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和菓子、ジョン・バティステに学ぶ初回面接

まだ暗いけど東の空に雲がたなびいている。今朝は両口屋是清の秋の棹菓子「ささらがた 柿」。熱いお茶と。冬の朝に小さい和菓子は合いますね。

12月ももう10日になってしまいました。書評を引き受けてしまった本を読まねば。あまり読まずに書く能力はないから精読しましょう。読まずに書ける人は本というものがどんなものかということをいろんな水準でわかっているのでできるわけだけど私はただ読むのが好きというだけで読書という行為や本というものに関してはあまりなにも考えていないのでそういうことできないのよね。面接場面で人はこういうときにこうなりがちというのは経験も積み重ねてきてるし理論化も試みて学会発表してるし教える立場だから人よりはわかる。ひとつあげれば「人ってなりたくない人と同じことをする」ということ。悪口を言ったり信頼していない相手のことを語りながら自分も同じことしている。この前の初回面接の検討会でそういうことも話した。そして初回面接では一回で「ここで」「自分が」提供できるものを見立てとともに提示する必要があるあるのである程度のスピードがいるという話もした。それはどうすればいいんですか、という類のものではない。

柳樂光隆さんがジョン・バティステへのインタビューでこんな言葉を拾っている。

「ベートーヴェンを筆頭に多くの偉大な作曲家たちが、実は瞬時(spontenous)に作曲をしていたことに初めて気づいたんだ。彼らはいわば即興演奏家。現代のジャズ・ミュージシャンと一緒で、彼らはその場で音楽を生み出していた。でも、それを「即興」と呼ぶのはちょっと違う気がして……。だって即興なら誰でもできるけど、彼らは学んだことや経験のすべてをその瞬間の作曲(spontaneous composition)に込めていた。もしベートーヴェンが今の時代に音楽を演奏したら、毎回同じ演奏にはならなかったと思う。彼も音楽も演奏するたびに進化しただろう」

と。

「学んだことや経験のすべてをその瞬間の作曲(spontaneous composition)に込め」る。初回面接で言葉を使うってこういうことだと私は思う。

あと相手の変化だけでなく自分もその相手となら変化していけると感じられるかどうかも大事。信頼や希望をもてないところに変化は訪れない。が、たいていの人は自分は変わりたくない、変わる必要があるのは向こうだ、という発想なので色々難しいわけだ。何に時間を割くべきかはこういうことを考えながら言葉にしていくものでもある。

どうぞ良い一日をお過ごしください。

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ひとりではなく

臨床経験5年以上の方を対象にいくつかの小グループを運営している。内容は事例検討会と読書会。同じメンバーで継続しているせいか議論がどんどん深くなっている。それぞれが自分の言葉で自分のやっていることについて語るのはとても難しい。他のメンバーに照らし返される中で自分が言っていることとやっていることの乖離に気づくのは痛みも伴う。一方、他者といるというのはそういうことであり患者が体験する痛みを体験的に知るにも良い機会だしこの仕事には必要だろう。

妙木浩之『初回面接入門 心理力動フォーミュレーション』(岩崎学術出版社)をテキストとするグループでは実際の初回面接を記録を用いて定式化し、その後に初回面接とはなにか、そこで必要なことはなにかについてグループで話し合う。

自分は誰のために何をしようとしているのか。その現場でどのような症状や病理や状況を持つ方と何を目的として会っていこうとしているのか、それは現在自分が持ちうる資源でできることなのか。常にバウンダリーと有限性を意識している。

ファンやビジネスパートナーという言葉で非対称な関係を別の関係にうやむやに持ち込むように臨床家が患者を使用することはあってはならない。それぞれがそれぞれの生活をしながらこの仕事をしている。そこにはバウンダリーがありできることは限られている。そんな当たり前のことを都合のいい理由で乗り越えたふりをすることは二者関係ではたやすく、ちょっとの逸脱として見て見ぬ振りをすることも簡単にできるだろう。ただそれはわかりづらくても確かに搾取である場合が多く当人たちが気持ちよければいいという話ではない。本人たちもお互いが気持ちいい間は外側から何を言われても被害的になるかナルシスティックに二者関係のふりをした自分自分(一者関係)に安住するかになりがちだが、グループで複数の眼差しに照らし返されることで回復できる自我(大雑把に使うが)もある。治療者が心理療法を受けることが当たり前になってほしいが(頼ることの難しさも実感できる場がないとわからないものだから)そこで第三者性を内面化するには時間がかかるので実際の第三者にと思うしそのためにグループは有効だと思う。

わかりやすく非対称の関係から始まる関係には思うことが多い。破局的な何かを体験したとしても、相手に「そんなつもりはなかった」とあっという間にそれをなかったことにされることもしばしばだ。唖然とする。それでもそうされたならなおさら立ち止まる必要がある。考え続けなければ繰り返すだけだ。その場合もひとりではなく誰かとと思うがそこもまた同じ関係である可能性もあるだろう。リスクは常にある。それでも自尊心を簡単に売り渡すことのない自分でいられたらいずれ、という希望のもとに今日も、と思う。

今日は火曜日、と書いてしまったが月曜日か。早速ダメダメな感じだがなんとか。みんなはどうだろう。とりあえず無事に一日を過ごせますように。風邪とかコロナとか用心しましょうね。