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精神分析

言葉。

早朝は少し涼しい。日中の暑さもそろそろ和らいでほしい。

「週刊新潮」の連載コラム「変見自在」は今のところ差別をはっきり認めたり謝罪したりしないまま終了するらしい。多くの作家が声を上げてくれたから知ることができた事件。時代が変わってもこうした振る舞いは止まらない。朝ドラ「あんぱん」では読者にウケる辛口記事を書く蘭子に八木さんが至極論理的なことを言い蘭子はきちんと心揺さぶられ、思考する方向へ動いたが、何を言われてもしてはいけないことをしたと思えない、というか、本来してはいけないがこういう場合はしてもいい、というルールを持っている人も一定数いる。小さい子が罪悪感いっぱいになりながら自分の正当性を主張するのともだいぶ違う。思ったとしてもいう必要のないことをあえて言葉にするのは悪意だ、ということもできるがそれも立ち位置を変えればむしろそう捉える方が悪意だ、みたいになる。それでも、なんとでも言えることに対して何かを言っていくことは大事だろう。

一方、言葉をそのまま受け取らなず、何がどうなってその言葉が発せられているかにも注意を払いたい。精神分析は頻回の設定によるカウチでの自由連想という方法で「あれ、なんで今このこと思い出したんだろう」「なんで今この言葉を使ったのだろう」ということが生じてくる。そしてそれに対する抵抗がまた別の言葉をうみ、過去の出来事はそれまでとは違う形で想起されたりするようになる。もちろんそれは現在と未来にも響いてくる。今見えているものとは全く別の何かとの思いがけない出会いは最初は相当きついのが常だ。抑圧という機制は人間の心を守るために絶対に必要だった。言葉はそれを巧みにやってのけるがそこにもその人らしさが出るのでそこもアセスメントしている。みているのは言葉の内容ではなく言葉の使用の仕方と言ってもいい。精神分析は少なくとも2、3年は受けた方がいいと感覚的には思う。私は分析家になるために行けるとこまで行きたいという感じがあり相当長く受けたが、人生の生業を別の場所に置く場合はあまり長いのは現実的ではないだろう。

鳥がすぐそばで鳴いて去っていった。静かな朝。こんな暑くてもすっかり秋を感じる毎日。不思議なものだ。

良い一日になりますように。

作成者: aminooffice

臨床心理士/精神分析家候補生