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精神分析

記憶とか予言とか。

洗濯機の音。鳥の声が遠い。なんだか最近自然が足りない、私には、と思い窓を開けた。鳥の声がよく聞こえる。涼やかに鳴いておられる。涼やかに「泣く」ということはあまりないのにね、と思いながら「爽やかに泣く」はあるな、と思った。お湯は沸かした。部屋をキンキンに冷やして熱々の飲み物を飲みたいな、と一瞬思うが夏のカフェであっという間に冷えて退散する自分を思い出す。リュックにはいつも薄い上着を2枚常備、さらにいつも薄手のを羽織ったり手に持ったりしている。時々これらを全部着込んで作業をしていることがある。ここ数日やっていた翻訳(といっても下訳作りくらいの粗さ)も一気にカフェでやりたかったがなんだか先週はそういう余裕もなかった。なぜだったか。気持ちの余裕か。過ぎ去った日々は過ぎ去った日々。あとから思い出せる分だけでも、と書きながら土曜日はフロイトを読んだ。昨日はとても素敵なお祝いをいただいた、など近いところから思い出してきた。だからなに、という記憶もニコニコする記憶も思い出し笑いする記憶も色々あるな、記憶には。

アンドレ・グリーンがちょっとだけ引き合いに出した『リア王』を河合祥一郎の角川、新訳版で読んだ。訳すときもここから訳を借りた。坪内逍遥の血筋(忘れてしまったが坪内逍遥の兄のなにか。ひ孫?)。遺伝ってほんとどんな感じ?と思うがすごいことだ。グリーンは色々断片的に引用していたけどやっぱり色々なものは全体を読むに限る。『リア王』、本当に悲劇中の悲劇だと思うけど道化とか狂人に扮するエドガーとか本当にユーモラス。『テンペスト』のキャリバンとかが子どもならではの軽妙さと切実さで突きつけてくる言葉もとても好きなんだけど『リア王』はみんないい。リアやコーディーリアをどんなふうに演じるのか想像するのも楽しい。最近見てないけど『光る君へ』でユースケが安倍晴明を演じてるからこそもっと道化っぽくてもよくない?と今ふと思った。なんか割と確かな予言より予言なんてできないよということを確かに予言していくイカサマと真実の間にいるのがああいう存在として面白いのでは、と思った。安倍晴明のことよく知らないから適当だけど。

今日も苦手な作業をしなくては。思い出さなければよかった。いや、思い出せてよかった。やらねば終わらないのだから。はー、世知辛い。それぞれ頑張りましょうね。