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あれはなんだったんだろう 精神分析

なかったことにしない実験

サッカーも大河もみていなかったけどなんとなくは色々知っている。断片だけでもおもしろい。三谷幸喜はすごい。大人になるまでほとんど勉強してこなかったから日本史も大河ドラマ以外では知らないのだけどなぜか北条時政が好きだった、というか北条すごい、と思っていた。でも大河ドラマで誰かがやっていた北条のことなんて全然覚えていない。いたに違いないけど。でもこの前鎌倉へ行ったときはなぜかしみじみしたな。何繋がりかしら。あ、そうか。私の少ない知識は全部まんがからだ。「日本の歴史」。小学館かなあ。平将門も好きだった。多分かっこよく描かれてたんだろうね。大河で見たときにイメージ違ってがっかりしたことを今思い出した。独眼竜政宗の梵天丸の真似は大人になってもよくしていた。なんだったんだろう。サッカーみていたみなさんは寝不足かしら。せめていいお天気でよかったですね。今週もがんばれますように。

「今年は」という振り返りをするような区切りが昨年も今年もなかった。昨年末、久しぶりに旅へ出たことはひとつの区切りとなったけどもっと別の特別な区分が自分の中にできてしまった。もちろんいろんな人と「今年は〜」という話をしている。保育園の仕事も「今年度」はまだ3ヶ月あるけどすでに来園度を見据えての話だし担当の半分くらいの園は今年度の巡回を終えた。

「あれはなんだったんだろう」と問い続けてはダメージを深めそのダメージを素材に考え続けることでどうにか行動化を抑え、同時になかったことにしないように時間を引き伸ばしているような日々。終わりがくるとすればそこでようやくひとつの区分ができるかもしれない。

自分を使った人体実験。頭痛と共に何度も突然ぶり返してくる痛みに対してひどく冷徹な自分もいる。自嘲したり卑屈になったりしやすい場合は注意が必要。外傷の記憶となると似たようなことは解離として現れるかもしれない。そんな場合は激しい混乱を注意深く見守ってくれる実際の相手が必要。なかったことにされる体験が反復されないように過剰ではない忍耐強さをもつ相手と共にいられますように。自分の第三者性によって真逆の自分を維持できているうちは死ぬほど苦しくてもとりあえず大丈夫と思えないとこんな実験はすべきでないだろう。精神分析は実際の他者に自分の第三者性を預けつつ実はなかったことにできていなかった「あれはなんだったんだろう」を問い続ける。転移状況で再び体験される出来事を通じて当時は感じることも考えることもできずにいたことに気づく。

ああ。こんなことを書いている場合ではないのだった。それにしてもいろんな処理を施しながら言葉にしているわけだけどもしそうしなかったとしたら大変なことになるのでしょうね。自分から自分が傷ついた場所に出向いていってしまうことで大変なことにしてしまいたい衝動に拍車がかかるでしょうから。もちろんそうなったらそうなったでこちらは手放すようなことはしないけれど。

人の心をどう捉えるかはその人が持つモデルによって異なるしそのモデルはその人の体験によって異なるから本当に人それぞれ。でも「人それぞれ」とかいってなかったことにしていくあり方はあまりに安易だと思うしひどいなと思う。本当になんとも言葉にしがたいことばかりだけど今日もなんとかはじめましょう。またね。