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自律神経、『W・R・ビオンの三論文』

朝焼けがきれいだった。でもまだ早くて「自律神経を整えるには」と考えながらぼんやりしていた。南の窓からの風が冷たくて気持ちよくて離れたくなくてベッドに本を持ち込んでみたけど寝っ転がってぼんやり本を読むのが昔よりずっと億劫になってきた。好きなものを両立できないって悲しい、とか思いながらしかたなく起きて家事をした。今日も印度カリー子レシピにするか。きのこも色々買ってこよう。一年中食べてるけどやっぱり秋の食材といえばきのこでしょう。とはいえこの前どこかのファミレスで松茸のメニューがあって松茸はここで食べなくてもいいかなあなど話した。特別感あるものは食べられたら嬉しいけど食べなくてもいいし食べるなら特別な感じで食べたいとか思う。

日曜日は唯一早めに夕飯を食べられる日なのでダラダラ食べてしまった。夜に作業をする時間があるぞ、と思ったのに気づいたら寝ていた。ぼんやりやリラックスが得意なのはいいけど、私が個人的に怖いのはそれで消化が悪くなること。胃腸の働きを正常にしたい。色々気をつけているんだけどな。

こうしていてもなんかいつもと違うリラックスがほしくてラジオをつけてみた。昔は朝はずっと聴いていた番組。ラジオの台本を書くバイトに応募しようとしたこともあった。なんでしなかったのか。当時は今よりずっといろんなもの書いていたし、エネルギーあったから出しちゃえばよかったのに。採用されなくてもいい経験になったかもしれない。私のことだから郵送(当時はなんでも郵送)が面倒だったのかもしれない。すごくありうる。変わってない。

昨日、寝落ちする前に開いていたのは、昨日書いたフロイト「心理学草案」がらみで『W・R・ビオンの三論文』(2023,岩崎学術出版社)。この翻訳も日本の精神分析家の福本修先生。編者のクリス・モーソンは2020年に急逝。ビオンの二人目の妻、フランチェスカとともにビオン全集の編集に関わったクリス・モーソンの仕事を引き継げる人なんているのだろうか。この本は各論文(講演記録)にクリス・モーソンの編集後記がついていて、本の半分くらいの分量があるのではないか。そこがおすすめ。いろんな事情や背景やいろんな資料があるんだなあと驚くし、その内容も勉強になるし面白い。序言はロナルド・ブリトン。

昨日は午前も午後も別のグループで事例検討会をしていた。午前は初回面接のグループ。午後は仲間内で定期的にやっているグループ。ビオンは第一論文「記憶と欲望」(1965)で「臨床報告」と呼ばれるものは現実の経験だったものの変形物だという。でも、とビオンはそこを入り口にもっと広い問題を語っているので部分的に引用することはしないけど(したいけど)、ビオンがこの講演の中でフロイトに倣って言う「人は本当にほとんど盲目になる必要がある」の部分に関してフロイトを引用しておこう。いや、フロイトを引用しているモーソンの編集後記を引用しよう。

「フロイトは一九一六年五月二五日(原注だと五月一三日)のルー・アンドレアス=ザロメへ宛てた手紙の中で、それに言及した。フロイトが手紙で述べているのは文章を書くという行為についてだが、彼が「私は、すべての光を一つの暗所に集中させるために、意味のまとまり、調和、修辞そしてあなたが象徴的と呼ぶあらゆるものを放棄して、自分自身を人為的に盲目にしなければならない」と書くとき、彼は明らかに、精神分析的な注意自体に言及していたーーそれは、分析者が「自分自身の無意識を受信機のように、患者が送って来る無意識に向ける」(フロイト、一九一二、一ー五頁)ことを可能にする、平等に漂う注意にとって必要な条件である。」

フロイトを読んでいるとビオンの言っていることの含蓄も実感する。ビオンの方がフロイトより心揺さぶる書き方してくれるし。ウィニコットほど変なマイルドな感じがしないし。どの書き方も好きだけどビオンの誠実さは特に好きだな。原著で全集を買ったのはウィニコットの方だけど。

もうこんな時間だ。今日も暑くなるんだって。ただでさえ夏の疲れが残っているでしょうから無理せず過ごしましょう。お元気で!

作成者: aminooffice

臨床心理士/精神分析家候補生