カテゴリー
Netflix イベント 写真 散歩

写真とか街とか。

雨止んでる。昨晩、オフィスを出たら結構降っていてびっくり。慌てて折りたたみ傘を出した。今日のお天気はどうなのかしら。さっき窓を開けたらもう暑かった。

先日、「被曝80年企画展 ヒロシマ1945」をみに東京都写真美術館にいった。受付の横のチラシ置き場に「おとなり美術館散歩」というマップがあった。おなじみ太田垣晴子さんのイラスト。かわいい。手に取ってみると東京都写真美術館と東京都庭園美術館までのMAPが見どころつきで書かれていた。1.8km、徒歩約30分とのこと。この二つの美術館を同日に行ったことがなかったし、目黒区と港区でお隣というか、そういえば庭園美術館は目黒駅から行くもんね。わざわざ白金台に出ない。写真美術館がある恵比寿駅でも目黒寄りだしたしかに近い。そうか。私は恵比寿ー渋谷間は結構歩いているし東京は狭いですね。

この前、久しぶりに渋谷駅から桜丘町、代官山を通って恵比寿までいった。Shibuya Sakura Stageがすっかりオープンしていた。朝早かったから通り抜ける人しかみなかったけど私が慣れ親しんだ景色はなくなった。少しずつ変わっていくのを見ていたけど一年ぶりくらい。駅からの歩道橋もサクラステージに続いていた。渋谷駅前の再開発であおい書店が閉店したのが2018年。その前はJTBだったか。ながーく親しんだ街だから変な感じ。しょっちゅういっていた定食屋もなくなった。一方、少し駅から離れればなにも変わっていないな、とも感じる。街を全部変えるなんてやりたくても無理だもんね。破壊はいくらでもできたとしても、と思ったのはNetflixでみた『ヒトラーとナチス』を思い出したから。ガザだってあれだけの殺戮が行われているのにガザはある。ありつづけてほしい。死なないでほしい。というか殺すなよ。東京都写真美術館でみた「被曝80年企画展 ヒロシマ1945」にも言葉を失った。感情も失いそうになった。静かに、きちんと怒りが伝わってくる展示だった。広島や長崎に行けなくても東京が近い人はいってみたらどうだろう。同時にやっている「ルイジ・ギッリ 終わらない風景」もすごくいい。絵画と写真はそう簡単に分けられるものではないということがよくわかる。モランディのアトリエの写真はちょっとびっくりした。モランディの絵そのものだ、と。あと光とか雪とか自然が作る在不在にも。楽しみにしていた展示だったので駆け足だったけど行ってよかった。あとミロ展も大急ぎで行ってきた。これももっとゆっくりみたかったけど行けただけよかった。晩年の作品をみたかったので初期の作品はかなりざっとしか見ていないが黒の使い方が最初から印象的。スペイン内戦の頃の俳句的な表現もあり非常に興味深かった。芸術家は何があっても作り続けていた。ミロ展はまたやってくれるように思う。今回は巡回展はないみたい。そういえば「ルイジ・ギッリ」の写真にはトリエステの景色もあり、ショップには須賀敦子の対談集が売っていた。「トリエステの坂道」は本当に素敵な文章で綴られた短編。須賀敦子って一時すごく読まれていたと思う。特にトリエステは。水村美苗とか米原万里とか母国語以外を自由に使える人の日本語は別格の美しさがある気がする。うまくいえないけれど。今日の移動本は須賀敦子にしよう。求めていた景色に急に出会えるような気がする。

どうぞ良い一日をお過ごしください。

カテゴリー
散歩 読書

セルフレジ、本の本

蒸し暑くない。遅くまで除湿運転していたせいかな。今日も風がないみたい、と思ったけど南側の大きな窓を開けたら外で涼しい風が動いていた。

昨日は保育士さんたちとケースカンファレンスだった。すごく長く続いている関係の園だけど保育士さんたちは知らない人がすごく増えた。それでも昔から知っている先生たちのおかげでなんか馴染みの人みたいになっているのがいつも面白い。あまりに大変だな、と思うことが多いけど無理せずやっていってほしい。

セルフレジ難しくて嫌い、と思いつつも最近はセルフレジばかり。そんなある日の馬喰町。NewDaysのキャッシュレス店舗というものを発見。交通系電子マネーをタッチして入店する仕組み。ちょうど入ろうとしていたカップルの大きい人の方が何度やっても開かないのをみてチャレンジする勇気がしぼんだが、もうひとりの人がやってみたらあっさりピッていって自動ドアがあいた。少し時間があったので地下道をトコトコトコトコ、馬喰町と浅草橋、この二つの駅はここでつながっていたのね、と戻ってきて再びさっきのNewDays。今度はドアの前に誰もいない無人キャッシュレス店舗へドキドキしながら近づく。ピッ。あっさり入れた。しかも涼しさ独り占め。その日は電車の中が寒すぎることもなくありがたかったけどひんやりしているところもやはりありがたい。セルフレジって盗難とかにはどう対応するのかな。いつも行くスーパーはセルフレジじゃないから気に入っていたのにセルフレジになってしまった。疲れてぼんやりしてスーパーに寄って、レジ袋を真ん中にかけてピッてしないで全商品を入れて帰ろうとしてしまったことがある。自分で気づいてもう一度カゴに出してピッてして袋に入れてをやり直しなんと二度手間、と悲しくなった。まあそれでもありがたいのはレジがそこそこの台数あるから急かされないということ。レジ袋を開けるのにいくら手間取っても私のペースでできる、とはいえ、間違って支払わないで持って帰ってきちゃったということは起こりそうな気がする。だいたいスーパーに行くときってバタバタか疲れ切ってるかの時間だからありうる。ほんと今日は危ないな、というときは有人レジに並べばいいか。なんか優先席に座るような感覚だけど、優先席だって座ってはいけないわけじゃないんだしね。そういえば、この前東京駅のNewDaysでセルフレジがすごい列で店員さんが「有人レジあいています!」って一生懸命声張り上げてくれてたのでそっちにいったら誰もいなくてこれはなんなんだ、となった。

この前、読んでいると書いた坂本葵さんの『その本はまだルリユールされていない』、すごくよかった。図書館、釣堀、製本、活版、そして懐かしい本たちから立ち上げる世界とそれぞれが抱える思い、すれ違うようですれ違わない、くっつくようでくっつかない、表とか裏とか合わせ鏡。みんな違う色と太さの糸で何かを繋ぎ合わせながら生きている。そんなことを思う本だった。スクールカウンセラーもこうやって普通に登場するようになったんだねえ。私がスクールカウンセラーをやっていた頃はお部屋もなくて図書室の隣の倉庫みたいなお部屋を借りたことがあった。資料好きの私には薄暗いその部屋は幸せ空間で、お隣の図書室の司書さんと仲良くなり、私のところへくる子供たちともいろんな本を読んだ。子供の頃から本や図書室は大切な居場所だった。本が糸で閉じられていること、紙質というものがあることにも確かに驚いていた昔々。この本には大切な相手をなくした人もでてくる。まだ一緒にいた頃の思い出も今はもういない相手と紡ぐ日々も暖かい関わりの中で大切にされますように、やっぱりそういう世界がいいよ、と思った。

須賀敦子さんのことも思い出したから今日の通勤読書は『コルシア書店の仲間たち』にしよう。美しい日本語。美しい日本語を可能にするためにはまずは選挙か。『トリエステの坂道』もまた読もう、とか言っていないで原稿を作らねばなのか。困った。頑張ろう。せめて熱中症に気をつけよう。