今日は十月八日。寒露。暦の上では晩秋となる。熱いお茶でちもとまんじゅうをいただく。あと柿も少し。
帰るのはそこ晩秋の大きな木 坪内稔典
寒露か、と思い、オフィスのそばの大きなシイノキを思い出した。殻斗にシュッと乗っかったどんぐりがきれいでよく写真を撮っている。昨日のブログの写真に載せたかな。
団栗の俳句は転がるのが多いけど私がみている団栗はあまりコロコロしなさそう。というかまだ木の上にいるのをよくみている。
団栗を押し傾けてうごく蜷 岸本尚毅
季語が二つ入っていても実景なんだと思う。こう動かされてしまう団栗の俳句はいいな。すこーしだけうごく。岸本尚毅の時間感覚は多彩。
疲れているとろくな話をしないわけで、昨晩の私は「ごんぎつね」と「てぶくろをかいに」を混同しており、どちらの狐も殺されてしまった。よくよく思い出すに、ごんのお話は子供があるおじいさんから聞いたという設定。「てぶくろをかいに」はお母さん狐の心情が主。と考えるとこの二つを同じ作者が書いていることは大変面白い気がする。
「ほんとうに人間はいいものかしら。ほんとうに人間はいいものかしら」
永遠の謎な気がする。新美南吉記念館が愛知県だと知ったので今度行ってみたい。
昨日は、茨木のり子のことを考えていた。蠍座を思い出したから。彼女は動員で東京の薬品製造工場にいくのだが、そこへの夜行列車を待つ駅でぎらぎらした蠍座を見た。「はたちが敗戦」という有名なエッセイの一場面。茨木のり子の『詩のこころを読む』(岩波ジュニア新書)は詩を書いていた思春期の頃の愛読書だった。茨城のり子の本がうちにあるのは知っているがどこにあるかがわからない。読みたいなあ。この前終わったNHK朝ドラ「あんぱん」の主人公のぶは茨城のり子みたいだと私は思うが、お父さんとの関係がだいぶ違う。
自分の感受性くらい 自分で守れ ばかものよ
も有名だが、これは自分への怒りだろう、と読んだ。
ハングルに惹かれて50代から言葉を学び、『韓国現代詩選〈新版〉』(亜紀書房)の編者も務めた茨木のり子。斎藤真理子の解説でこれらの訳業が省略などの手直しを含んだものであることを知って驚いた。さすがに自らも詩人であり、取り上げられた詩人たちの交流もあると言葉への意識が研ぎ澄まされている。昨日か一昨日も書いたように言葉は内容ではない。
空がオレンジ色を増してきた。良い一日になりますように。