあるの!?」と驚いてしまった。中高生も新大久保のコスメとか詳しいし身の丈でするおしゃれって楽しいよねと思う。コーヒーとはとむぎサブレ美味しかった。私はコスメよりお菓子だな。そういえばこの前ローソンでまずいお菓子を見つけた。味がまずいのではなくてやばいと言った方がいいのかもしれない。どれだかわかるかな。どの季節もコンビニスイーツを食している人ならピピっとくるかも。あれは一人で食べたらダメ、というか竹の楊枝というのかな、が二つ刺さってたから二人でいただくものなのかもしれない。

ああ、どうしてお菓子のことばかり書いてしまうのかしら。言葉にできないことが多すぎて時間が止まってしまうことも多くてどうやって声をあげたり対話を続けたりすればいいのかと思い悩み続けているんだけどね。人はどこまでならなかったことにしていいのかな。なかったことにするのは本当に簡単。どんどん上書きされる記憶はそういう志向性をもってるでしょう。うまくいかなくて混乱が残ってしまうことがたくさんあるから厄介なわけだけど。私たち厄介ね。なんとか今日も過ごしましょう。

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鹿沼のお土産など。

少しずつ明るくなる。この鳥の鳴き方のリズム、何を伝えているのかな。

今朝は栗羊羹と栃木県鹿沼市の御和菓子司松月の「屋台最中」。鹿沼には江戸時代から続く「鹿沼秋祭り」というのがあって、その中心となるのが「鹿沼今宮神社祭の屋台行事」(2016年ユネスコ無形文化遺産登録)だそう。そこで披露されるのがものすごい緻密で華麗な彫刻屋台。それをちっちゃくちっちゃくした最中が「屋台最中」。今調べたら大中小あるのね。お土産は小。ちっこいのに屋台の形してる。お味はゆず餡と小倉餡の2種類。今朝はゆず餡をいただきました。鹿沼は芭蕉も訪れたそうで鹿沼宿「光太寺」に一泊、笠と草鞋を替え日光へ向かったとのこと。5月には「芭蕉の笠替え」という行事もあるって。

曾良の日記によると鹿沼に寄ったのは3月末のこと。昼過ぎから曇りはじめて鹿沼では雨だったみたい。だから笠と草鞋を変えたのね。日光へ着いたときには雨は止んでいたとのこと。こういうシンプルな日記はよいですね。

一 昼過ヨリ曇。同晩、鹿沼(ヨリ火(文)バサミヘ弐リ八丁)ニ泊ル。(火バサミヨリ板橋ヘ廿八丁、板橋ヨリ今市ヘ弐リ、今市ヨリ鉢石へ弐リ。 ) 一 四月朔日 前夜ヨリ小雨降。辰上尅、宿ヲ出。止テハ折々小雨ス。終日曇、午ノ尅、日光ヘ着。雨止。清水寺ノ書、養源院ヘ届。大樂院ヘ使僧ヲ 被レ添。折節大樂院客有之、未ノ下尅迄待テ御宮拝見。終テ其夜日光上鉢石町五左衛門ト云者ノ方ニ宿。壱五弐四 。 

ー『曽良旅日記」

「おくの細道」には鹿沼のことは書いてないみたい。日光のことは書いてあって、芭蕉と曾良がよんだのはこの三句。あらたふとの句のあとに「黒髪山は霞かゝりて雪いまだ白し。」とある。旧暦だと季節がわかりづらい?旧暦4月1日は新暦5月19日ですって。まだ寒かったのね。

あらたふと青葉若葉の日の光

剃り捨てて黒髪山に衣更 曾良

しばらくは滝にこもるや夏の初め(夏=げ)

鹿沼には「掬翠園」に句碑があるそう。

入あひの かねもきこえす はるのくれ

芭蕉にちなんだお菓子もあるのね。『統一銘菓 芭蕉のそば餅』。食べてみたい。

しかし寒い。動きたくない。起きてすぐ出かける準備万全にしておけばよかった・・・。冬の間はこんな後悔を何度も何度もするのでしょうね。さて今週もなんとかがんばりましょう。芭蕉と「ましょう」が韻を踏んでるな、と今思った。だからなんだ。またね。

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syoutengaiとか。

早朝から他愛もない任務を完了。洗濯OK.昨日寝てしまい見逃したSPY×FAMILY OK.もらった小さな羊羹を食す、OK.他にもう少し大切なこともした気がしたがそうでもなかったのかもしれない。東の空に少しオレンジが広がってきた。きれい。

さっきPCのパスワード入れるときに「syoutenngai」と打ってしまった。福引の紙にウキウキしてたからか?地元の商店街で10円券と歳末福引補助券どっちがいいか聞かれたから迷わず福引を。あのカラカラ回すのをやりたい。が、5枚集められるだろうか。お肉屋さんやクリーニング屋さんでもくれるかな。年末に向けてクリーニング済みの服を寄付というのをみていい服だけど着ていないのをそうしようかなと思っていたから行ってみようかな。そうか、よく考えれば商店街の組合の主催なんだから組合に入っている店でお金使えば貰えるってことだよね。よし。お菓子ばかりではなく上手にお金を使おう。そういえばお菓子屋さん、よく行くお店なんだけどいつも一人か二人なのに四人か五人の店員さんがいて何やら忙しそうだった。お菓子屋さんはクリスマスとお正月に向けて大忙しなのね。お世話になります!というかいつもお世話になっております。

今日は慣れない街でミーティングやら学問やら。迷わずたどり着ける、ということはなさそうだから早めにいってモーニングとかしちゃおうか。きっといつも通りドトールとかタリーズとかサンマルクとかだが。あまり歩き回ると一回確認した場所もまた忘れるからな。チェーンのカフェもクリスマスな感じだね。サンマルクのチョコクロはほとんど制覇している。クリスマスバージョンも既に食した。生地がもっとサクッとしてくれたら嬉しいのにな。

今日もいいお天気なのかな。寒くないといいですね。どうぞ良い日曜日を。

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精神分析

アントニオ・ロイレイロとか。

再びジャズを聴くようになってからマルチ奏者の多さに驚いている。先月聴きにいったコーシャス・クレイもフルートとサックスをすごいレベルで奏でていたし、今はアントニオ・ロイレイロ。ブラジルのミナスジェライス出身のマルチ奏者。ミナスジェライス連邦大学(UFMG – Universidade Federal de Minas Gerai)出身の第二世代でミナス新世代とも呼ばれる豊富な人材のうちの一人らしい。くるりとも一緒にやっているらしい。私は全然知らなかったが指揮者の狭間美帆とかもアントニオ・ロイレイロをよくきくとあったからきいてみた。Spotifyでアントニオ・ロイレイロを検索。おすすめされるままにながら聴きしていた。手を止めて思わず調べた曲はSpider’s Egg / Live Recording From The 50th Swr Newjazz Meeting のMad Man.同じくブラジルのペドロ・マルチンスと、LAのKNOWERのジェネヴィェーヴ・アルターディを中心とする「Spider’s Egg」がスイスのバーデンで行ったライヴ盤とのこと。曲の最後の拍手でこれがライブ盤だと気付いた。ブラジル音楽、とてもとても魅力的。伝統を知らないけど伝統を感じる。素晴らしい流れとリズムが現代の音楽として蘇っている感じがすごい。Antonio Loureiroの2ndアルバム『Só』(2012)もヴァリエーションに富んでてすごくいい。ひとりでいくつもの楽器を奏でられる人が作曲をするときってどんな脳の動きになっているんだろ。そもそものシステムが違いそう。それでもライブとなれば、と思ったけどコーシャス・クレイはフルートもサックスも声もシームレスだったからな。どんな身体してるんだろう。アントニオ・ロウレイロもそんな感じなのかな。実際に見て聴いてみたいな。そしてブラジルの音楽をもっと知りたい。はっ。じっと聴いていたらこんな時間。今朝は栗山米菓の「星たべよ」も食べたよ。いい名前。それではみなさんも良い1日をお過ごしくださいね。

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お菓子 読書

12月1日朝

ちょうどいい温度のお茶と聖護院かぶらのお漬物。まんまるでまっしろ。そういえば昨日の月もきれいだった。雲に包まれていてもそこに月があるんだなとわかる見事な明るさだった。悪者に呑み込まれちゃった主人公が復活するときに黒い内側からブワッって光が溢れる描写があるけどそれみたいだった。聖護院かぶらは真っ暗な土の中でよくもこう真っ白に育ったものよ。京野菜は今ではすっかり馴染みのものも多いけどきっとまだ知らないものもあるのだと思う。少し甘めのお漬物で食べすぎちゃいそう。後柿とみかんを少しずつと勝沼のお土産の最後の一つ「しっとりぶどうチーズケーキ」。作っているのは長野の「れんがはうす」というところらしい。パティシエマークがかわいい。これも美味しい。最近の焼き菓子はしっとりが上手。私は泉屋のクッキーみたいなパサっとした硬いお菓子も大好きだけど最近は歯も欠けやすいから柔らかいお菓子の方が安心するようになってしまった。歯医者さんは私の歯が欠けるたびに「噛む力が強いから」と笑うのだけど硬いものを食べるために歯ってあるんじゃないっすか、先生、と思うけど口開かれてると無力。日曜日にやっててくれるし  「キャプテン翼」でサッカーやっていそうな容姿でとても親切な先生なのだけどムー。最初、岬くんみたいって思ったのだけど岬くんを調べたら私の思っていたのと違った。どちらかというと翼くんだった。「キャプテン翼」は生まれてはじめて自分で買いにいった漫画。岡山県津山市の商店街の本屋で。私も休み時間はいつもサッカーやるような「ボールは友達」に「そうだよね!」と思える子供だったしうまかったし、サッカー。結局親にねだってはじめて買ってもらったのはバスケットボールで部活もバスケ部に入ったけど。それでもボールは友達だから毎日学校に持っていっていたらなぜか持ってくるなと注意されて教室で使うわけでもないのになんで、と無視して持っていってた。おさがりのエナメルの紫の大きなショルダーバッグと。ミッキーの。ランドセルもいいランドセルで気に入ってたけど先生に注意されてもそういうことがしたかったのね、当時の私は。今は毎日でっかいリュックで移動してるし運動なんて全くしない大人になったのに。ミッキーのことはよく知らなかったけどエナメルのムラサキというところが素敵だったんだ、多分。こうやってプチヤンキーってできていくのね。高校生になって本格ヤンキーの友人がエナメルのムラサキのバッグ持ってて似合っていた。私もその年齢まで待つべきだったな。当時私はすごく背も小さかったし引きずるように持っていたような気がするもの。彼女は背も高くて明るい茶色のながーい髪も似合ってた。バイト先では嫌味と悪口しか言わないお客さんに文句を言わせない迫力があったしアイスクリームを盛るのも上手だった。私は下手すぎてついにはやらなくていいといわれた。私なりにがんばったのだけど私なりはどこまでいっても私なり、と当時学んだ。不器用な人は器用な人に助けてもらえばいいのだ。みんな元気ならいいな。まだ10代だった私たち。

10代といえば最近読んだ本で一番良かったのは

アリとダンテ、宇宙の秘密を発見する』(小学館)
著/ベンジャミン・アリーレ・サエンス 訳/川副智子

シンプルな言葉が響くのはこの年代ならでは。「ボールは友達」だって子供の言葉だからいいわけでしょう、大人が書いたものだとしても。この本で「会えてよかった」に傍点がつくわけも。冒頭の二行は思春期の患者からも大人の患者からもよく聞く言葉。そのあとの母子の会話に胸が小さく何度もギュッとなる。この感覚も10代のものだ。星を見上げたりしながらぜひ。でもまだ朝が始まったばかり。今日もなんとか過ごしましょうね。外は寒そう!暖かくして出かけましょう。