雨。雨。雨。洗濯機の回る音が重なって水の中にいるみたいになってる。実際湿気に沈む。
昨日SNSで「これに怒った人はこれには怒らないんですか」というような構文?を見かけた。これを使いたくなるのは本当によくわかると思う一方、この論理は成り立たない、出来事が違う限り、人が違う限り、と思った。私もよく思う。自分が問題としている差別に対しては許すまじという態度で見知らぬ人にまで反応する人でもこちらが搾取されたと感じている人のことは信頼して何かとやってさしあげているのをみたりすると「これには怒るけどこちらは大好きなんですね」と思う。でもこれも成り立たない。その人の現実には起きていないことだから。
SNSは自分を当事者に置くこともただの他人にしておくこともたやすくできる魔法ツールみたいになって自分にはない正義を他人に振りかざしたり(正義って振りかざすものじゃないと思うからある意味納得だけど)、女を傷つけながらフェミニストと依存関係を作ったり(ある意味同じことやってるってことだけど)、他人から見ても酷すぎる言葉をはく人が数年後に訴えられたときには見える形でやりとりしていた人たちはシーンとしているとか(ある意味加担したくせにと思ってしまうけど)、理不尽だと言えるようになり、すごく真剣に取り合ってもらえる分野も増えた一方、相変わらず同じことが起き続けている。常に取りこぼしがあるのが現実だから仕方ない。もちろんどうにかしていきたい。
昨日は隙間時間に英語のレポートを書いていた。GWにシドニーであったアジアンパシフィックカンファレンスで助成金を申し込んだので、それを受け取るためのレポート。国際精神分析学会(IPA)とは独立した組織だけどかなり尊重されている団体として候補生からなる組織IPSOというのがあって、日本の候補生たちも全員それに所属している。私はそのIPSOのパネルのプレゼンテーターだったので助成金を申し込める、と友人が教えてくれたので年末年始せっせと申し込み用紙を書いた。英語でプロフィールを書くのも志望理由を書くのもとても大変だったけどなんとか書いた。日本精神分析協会で毎月行われている例会は英語でなんていうのか、とかそんなことから確認しつつ。そして先月、無事にシドニーで発表してその報告を書くのをまたもや忘れていてもう6月も後半になっていた。30日以内と言われていたのに。これも友人に「まだ大丈夫だと思う」と教えてもらって慌てて書いた。英語で2000語。日本語だったら字数だけはいくらでも書けるのに「え、これだけ書いて500語?」「え?まだ800語、もう書くことない」となってしまった。途中から同じことを言い換えてるだけみたいになってしまい自分のダメさに唸ったけど出すことが大事、と送信。あっという間に北米リージョンの担当の方から返事がきた。請求書のフォームと一緒に。ああ、せっかく書いたのにこんなにすぐに次の試練がくるとは。カンファレンスのことではいろんなやりとりを海外の担当者としたけどみんな恐ろしく仕事が早くて「ガーン」「ヒエー」となることが多かった。こちらが一仕事にやたら時間をかけて「やっと終わった!これで別のことができる!」と思ってもそんな希望を打ち砕くかのようなスピードで次のタスクがやってくる。ガーン。そもそもは私が別のことをしていてやっていなかったのが悪いとはいえ。ガーン。とか言ってるあいだにやったら?というお話ですね、ありがたいことなんだから。はい。週末のセミナーで担当している資料も読めてないしまずい。全部英語だし。もっとまずい。雨だし。どの地域も被害が出ないといいですね。どうぞお気をつけてお過ごしください。