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フランス語の勉強とか。

早朝はまだ耐えられる涼しさ。涼しさなら耐えられるか。耐えられる暑さというべきか。まだランニングができる。ブログなんて書いている場合ではない。涼しいうちにやることをやらねばもったいない。若い頃は5時起きで走りにいったりもしていたが今は頭で思うだけで実際はダラダラこうしている。

フランス語の勉強を始めて最初はもっと堅実にと思ったけど最初から文献を読んでしまっている。NHKの「まいにちフランス語」は初級文法なのでそこで基礎固めしつつひたすら辞書をひいている。精神分析家になるために時間もお金も費やしたから余裕がなくなって一度やめた。ということはもう10年やっていないことになる。フランス人の先生に英語でフランス語を教わっていた。子供用教材で数とか色とか身近なものの名前を教えてもらうところからだった。先日聴き逃しでNHKの講座を聞いていたら前置詞の勉強で地図を書く課題があって、あれは楽しかったな、と当時の課題を思い出した。いつもの文献をフランス語で読むのは難しいが英訳されたものでも難解で、さらにそれを自動翻訳で読むともっと訳がわからなくなる。そうやって時間がかかるなら最初から取り組んでしまおうと思った。フランス精神分析が独自の道を行ったのは精神分析における言語の使用という問題から離れないからだと思う。今はアンドレ・グリーンのla position phobique centraleに関する論文を読んでいる。

la position phobique centraleとは j’entends une disposition psychique de base,qu’on rencontre souvent dans la cure de certains états limites.

Les états limitesは境界例のこと。その中心をなす恐怖症について。

フランス精神分析には独自の鑑別基準があるが境界例はそれらとはまた異なるものとして精神分析実践を通じてパラダイムの変更を迫ってくる。境界例についてはアンドレ・グリーンを含むフランスの高名な精神分析家たちの講演録をもとにした”Les états limites -Nouveau paradigme pour la psychanalyse?”という本が『フランス精神分析における境界性の問題 フロイトのメタサイコロジーの再考を通して』という翻訳で出ている。アンドレ・グリーンの境界例概念はそこで確認することができる。

執筆陣はJacques André(APF/IPA),Catherine Chabert(APF),Jean-Luc Donnet(SPP),Pierre Fédida(APF),André Green(SPP/IPA),Daniel Widlöcher(APF/IPA)。すでに亡くなっている人たちも。大御所揃い。

以下、星和書店Webサイトを参考に。リンク先は私用メモを兼ねて。

『フランス精神分析における境界性の問題─フロイトのメタサイコロジーの再考を通して─』も読めるようになってきた。

・1996年11月~1997年5月
・ジャック・アンドレ主催、サンタンヌ病院でのセミネール
・目次は講演順、演者による加筆修正あり

第一章 唯一の対象
──ジャック・アンドレ
第二章 境界例の生成と状況
──アンドレ・グリーン
第三章 境界例は精神分析家にとって夢の患者なのか
──ピエール・フェディダ
第四章 境界例における分裂(clivage)と幼児性欲
──ダニエル・ヴィドロシェ
第五章 境界性機能様式:いかなる境界か
──カトリーヌ・シャベール
第六章 境界性患者、境界性状況

──ジャン=リュック・ドネ

翻訳で読んでいてもそれぞれの言っていることや表現の仕方が全然違うのだからフランス語で読んだらどんな感じなんだろう。フロイトを読んでいると翻訳で読んでいても「フロイト先生、またこんな言い方してる」とか思うわけだがユダヤ人のジョークやドイツ語ならではの表現を理解できたら別の読み方も現れてくるのだろうと思う。ということで今日も地道にがんばりましょう。いいお天気すぎるから熱中症に気をつけましょう。

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フランスの精神分析家の年齢など。

姉妹と兄弟とでは関係が異なると感じるし、文学作品でもそういう違いを感じさせるものは多いが、セクシュアリティの扱いが変わるにつれこのような括りも再考を迫られるのだろうか。精神分析でいうセクシュアリティは幼児性欲から始まっており、それは欲動に関わるものである。精神分析という枠を超えて理解するのは難しいし安易に使用するべきではないだろう。

先日も触れたがアンドレ・グリーンをメインに据えたジャック・アンドレ企画のセミナーが収録された講演集『フランス精神分析における境界性の問題』ではメラニー・クラインのスプリッティングを受け継ぐ英国対象関係論とフランス精神分析は異なるというのが前提としてあるようだ。演者の一人、精神科医であり精神分析家でもあったDaniel Widlöcher (8 June 1929 – 14 December 2021) は第四章「境界例における分裂(cIvage)と幼児性欲」において幼児性欲が形成される諸段階における様々な分裂を記述している。

ところでこの本の訳書が日本で出版されたのは2013年でジャック・アンドレが「日本語版に寄せて」でAndré Green (12 March 1927 – 22 January 2012) とPierre Fédida (30 October 1934 – 1 November 2002)に対して追悼の意を表している。その後、ダニエル・ヴィドロシェ、ジャン=リュック・ドネ(Jean-Luc Donnet,2 March 1932 – 19 Octobre 2022)も亡くなった。ジャック・アンドレとカトリーヌ・シャベールは1947年生まれ。日本の精神分析家でいえば北山修先生(1946年生まれ)と同じくらいだ。私たちのトレーニングを引き受けてくれた先生方もだいぶ歳をとった。日本は訓練分析家の数も少ないから雑務といえるような仕事も含め負担が大きい。この講演集みたいに精神分析理論をガッツリ述べるような機会よりももっとふんわりとした外向けの企画の方が多い。先生方から教えていただいたことを精神分析という現場において熟成させていかないとなあと思う。

途中、いろいろ家事をしたらもう鳥が鋭く鳴く時間。今日もがんばりましょう。これまでも様々な被災地へ支援に行った人たちはすでに淡々と被災地へ入り活動している様子。なるほど、それが必要だった、と学ぶことも多い。今日も少しでも多くの注意が注がれますように。関心が減ることがありませんように。