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精神分析

お菓子、フロイト、『深夜特急』

野菜をくしゃくしゃ噛んでいる。長崎のカステラもある。昨日は出先でお弁当もお菓子も出していただきお土産までいただいた。我が家のお菓子ストックは今日も豊か。ありがたい。みんなで食べよう。今週末はたくさんの人と会う。

疲れたなと感じていたが感じないようにしていた。帰ったらすぐに読書会もある。が、いつも通りスーパーも寄った。フロイトの『フロイト技法論集』(岩崎学術出版社)の後半、 「終わりのある分析と終わりのない分析」(1937) を読んだ。アドバイザーとしての参加だったので何度も読むべき論文としてなんとなくみんなの疑問に答えた。何度読んでも発見の多い論文だ。フロイト81歳、死ぬ間際まで書き続けたフロイトは精神分析の限界をここで示した。それは精神分析の限界ではなくフロイトの限界だったがフロイトの死後も受け継がれた精神分析を作ったのもフロイトだった。彼は自分の手から離れて形を変えていく精神分析をどう思っていただろう。ラットマンと呼ばれたフロイトの患者は戦争で死んだ。フロイトの妹たちはガス室で死んだ。娘のアンナはゲシュタポに連れ去られたが戻ってきた。彼らはイギリスへ亡命して死んだ。国際精神分析協会のジャーナルThe International Journal of Psychoanalysisの発行場所はInstitute of Psychoanalysis, 112a Shirland Road, W1 2BT, London.今、精神分析の中心はどこになるのだろう。そんなものあるのだろうか。

沢木耕太郎の『深夜特急』を思い出した。あれは最初が香港編だと思うけどほんといろんな人が出てくる。中心ってどこ、と考えたらこの本のことを思い出すのは結構適切ではないか?私がシドニーで感じたあれこれも思い出す。やはり辛い。ミッドナイト・エクスプレスか。バス旅なのに。映画と関係しているのか。よく覚えてなくても思い出すもんだ。不思議だ。

うーん。書きたいことはどんどん出てきてしまうが原稿書こう。今回も一番最後になってしまった。あー。今日も長い。がんばろう。