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精神分析

とりあえずやってみる

昨日は仕事以外はだいぶぐったり過ごしてしまった。すでに暑さに耐えられていないのかもしれない。

学会の抄録を修正しなければ。あのスピードで書いてよく通ったなと思うが当然修正が必要だったか。PDFの修正ってどうすればいいのだろう。前にもやった覚えがあるがやり方を忘れてしまた。今やってみたらできた。送信。どうしてソフトによって字数が変わってしまうのかがわからないけどまあいい。とりあえず採択してもらえた。なんでもやってみるもんだ。

今昨晩の夢がパッと頭の中に出てきた。『虎に翼』の兄弟みたいな子たちが出てきた。伊藤沙莉の顔の演技がすごすぎていつも楽しい。ぎゅっと小さい顔だから余計わかりやすいのかしら。細かい筋肉を器用に動かせるのがすごい。

この前、日本精神分析協会の学術大会で候補生の会のパネルで発表したと書いたのだけど、会場からいろんな質問をもらって思った。たしかにみんなが心配に思ったり疑問に思うことって私も候補生になる前に思っていたことかも、でも忘れてたな、と。時間とかお金とか現実的なことはたしかに大変だった。でもそれよりも候補生になってからの分析が大変すぎてリズムができて以降はそういうことは気にならなくなった。開業して自分で調整できる範囲が増したことも要因だろう。でもなによりも精神分析が大変だった。つまり自分、厄介すぎた。今でも厄介だけど。あ、でも現実的なことはカウチでも候補生同士とも話せる環境だったからなんとかなっていたというのもあるか。こうして資格をとってみれば、というか訓練の修了が近づいてからは精神分析を良い悪いとは関係なく価値あるものと思えたが精神分析や制度に対する嫌悪や懐疑がなくなったわけではない。精神分析のというよりフロイト、ラカン、自分の分析家など個々の分析家の限界なんて当たり前にある。限界は何にでもあるし、それに対して色々思うのも普通だろう。学問は自分にとって収まりのよいものであっては困るわけで、そこに拡張の可能性を見出し現実化していく努力をしていくことが大切なんだと思う。私は学問の知というより体験として実質を伴わせたかったわけだけど。やってみないと何を自分が不安に思っていたかはわからないものなんだ、ということしか言えないけどそういう実感もやってみないと得られないから伝わりにくい、というのはもうしかたないこと。でもまあ現実的なことはどうにもならなくてもそれをどうにかしようと思えるような対話なら可能だろうからとりあえず相談してみるって大事と思う。シンプルに。今日も暑そう。がんばろう。