雨。昨晩から頭痛がひどい。東京も梅雨入りしたのだろうか。ここ数年、いつのまにか梅雨入りしている気がする。雨雲レーダーの水色はきれいだけど雨は嫌。
羽二重餅をもらった。久しぶり。たぶん、子供のときにも食べてるけど自分で旅に出るようになってその土地の名産としてお土産に買っていく方になってから意識された羽二重餅のインパクトは大きかった。とてもきれいで名前とぴったりで求肥というのも素敵だった。身近に求肥好きさんがいるから絶対喜ばれるお土産にできるのも嬉しかった。東京にいれば現地で買わなくても名産品を買うこともできるがお土産というのは中身がなんであれその土地の話をセットでお土産。あれこれ選ぶプロセスも楽しいし。気に入るとデパ地下でかっちゃたりするけど。
昨晩はオフィスで開催しているReading Freudというフロイトを読む会で 岩崎学術出版社の『フロイト症例論集2 ラットマンとウルフマン』からラットマンの方を読んだ。論文の正式な名前は「強迫神経症の一症例についての覚書」。1909年フロイトが51歳の時に書かれたものだ。
以前ブログに「その後」ということでこんなことを書いていた。すっかり忘れていた。
「死に方には色々あるし、いつどうなるかは誰にも分からないけど、できたら「その後」を死以外のなにかで伝えたり、伝えられたりしたいな、と思う。」
というのは本当にそう。後世の論者はフロイトはこの治療成果に満足していたという人もいるが、病歴の記述からはあまり満足感は見出せない。同じ人物に愛と憎しみを向けてしまうことから逃れられず苦しむ強迫神経症患者の描写は途中でやたらスッキリした感じで記述されるがこの病歴の最初と最後はかなり錯綜している。途中までは詳細な記録も残っており、それは別の本として出版されているが、途中からそれが途切れることも含め、ある時点からフロイトはこの患者を強迫神経症の患者として以外に見ることをやめている。数なくとも理論の確率を目指すこの論文の記述内では。論理的なフロイトらしくない雑な理解が突然挿入されたところにももやもやした。しかしこれは私が「いつものフロイト先生ならこれはこう考えるんじゃないですか」といいたいだけで、フロイトはいつでも「いつもの」なわけではないのだ。この前も書いたが「いつもの」なんて自分がそう思ってるにすぎない。など色々考えながら彼はこの患者に相当揺さぶられたのだろうと思った。フロイトはのちにフェレンツィに指摘されるように自分に向けられた憎しみを扱うことができない人だった(自己分析では可能だったのかもしれない)もちろん精神分析という設定の中で生じる憎しみは日常のものとはかなり異なり、客観的な記述を阻むものなので書かないというより書けない、扱わないというより扱えない、扱うにはどう理解すればいいかがわからない、だって形がない、ということになる。できるのは憎しみの対象として憎まれながら言葉だけなにかやりながらともにいることだけなんだから。この病歴の中でフロイトが「私たち」というところが2回あるが(実際にはもっとあるかもしれないが印象に残ったのが2回)これが患者の転移対象としての私と患者のことなのか、単にフロイトを怖がって歩き回りながら話す患者とそれを眺めるフロイトのことなのかよくわからなかった。印象からは後者だ。途中にフロイトが初めて見た強迫神経症患者との関わりが挿入されているが、そこでにフロイトは私が「いつもの」と考えるフロイトであって「それは害なのにご自身のこれは害と思わないのですね」というようなことを言える人だった。実際の文章は異なるので事例とともに本で確認してほしい。もやもやしているうちに私は、フロイトはいろんな症例に対して自分が信じる精神分析をしながらそこで生じることにかなりまいったのかもしれないな、と思い始めた。後世の私たちはこれを陽性転移に導かれてよくなった事例と思っているが症状がなくなったという意味ではよくなっているが現在の精神分析は症状の消失は同時に起こるものであるが、それと同時に流れていた人生の方が分析対象となっている。フロイトも随分もやもやしたのではないだろうか。私たちが陽性転移と言ってるものはフロイトが精神分析が持つ軌道を外れようとする力に気づき、技法において能動性を抑えるという意味での受動性を維持するということにかなり意識的になったことに対してなのではないか。憎しみを捉え、抱えていくにはまずその憎しみに浸される必要がある。しかしそれは患者にも分析家にも双方の心に大きな負担となりリスクも伴う。フロイトが描写した強迫神経症の患者がひとりでやっているこのぎりぎりの攻防の相手を能動的に買って出ることはできない。とりあえず開腹手術をしてみたらあったので取りました、というものでもなく、そこに何もないのだけど何かが生じているという事態に持ち堪えつつそれが展開されるのを待つのみ。これは医療ドラマでもある話だろう。身体も心も単純ではない。ラットマンは戦争で死んだ。精神分析がどんな効果があろうとなかろうと人は死ぬという事実によってフロイトが悲観的だったとは思わないが、人の心に関わるということの重みをフロイトは症例を通じて痛感していたのではないか。しかし「だからこの部分は扱わない」といえるほど私たちは色々わかっていないわけだからずっとずっと迷うのだろう。動かそうと思って動くなら、止めようと思って止まるなら気楽でもいられるが一度動き出したらその先は未知でしかない、ということを学び直す機会になった。もやもやしすぎて頭痛がしているのかもしれない。今日もがんばろう。