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精神分析

雷、小説

お湯を沸かしている。昨晩の雷は荘厳だった。一瞬の強い光が空を白く覆った。音がするまでの秒数を数えるのは小さい頃からの癖だ。群馬は雷の多い土地だった。これはそんなに近くない。頭上ともいえないどこかで何かが爆発するような音が重たく響いた。昨日の雷がいつもと違うと思ったのは地響きを感じなかったからかもしれない。私の場合の「いつも」は群馬での「いつも」だから東京の雷はいつもこんな感じだったかもしれない。今は空はすっきりと水色でいろんな鳥の声がする。風も爽やか。

小説家たちは雷をどう表現しているのだろう。私が最近読んだ本の中にも雷は出てきただろうか。私は芥川賞とか直木賞とか本屋大賞とかに疎い。著者たちが一生懸命SNSで発信している読者による番付ものは少し知っているが選考委員のいる賞というのをよく知らない。先日、小川洋子の『妊娠カレンダー』を読んだ。あとから芥川賞受賞作だと知った。おそらく発表があった日のニュースとかではそこそこ関心を持って見ているのだろう。でもそれを理由に読むことがあまりないのだろうと思う。悲しみが悪意を纏ったような小説だった。小川洋子は不穏さにむけて繊細な言葉を紡ぐのが本当にうまい。繊細さというのはそもそも不穏さと関連しているのだろう。出版社ページの紹介文には「悪意」とあってたしかに悪意なのだが少し壊れた心が私たちの最初の持ち物だしそれぞれが侵襲しあう日常でよくこれで保っているものだと感じることは多い。精神分析を受けている途中、私は本当に自分が壊れるのではないかと思った。壊れるというのは自分で自分のコントロールを失うということ。実際はかなりの程度失ったことで委ねるということに開かれたわけだが。なんとか侵襲に持ち堪えようとするなかで繊細な心がかたまっていき細やかな観察は大雑把な殺意へと変わる。これが小説なのは主人公が最後まで自分のしたことの帰結に意識的であるところだと思う。最後まで自分の足で歩いているという感じがする。このコントロール力が小説の素晴らしさだなと私は思う。コントロールを失った世界に句読点を入れることは難しく自分が壊れないための着地点を見出してもそれはすぐに踏みにじられる。子供を容赦なく殺す戦争は次のプロセスを破壊する行為だがいくらそうしたところでどこかで子供は生まれる。終わりのないものを終わらせる力を持つ小説が壊れそうな心に届けばいいなと思う。

作成者: aminooffice

臨床心理士/精神分析家候補生