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精神分析

アンドレ・グリーンの論文に『リア王』

南側の大きな窓からスーッと涼しい風が入ってくる。ペパーミントティーがますます爽やかで美味しい。賞味期限が今月いっぱいだからと保存食をもらったのでそれを半分食べた。カロリーメイトみたいな感じだけど美味しかった。

眠い。首が右側にどうしても傾いてしまう。疲れている。早朝から今度セミナーで担当しているアンドレ・グリーンの論文を訳していた。あと3ページ。間に合いそうではあるがただの作業になっているので咀嚼と消化のプロセスを欠いている。当日、口頭で補えるほどに読みこめたらいいけど時間がない。

昨日読んだ部分で『リア王』が出てきた時は楽しかった。カントと、というか、カントを引用したビオンの理論を説明するために出てきた。そうだよ、ここで『リア王』を思い出したってことはここにビオンだけでなくフロイトの色々も詰まっているってグリーンはよくわかってるからでしょ、もういいよ、これだけで。リア王、めっちゃ面白いもん、と思ったのに数行で終わってしまった。ほぼ直訳だがこの部分を載せておく。精神分析は文学、特にシェークスピアから学んでいることがとっても多いからそういう観点からの発表をいずれしたいなあ。でも日々の臨床の合間にこういう課題をひたすらこなしていると本も雑にしか読めないし、何やっても咀嚼と消化のプロセスのない経験になってしまいそう。咀嚼と消化、と言いたくなるのはビオンが消化機能をアナロジーとして使うから。さて私の雑な訳をここにおいておこう。すぐにどこかにいっちゃうから。アンドレ・グリーンAndré Greenの”The primordial mind and the work of the negative”から。

「ビオンは、いかなる推測の試みの前にも事実に対する絶え間ない関心を優先する。最初の登記registrationは絵文字(初期の物表象)である。もしこれが失敗すれば、感覚経験の形をしたβ要素は、視覚的イメージ(原初的表象)に変形されるのではなく、「things in themselvesものそれら自体」として感じられる。「thing-in-itselfものそれ自体」とは、ビオンがカントから借用した概念であるが、この精神分析的な文脈ではその意味はまったく異なる。ビオンにとって「もの」とは、「未消化の事実」であり、象徴化されていない経験であり、心的な出来事には少し及ばない生の素材であり、心的な精緻化にはそぐわない。私の連想のペナンブラでは『リア王』が思い出された。リア王が荒野で、ベドラムから逃亡した狂人に変装したエドガーに会うと、堕落した王と愚か者、そして哀れなトムの間で奇妙な会話が始まる。哀れなトムはリアと同様、すべてを失ったように見える。彼は荒野に裸で立っている。リアは彼に言う。 おまえだけが人間そのものだ。」(『リア王』3, 4, 106)。これは、カントがこの言葉を夢見るずっと前のことである。」

ーーCHAPTER EIGHT The primordial mind and the work of the negative –W.R. Bion Between Past and Future Edited By Franco Borgogno, Silvio A. Merciai, Parthenope Bion Talamo,2000

アンドレ・グリーンAndré Greenのこの論文は1997年7月29日、IPA第40回大会(バルセロナ)W.R.ビオン生誕100周年記念のオープニングレクチャーをもとにしている。ビオンはカントを自分に寄せた理解で使用しているから哲学をここから学ぶことはできない。でもグリーンが連想してくれたリア王のおかげで言いたいことはなんとなくわかった。というか精神分析の本質はシェークスピアの引用でだいぶカバーできる、とフロイトだって思っていたのではないのか。そんなことないのか。『リア王』読みたいし、舞台も見たい。でもやらなくては。なんか今日は肌寒い。薄着だと少し寒いね。風邪ひかないようにしましょう。

作成者: aminooffice

臨床心理士/精神分析家候補生