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精神分析

冬帽子、女が書く場

今日は朝焼けが見られる。すごく寒くなるというのは明日から?今日から?今年は筋トレで代謝が上がった、とか言っているけど私の厚着は尋常ではないので単に厚着のせいかもしれない、と昨日少し不安になった。昨日電車でそばに立っていた男性二人(無関係)が電車の揺れによろめいた。二人とも似たようなあまり見かけないよろめきかただったので思わずパチクリみてしまった。一瞬笑いそうになってしまったが失礼なので一句したためた。「ドリフかよコケる男の冬帽子」(季語=冬帽子)。ドリフももう通じないのかもなあ。

ボーヴォワールとか読んでて、というか女が読むこと、書くことについて興味と必要性を感じている私はふと心理学や精神分析の雑誌に有名ではない女の投稿欄がつくられたことはあったのだろうかと思った。新聞の投書欄とかは今もあるよね。昔の雑誌はそういう欄多かったと思う。以前、金剛出版から出ている『臨床心理学』に「女性の発達臨床心理学」という連載があってこれは書籍化もしたと思う。そういうテーマに特化した連載もいいけどもっと気軽に投稿できる場、というか、やっぱり現場を一時的に離れている人が気軽に、「日常という視点から」学問を語る場はあった方がいいのでは。フロイトだって日常生活から学んだわけだし。SNSはもう良くは機能しないと思うし、私は信頼できない媒体を育てるような課金とかもしたくないし、その場を使うこともできるだけ避けたいと思ってる。でも私はこうやってダラダラ書くのがほぼ趣味だし、特に誰に見てもらいたいというのがない人はこういう個人の場でいいと思うけど、多くの人はもっと知ってほしい気持ちを抱えているわけで、特に女性にはそういう場が少ない。育児しながら、障害や病気を抱えながら専門家として感じていること、学んでいることはたくさんあるはずで、それを短いエッセイやコラムやSNSとは異なる「つぶやき」コーナーに投稿してもらえたら心理学と日常生活はもっと多様に繋がれると思う。今は決まった人ばかりが書いているけど人はものすごく異なる体験をそれぞれがしているわけだからそこからの実感を専門的な視点で言葉にしてみるという場を作れたらいいなと思った。ストレスマネジメントとか、ブランクからの復帰の様子とか、女であることの大変さ、とを女だから体験したこととか共有してもらったら研究にも臨床にも別の視点を持つことができるかもしれないしさ、とな。これも虚子が「台所俳句」の雑詠欄をつくって女性たちを俳句の世界に引き入れたことは大きな業績だよなあ、と思ったから。和歌の世界には錚々たる女性メンバーが育ったのに俳句は男ばかりだったからねえ。今や女の方が多いわけだけど。とにかく今はまだまだ場を作ることの方が大切な時代であって女の場所はとにかく制限されているという自覚を援助職である専門家こそ強く持つべきではないかと私は思っているのだな。ウェブ記事よりまずは専門家向けの雑誌のコーナーとしてやった方がいいと思うんだなあ。慣れていないことをやるときはある程度小さい集団を対象としたほうがフィードバックも感じやすいし書いた側の安全感も守りやすいと思うから。私がオフィスでやっている勉強会は男性もいるけど女性の方が多いので彼女たちが主体的に言葉にできる場を作っていかないとなあと思うことも多い。自分で開拓するにはハードすぎると思うよ、現状。声の大きい言葉の達者な人たちでなくてもこの仕事は言葉で伝達されているものなのでその表現を拾う場が増えたらいいなと思う。モデルって大事だから。

今朝は雑炊を食べてぽっかぽか。暖かくして過ごしましょうね。