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精神分析

お菓子、夢、持続。

今朝は上野原のお土産。菓子処植松の焼きモンブラン。ここは「あんどうなつ」が有名。この日はすでに売り切れていたけどただで小さめのをもらえたとのことでそれも数日前に食べた。すごく美味しかった。久しぶりにキウイも食べたけどまだ酸っぱかった。タネがぎっしり。

今朝は松戸伊勢丹の狭い入り口の前の広い広場で自転車を止めた夢を見た。実際の松戸伊勢丹と似ていたけど違った。実際のといってもずっと前のだから今はわからないのだけど。というか調べたら閉店していた。平成30年、2018年に。そういえばそうだ。数年前に松戸に行ったときに知ったはずだ。思い出の場所だからみんなでそんな話もした気がする。夢だなあ。面白い。花火屋さんで花火を買って江戸川でやった。まだ10代後半だった。20代になってもちょこちょこ行っていた。あの花火屋さんはもうないだろう。友人が大変な病気になったと聞いてすぐ会いに行ったのも松戸だった。あれから何年になるのだろう。進行は早かった。同じ仲間内の彼女が突然亡くなったのはその数年後。あれからも随分経つ。近いうちに彼女のご家族と会う約束をしている。私は彼らに対していろんなことを後悔していることにまた気づいた。後悔しているとか言って忘れては気づく、を繰り返している。色々話したい。

精神分析家の資格を取れました、と友達や家族に報告したらとても喜んでくれた。長い訓練をずっと支えてきてくれた。「よく頑張ったね」という言葉がこんなに嬉しいとは思わなかった。「私はよく頑張ったのか?」とも思うが事実はともかくそう言ってもらえるのだから頑張ったのだ、きっと。トレーニングは日々のことすぎてひたすら淡々と繰り返してきた。これだけ時間がかかるとがむしゃらに何かを目指すという感じにもならないし「とりあえず今日もがんばりましょう」というのの繰り返しだった。トレーニングを終えてもそれは何も変わらない。ただ私を観察してくれる人の目が減る。後付けでならなんとでもいえるが臨床はその場その場での判断になる。精神分析はひたすら持続性のうちにあるのでやりとりと現象を正確に描写し仲間内で検討してもらうことは続ける必要がある。持続的な響きを言語化することでそこに複数の耳が現れる。そこでは私たちが積み重ねた響きは別の音として聞かれる。そうならざるをえないしそれを聴くことに意味がある。自分にはそう聴こえなかったものをどう聴いていくか。精神分析はどこまでも耳の仕事だと思う。もちろん視覚的な情報を使わないとかそんなことでは全くない。

お世話になった先生方、いつも応援してくれる友達、家族、みんなからの眼差しをとてもありがたく思う。しばらくお祝いモードで胃腸も継続的に使うから私の胃腸がんばって。まあこうやって何かと集まる理由を作っては遊んでるわけだ。感謝感謝。がんばりましょう。

作成者: aminooffice

臨床心理士/精神分析家候補生