ベッドから手を伸ばして窓を開けた。レースのカーテンを買わないと。あまり風は入ってこなかったけど鳥たちが面白いくらい賑やかだった。
友達ととっても美味しいイタリアンに行った。別の友人に教えてもらってからもう何回か行っている。聞いたことのない食材のお話も楽しいし、お皿もカラフルでユーモラスでとってもキュートでなにより美味しい。今回はご馳走してもらってしまった。お花もいただいてしまった。なんと。大好きな黄色とオレンジのお花。嬉しい。
私は日本精神分析協会に所属しているので組織の内側のことも組織というもの自体についても色々と考え、いろんな人と話す機会がある。週末もそんな話をしていて、事務作業をしてくれる人に場所とお金がしっかり払われる組織であるために、と考えればシンプルなのではとなった。今はなんでもレンタルで一時凌ぎがしやすい時代だけど次の世代のことを考えるのであればどこかに根付くことが大事。
根付くといえば、私は大学時代、重度の自閉症の人たちと施設で生活する仕事をしていて担当していた人を迷わせてしまったことがある。当時同年代の私たち。小さい私とすらっと大きな彼はいつもの感じで一緒にいた。時折すごいジャンプ力とすごいスピードで走ることはあっても戻ってきていた。なのにこの日はその勢いで山道を登っていくのを見失ってしまった。いつもの場所のいつものこと、だからなんだったのだろう。私の慢心だった。相手にとってはそうではなかったかもしれないのだ。生きた心地がしなかった。地元の人が知っていてくれたおかげで無事にまた会うことができた。大きく混乱するでもなくどこか遠くを見るように、しかし淡々と私の腕の方へ戻ってきくれたところで私の記憶は途切れている。彼らが言葉を話せたらどんな思いだったか教えてもらえただろうか。
さて、地域のつながりが大切というのは田舎では言葉にするまでもないが(つながらざるを得ない面もある)東京でも同様に大事だ。東京中心の学術団体における東京と地方で考える場合、東京にいる人が地方のためにできることはあるし、地方の人も東京にいる人にできることを提案してみる手もある。
GWに四谷にある小寺財団で狩野力八郎先生が残された本の頒布会があった。お知らせはTwitterだけだったのか知らないけれど私はTwitterで知って行った。初日は直接くる人のことを考え遠慮したが、数日後もまだ残っていた本から見繕って東北や北海道の友人に送った。もちろん普段から繋がりがあって「もし可能なら」という話をしていた。自分が受けられる恩恵をどこまでなら届けられるだろう、もしその場合どうやって、というのを考えることは楽しい。労力や金額の問題は難しいがそれももちろん考える。その頒布会の時に、東京の人はいいな、というような呟きも散見されたが本の写真をアップしてもらって自分で本の名前をリストにして着払いで送ってもらうことはできないか、とお願いした人もいるかもしれない。これは事務局の仕事ではない可能性があるからできるだけ負担をかけない形を提案しつつ交渉してみるというのは悪くないと思う。そういえば昔、鈴木晶が自分でそういう企画をしていてジェフ・ロヴィンの『怪物の事典』を送ってもらった。あれは有料の頒布だった気がする。
勉強会や研修が同じようなメンバーで入れ替わりが少ないのも組織の経済にとって良くないという話もした。今日はもう時間がないから書かないけどいろんなことは力動的に考えることができるので血の巡り(の話もした)と同じく滞ることに注意を払いながら健やかでいたいものである。とりあえず今日も。