夜中、雨の音で目が覚めた。今も結構降っている。ひどくならないといいがほかの地域はどうなんだろう。
今朝は野木亜紀子脚本の「連続ドラマW フェンス」をみていた。昨年映画「ラストマイル」をみて、それを楽しめるように関連ドラマ「アンナチュラル」「MIU404」もみた。どれもおもしろかったけど「ラストマイル」はそういう準備もして、かつ映画館で見たから面白かったという感じかも。昨年だったら友達に勧められてみた篠﨑絵里子脚本(子鹿ゆずる原作、大槻閑人(漫画・作画)「アンメット ある脳外科医の日記」の方がよかったかな。テレビドラマだと女性の脚本家が活躍しているようにみえる。
それにしても私のMacBook AirOSはもうだめかもしれない。Apple Storeに行くと「ヴィンテージ!」と「今はここにこんなのないんですよ」とか嬉しそうに教えてもらえるが高値で引き取ってもらえるわけではなく故障したらしたで「もう部品がないかも」と言われ続けながらなんとか生き延びている。OSはMonterey12.7.6からアップデートできないので入れられないアプリも増えてきた。どうしよう。でもこうやって動くうちは使い続けることは決まっている。
映画『HOKUSAI』監督は橋本一、脚本、橋本一、河原れん、葛飾北斎の青年期を柳楽優弥、老年期を田中泯が演じ、この切替の仕方は大胆ながら自然。大河ドラマ「べらぼう」のおかげで私の中の江戸文化年表の基準となった蔦屋重三郎も登場。阿部寛が静かな迫力(背の高さだけでもインパクトある)があって素敵だった。それにしても田中泯の動きがとにかく素晴らしい。表情も含め、全部が躍動している。鬼滅を見ながらも思ったが筋肉を全部動かせたらいいのに。筋トレしていると驚くが、自分でコントロールしながら使っている筋肉のわずかなこと。それでも少しずつ使い方うまくなっていると思うけど。肩こりとかは全然なくなって美容師さんにも驚かれた。今日は台風のせいだと思うけど身体が変。頭痛には耳くるくるマッサージをした。耳も大事ね。身体はみんな連動して補い合っているはず。そういう部分のひとつひとつに注意を向けられたら器官言語みたいに多義性が上手に伝われる言葉を紡げるのかもしれない。
昨日、クリストファー・ボラスが読めない、ということを書いたが、ボラスの精神分析以外の仕事に目を向けると、あ、なんか読めるかも、という感じになり、少し読み進めた。ボラスのいう
The Evocative Object はウィニコットの移行対象の変形だと思うが、より動的で情動に関わるものらしく、ウィニコットの使うingをくっきりと浮かび上がらせる対象のように思う。ボラスとグリーン、ボラスとオグデンをつなぐのもこういった対象の機能なんだろうな、と思うとなんかわかる気がする、という感じになった。ボラスもオグデンもアメリカにしっかり根ざしているのに英国精神分析に馴染んでいるというところに独特の香りを感じるのかもしれない。英国精神分析は豊かだよね。
ということで今日は台風に気をつけつつ過ごしましょう。