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精神分析

怖かったりのんきだったり。

朝焼けはまだ。東の空も暗い。早朝の家事を終えて少しぼんやりしていたら少し冷えてきた。暖房をつけた。旅に出ると早朝は散歩に出かける。西は日の出が遅いことを実感する。季節によって太陽がのぼったり沈んだりする方角が変わるから一概にはいえないけれど、佐賀に行ったときだったか、早朝まっくらななか散歩にでてしばらく歩いて宿に戻るまでずっと暗くてびっくりしたことがある。それにしてもこれだけ熊に襲われる事件が相次ぐと早朝気楽に外に出ることも難しくなるだろう。低山ハイキングも毎回びくびくしているが用心するなら行くなということになりそうで怖い。青森で温暖化怖い、となって、山に行っては林業の衰退によって放置される森林を目の当たりにし、東京にいたって本当にどうしたらいいんだ、ってなるのに熊とそばに住んでいる人たちに対してなにができるのだろう。お金のない国になりつつある日本(ということは格差が広がりつつある社会ということ)で弱っている人、困っている人たちが優先されるということは起こりうるのか。いまだかつて起きたことはあるのか、といえば部分的には起きているだろう。東京都の子育て支援は手厚い、という場合にその手厚さがなにを示すかは検討が必要なように。手厚い部分は残しつつ、それが広く長く生活に良い影響を与えていくにはどういうシステムが必要なんだろう。まずは排他的ではない政治家を選ぶところからだろうか。毎日、ニュースをみれば憂鬱になるし、かといって無邪気に知らなったともいえない。見たくないものが増える社会でも発見されるのを待っているなにかを探し出していかないとだが。うーん。

いろいろ考えるとあれ食べたどこ行った空がきれい仕事大変とかいっていることものんきすぎるのか、とか思えてくるが、そんなはずはない。自分の生活を自分なりに営むことをやめてはいけない。

今朝は札幌市のほんまさんの「寒月」というどら焼きをいただいた。友達が成城石井で買ってきてくれた。熱いままのお湯でいれてしまった新茶と一緒に。いつも誰かと会うたびにお菓子交換みたいなことをしている。そういうことやめたくない。コロナ禍みたいな制限も嫌だし、用心のしかたもわからないまま制限されるのもするのもつらい。旅行もやめない。人間界を長い目でみれば移動は必要。暴力的ではない行為で経済的にも豊かな国になるにはまず暴力的、排他的な思考をやめること、と思うが、自分のことだけ考えてもそういう気持ちが蠢かないといえば全然うそになるので理性を働かせるためにも人と会っていきたいと思う。すぐに悪意にとられる世界にまきこまれたくない。言葉じゃなくても伝わる良い部分を大事にすることかな。言葉にするからどんどん大変になっていくのかな。うーん。とりあえず今日もなんとかやろう。

先日みたM&OPlaysプロデュース、岩松了作・演出『私を探さないで』の舞台のことを書くつもりだったのにひとことも演劇に触れない文章を書いてしまった。岩松作品と河合優実は絶対相性がいいと思ってとって、誰が出演するかもよくわかっていなかったがシャープな勝地涼と気怠いキョンキョンがすごくよかった。ああ、だめなまま、足りないまま、時折、思い出したくもない昔に心揺さぶられたりしながら生きていきたい、とこういう舞台をみると思う。難解といわれる岩松作品だが、私はそこは全然気になっておらず、いわれてみれば毎回確かにそうなのだろうと思うが、なんでもかんでもわかろうとするから難しいのかもよ、と思ったりする。ビオンを難しい、わからない、と言い続けることとも似ているかもな。

どうぞ良い一日を。