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精神分析

人もミミズも。

きれいな声の鳥。左耳で聞いていたらカラスの声が両耳に入ってきた。ハーブティーを入れた。少し冷ましてから飲む。美味しい。氷を作っておく習慣がなくなってから久しい。今年も麦茶を作って冷やしておく季節がやってきた、と思ってからもそれなりに経つ。だってまだエアコンをつけず窓を開けたままでもこうして温かい飲み物を楽しめてしまうから。昨晩は風がとても気持ちよくて色々な窓を開け放していた。フランス語の勉強を始めたらまたOS混乱みたいになって処理速度がグッと落ちた。しかしそのせいか、ずっと取りかかれずにいた同窓会幹事としての事務仕事を淡々とできた。一年前にやるべきことだった。文面の確認をしてもらったのが年明け。あとは印刷して封筒に入れて住所書いて郵送すればいいだけだったのにちょっとこだわっていたらどんどん時が過ぎてしまった。真夜中にだいぶ進んだので今日の隙間時間でようやく仕上げられそう。切手代が相当かかるからそれをどうするかはみんなに相談してみよう。秋にはみんなで集まれたらいいな。

昨日、内藤礼の展覧会のことを書いたけどあとから資料読んだら東京国立博物館でやることに意味があったらしい。私はその意義はあまり感じなかったな。というより最初の展示室に入る前に個別に注意事項を確認されるのだけど作品のためという感じは全くせず人に対して何かを伝えるというよりとりあえずチェック事項全部こなす感じでなんだか調子狂って嫌だった。豊島美術館のように場所とともにあるという感じではなかった。係の人はやるべきことをやってるだけに違いないけど。私も展示室に入ったら忘れたし。八戸市美術館でもそういうのが必要な展示があったのだけどそこではワクワク感が募った。こういうのもコミュニケーションだと思うし、作品へのリスペクトと繋がっていると思う。やや不愉快な気持ちのまま細長い展示室を抜け、常設展示がされているガヤガヤしたスペースを抜け、大きい方の展示室に入って感じたのは人の動きも作品の一部になるということ。いろんな人が静かにゆっくりした動きで作品と関わるのをスッと引いた視点で眺めたときに「ああ」と思った。私たちも自然の一部なんだなあ、同じ空に抱えられながらすれ違い同じような景色と出会ってでもそんなことほとんど意識も共有もせず毎日過ごしているんだなあと思った。人の蠢きを思い出しながら最近何度かみかけた大きいミミズを思い出した。我々の始祖たるミミズ(大きくみればそうだよね?)がアスファルトで焼けつかないように耕せる土地を残していくことと人と丁寧に関わることは同じものとして、もともと我々に備わっているものとして身体感覚として思い出していきたい。適当な繋げ方をしてしまったのはもう時間がないから。そんなではいけない。まあ、がんばりましょう。このあとは暑くなりそうね、気をつけましょう。