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精神分析

青森で学んだこととか人新世、公共空間とか。

湿気がひどい。玄関がタプタプしているような感じがして除湿器があるのを思い出した。ワイド、8時間タイマーでかけた。きっともう水がいっぱいになっている。

なのに目が覚めたときにふと冬を思い浮かべた。鰯雲を見た。鈴虫の声を聞いた。もう夏ではない、という感覚がどんどん季節を先に進めている気がする。もう何度も何度も繰り返してきたことだから。それなのに毎年この暑さに慣れることはない。先日、青森県の下北半島を主に回ったがそれまで扇風機しかなかったが慌てて冷房を導入したという話や扇風機しかないからお客さん倒れちゃうから店を閉めてたという話を聞いた。浅虫水族館では今年4月から環境問題やSDGsについて学ぶことができる「アクア学びうむ~豊かな地球を未来に~」が企画展から常設展示に変わった。青森でとれる魚の種類も変わってきているそうだ。人新世(Anthropocene)はまだ既成概念ではないようだが地球環境や気候変動に対する人間の関与は実際どの程度であり、これから関与できるとしたらそれもまたどの程度なのだろう。その土地で主に食べられていたものが変わっていく。それは私たちの身体には確実に影響を与えるだろう。そしてそれは些細なことだろうか。あるいはどのくらい大きなこととして語っていくべきなのだろうか。

まずいなと思ったら一気に離れろ。それはそうだと思う。でも人はなかなかそれができない。最初から誰かに嘘をついて裏切っているような関係であればあるほどそれができない。自分の中ですでに生じている矛盾をどうにかするためには反復が一番手っ取り早い。相手を変えればいいだけだ。それは人からは離れているが状況からはほとんど離れられていない。その状況にある自分に折り合いをつけるために葛藤が生じない方を選ぶ。そしてまた失敗する。

大きな判断を迫られたときほど時間が必要だ。しかし何を「大きい」とするかはその人によって異なるのが大問題ではないだろうか。何が些細で何が大きいのか。そんな大切なことをどうしてそんな簡単に、ということもあればそんな些細なことにいつまでこだわってるのという場合もあるし、そもそも問題の区別なくいつも同じ態度をとり続ける場合もある。安全に時間をかけたいなら問題に対して思いきり逆の方向への舵をとり続けることもまた重要だろう。常に軋轢と分断を作り出しておくことがかえって平和を持続させることもある。動きにくい状況を作り出すというのもまた戦略かもしれない。

さて、SDGs。持続可能な開発目標(Sustainable Development Goals)という場合の持続をどう考えるかという問題もある。誰のための?どんな時間規模で?想定は何世代先まで?

精神分析においては言葉の意味内容よりも形式や文法を重視するがそれらの変化を見ていく必要があるだろうか。あるだろうと私は思っているが。意味内容を問う前に形式と文法を問う。この世界は人間だけのものではないがまず人間、まず自分。でも相手ある自分として。そこに暮らす自分として。別の土地へいけば視点はずれる。昨日、八戸ブックセンターで行政の方が好きだと教えてくれた富山の公共空間に関する本『にぎわいの場 富山グランドプラザ稼働率100%の公共空間の作り方』を紹介した。こうして別の人や別の土地や別の種と触れていけば少しは悩みや痛みは消えるのだろうか。わからない。とりあえず今日を一日。

作成者: aminooffice

臨床心理士/精神分析家候補生