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精神分析、本

ヒヨドリ、引用、松木邦裕『パーソナル精神分析事典』

洗濯物を干しながら鳥が鋭く鳴くのを聞いた。ヒヨドリだ。ヒヨドリの赤いほっぺをきちんと見たいが下から眺めてばかりだからいつもシルエット。カラスも遠くで大きな声で鳴いている。昨日、ゴミ捨て場の花壇に大きなカラスがとまってキョロキョロしてた。私が真横を通っても何も気にしていなかった。そのキョロキョロに意味はあるのだろうか。カラスはペアで見ることが多いからもう一羽を探したけどいなかった。その日はソロだったのか。今週末に向けて準備しなくてはいけないものがあとひとつになった。ほかにもあるのかもしれないが覚えている範囲では。

溜まりに溜まった資料を片付けなくてはと手に取ったら読み始めてしまうといういつものことを始めてしまった。2005年9月の『現代思想』(青土社)「特集=女はどこにいるのか」の岡野八代「繕いのフェミニズムへ 」の後半。今度、私が発表しようとしていることと近い。私はジェシカ・ベンジャミンもカントも引用しないけど。カントはこんな感じで読めるのか、と学びつつ、この論稿での引用、参照のされ方って精神分析が批判されるときの言葉の使い方と似ているなと思った。二元論を超えることが二元論を際立たせることもあるから受け取り手とともに考え続けることが実現されないと結局対立みたいになりがち。こういう場合、必要なのは発信側がより頑張ることではなくて受け取る側がいろんな可能性に開かれていることだと思う。自分が欲しいものを受け取れなかったらつまらないとかわからないとか別のもの出せ、とか簡単に言わない受け取り手でいたい。自分の方でできることだってたくさんあるし。第三者からみたら二人は鏡に見えるけど、みたいなことはたくさんあるのだから視線の先をぼんやりみたり聞き流しながら捉えたりすることができたらいい。覚醒と夢想。ビオンはやはりすごい。

ビオンといえばこの前、精神分析家の松木邦裕先生の『パーソナル精神分析事典』をパラパラしたのだけどとても面白かった。それこそ松木先生のパーソナルな部分がちょこちょこ読めるのが面白い。こういう本読んでるんだ、とか。あとはビオンの箇所。松木先生のビオンに対する講義はたくさん聞いているので慣れていて読みやすいというのもあるけどこんな簡潔に書くまでにどれだけの咀嚼が、と尊敬の念が深まった。いいなあ。私もフロイトとウィニコットを少しずつでいいから深めたいな。少しずつとか言っているとああやってまとめることは全然できないから教えるなかで生かしていけばいいかな。

朝起きてすぐ家事をしていたら暑くなって半袖になったのに今寒い。ヒヨドリがまた近くで鳴いている。昨日は寄り道をする時間がなかったので今日はしたい。どうぞ良い一日を。

作成者: aminooffice

臨床心理士/精神分析家候補生