カテゴリー
精神分析

非医師、非大学所属、女性であることとか。

雨がどこかを叩いたり引きずられるような音を立てている。どれもこれも雨。七変化。紫陽花も七変化と呼ばれる。四葩ともいう。私は俳句を作るとき、紫陽花より四葩を使うのが好きだ。

昨日、精神分析家に登録されたことをSNSに書いたら友人の坂田昌嗣さんが非医師、非大学所属、女性というマイノリティの立場の私が登録されたことは現在の日本の精神分析状況の突破口となるかもというようなことを書いてくれた。坂田さんは睡眠行動医学とCBTを専門としながら大学で働く男性なわけだが子供や女性に対する眼差しが温かいだけでなく実際に行動で示せる友人のひとりだ。精神分析はIPAのウェブサイトを見ればわかるように世界では女性が中心になりつつある。会長もこの数年ずっと女性だ。シドニーで各国からのパネリストと発表したときも全員が女性でそういう場では非常に対等に仕事をできていると感じる。もちろんそんな私たちが語るのは差別であり戦争であったりするわけだが。日本でも女性分析家は増えつつある。しかし坂田さんが書いてくれたように非医師、非大学所属の精神分析家はようやくという感じだ。もちろん日本の精神分析協会も変わりつつあり、週末の日本精神分析協会の学術大会で私たちのパネルに来てくださった方はお気づきだったと思うが発表者の性別も地域も職種もバラバラだった。たまたまそうなる程度に色々な候補生が増えているということである。それでも坂田さんが言語化してくださったことはありがたかった。同時に、個人で開業している非医師の女性臨床家が増えているのは先輩方の世代のおかげであることに改めて思い至る。精神分析家の訓練は受けておられなくてもいわゆる日本的な週一回の精神分析的心理療法をプライベートオフィスで実践しながらフロイトに始まる精神分析の知を毎週のセミナーや個人スーパーヴィジョンで長年に渡り多くの人に受け継いできた女性臨床家の先生方がいてくださったおかげで私たちはその流れに乗りながら自分の目指す方向を考えることができた。実際、私はその先生方に直接ご指導を受け、部屋もお借りするなど間近で学ばせていただいた。私が開業したときにはお祝いもいただくなどいつも背中を押してくださった。してもらったことを還元しようとするというのは人の心の自然な動きのひとつだと思うが、私も私のあとに候補生になった人たち、精神分析家を目指すわけではないがその知に関心を持ち臨床に活かしたいと思っている人たちにできることがあればと思い活動してきた。それが必ずしもいい方向に作用するとは限らないのが難しいところであるが似たようなまとまりとして存在する必要はない。むしろ一つの方向へぐっと引っ張る力のある存在が多かったことで家父長的と言われる状態が続いてきた面はあるだろうからそういう力と対等に対話できる相手としてバラバラと存在していくことも大事だろう。私はそういうあり方で私たちの居場所を作ってきてくれた先輩方へ恩返ししたいと思っている。精神分析の存続には精神分析家が増えること以上に精神分析という知に関心を持ち対話を続けてくれる存在が不可欠である。そしてそういう存在はありがたいことに実在する。もし精神分析の世界に飛び込めない理由が非医師、非大学所属、女性であるということであるならば少し安心してもらえただろうか。もちろん必要なら相談にものる。何かを諦める要因を少しずつでも減らしていけるようにいろんな人と協力していきたい。これからもどうぞよろしく。

作成者: aminooffice

臨床心理士/精神分析家候補生