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精神分析 精神分析、本

知識と実践とPsychoanalytic Credos

オフィスのそばの新宿中央公園の木々が大分乾いた音を立てるようになった。まだ時折蝉が鳴いている。夏の間、花壇はすこし疲れた感じだったが、先週はただの細い茎だった彼岸花が一斉に咲き始めた。昨日、通りかかった別の公園で、足元に違和感を感じて地面をみたらたくさんの銀杏が。すっかり秋。まだ少し蒸し暑いけれど。

さて、心に関する知識をもつことは、実践にもちろん役立つが、役立たないことのほうが多い気がする。知識は実践してみないと実践的な知識にはならないし、応用のきかない知識は事態を硬直させることさえある、と知っていることのほうが大事だったりする。


私たちは、意外でもないが、意外と見たいものしか見ないし、見たくないものはみないし、見えていても見えないといえるし、みえてないのにみえてるふりをできたりする。自分が何を見ていて何をみていないのか、そもそも見るという行為をしようとしているのか。これは、聞いたり、感じたり、考えたりすることすべてに対していえることである、と私は精神分析を通じて実感したし、日々、その実感は更新されている。


長い間、週一回とか週複数回とか、それなりの頻度で会っているのに、まだ驚くのか、ということばかりである。驚きは精神分析における主要な情動だろう。衝撃というと情動に至るより手前という感じになるか。


だから、精神分析家になるためには、精神分析が必要だ。単に訓練の要件としてではなく。自分の心が、自分の知らないところで様々な動きをしていることを「そんなつもりじゃなかった」と言いながら、衝撃をもって体験し、他者を他者とも思えない自分に驚きながらもどうにもできず、どうにかして環境が責任を引き受けてくれないかと模索する。


これらの体験はどれも強い情動を生じさせるが、「いや、特に」「別になんとも」とかいいながら、それらを体験しないようにする自分を体験するのも精神分析である。

同様のことが、理論についても言えると思う。無意識、転移、抵抗、抑圧、解釈、逆転移、といった精神分析の基礎概念は、定義を覚えて使うようなものではない。実践するたびに、転移とは何なのか、なぜ解釈するのか、あるいはしないのか、など常に経験に戻って考え直されるものである。なぜその概念が必要になったのか。それによって、それまで見えなかった心の何が見えるようになったのか。そしてそれを目の前の患者との経験に照らしたとき、それはいまも生きた概念なのか。そういうことを繰り返し考えることなのだと思う。


だから私は、こういうブログを毎日書いているのかもしれない。
著名な精神分析家たちが何を言ったのかを紹介したいわけではない。その言葉が自分の経験のなかで息づきはじめたとき、それについてもっと知りたいと思う。そうやって勉強を続けてきた。勉強だけならもう25年になる。臨床を始めてからも同じくらいだが、精神分析家になってからはまだ2年しかたっていない。週1回で長く会ってきた人の数は膨大だが、週4日会っている人の数はまだ少ない。知識として知ることと、それを経験することとは、そもそも比べようがないこともたくさんある。しかし、ひとたび経験をしたら、それを積み重ねるなかで、これまでの様々な理論との対話が必須になる。だからフロイトを読み続け、古典にかえり、概念の源泉と変遷をたどり、再び自分の体験を織り合わせていく。


なので、毎日、少しずつでもなにかしら読むことになる。

先日から何度も名前をあげているクリストファー・ボラスも寄稿しているJill Salberg編『Psychoanalytic Credos』(Routledge, 2022)という本がある。副題はPersonal and Professional Journeys of Psychoanalysts。出版社のサイトで各チャプターのアブストラクトを読むことができる。そのなかに、ボラスの“What is Theory?”という章がある。

先ほど書いたこととも関係するので、そのアブストラクトを少し適当だが訳してみる。

「本章では、心についての精神分析理論を、知覚の一つの形として論じる。それぞれの理論は、ほかの理論には見えてこないものを捉える。


まずフロイトを取り上げ、彼が通常、互いに競合する複数の心の理論を併存させていたことを示す。抑圧がどのように働くかを示す局所論モデルは、あるところまでは有効だった。しかし、そのモデルには、無意識の受容的な働き――抑圧するのではなく、受け取る働き――など、別の形の無意識的活動を捉えることができなかった。


ボラスが作った「受容的無意識」という言葉で表される働きを、フロイトはすでに、夢がどのように形成されるかについての理論、機知についての理論、そして日常生活の精神病理についての理論で用いていた。それならば、なぜフロイトは、無意識についての理論を発展させるなかで、この働きに固有の名前と位置を与えなかったのだろうか。


著者によれば、皮肉なことに、フロイトは無意識の受容的な働きを理論のなかで用いながら、自分が実際に何を用いているのかを見るために容易に構築できたはずの理論を、抑圧していた。ボラスは、この抑圧を、フロイトが子どもと母親との関係――ボラスのいう「母性的秩序」――を抑圧したことと一貫するものとして理解する。そのためフロイトは、つねに無意識的に用いていたものを、意識的には見ることができなかったのである。


さらに著者は、精神分析の各学派はそれぞれ、人間の心と行動の異なる側面を作り出し、それゆえに知覚するのだと論じる。どの理論も、それ自体として重要な価値をもつ。


最後に著者は、なぜ私たちには複数のモデルが必要なのかを論じる。複数のモデルを用いることは、文字どおり心の視野を広げる。一つの心の理論だけが正しいと主張する学派は、残念ながら、その学派で学ぶ人々から、無意識の構造、無意識的思考、無意識的行為について、より広く深く理解する機会を奪ってしまうのである。」

私はボラスに同意する。


この本は、27人の分析家が、それぞれの歩みを、自分の声で語っている一冊である。精神分析という、他者とシニフィアンの世界をともにする特殊な文化をそれぞれの精神分析家はどう生きてきたのか。そのためにはどのような訓練が必要だったのか。そこから得た「信条」とはなんなのか。この本の内容紹介も訳しておく。

『精神分析家たちの信条――個人として、専門家として歩んできた道』

精神分析における「信条」とは、患者の話をどのように聴き、分析という営みにどのように臨むかを支える、一連の考えである。そうした信条を育てることは、多くの点で精神分析訓練の骨組みをなしている。
マニー・ゲント(エマニュエル・ゲントEmmanuel Ghent, 1925–2003)の最初の「Credo」論文を踏まえ、27人の精神分析家に、自らの信条や精神分析家としての歩みを綴ってもらった。本書には、異なる研究所で、異なる時代に訓練を受けた、複数の理論的立場と世代にわたる分析家たちが集められている。訓練を受けた年代は1960年代から2000年代に及び、文化的背景もさまざまである。


寄稿者には、関係精神分析、対象関係論、現代フロイト派、クライン派・ビオン派に位置づけられる分析家のほか、いずれの分類にも容易には収まらない分析家がいる。本書は、訓練中の分析家には研修機関の読書リストの一冊として、また訓練を終えてなお精神分析家として歩み続ける人には、道をともにする一冊となるだろう。(ここまで)

なお、マニー・ゲントの最初の「Credo」論文とは、Ghent, E. (1989). Credo: The dialectics of one-person and two-person psychologies. Contemporary Psychoanalysis, 25(2), 169–211.のことである。


「信条」かあ。私も自分の中にそれを感じるけど、こうやって言葉にすることができるようになるのだろうか。日々精進ですね。これからもよろしくお願いいたします。

アメリカデイゴ
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散歩 読書

刀剣、公園、日本

東京の日の出は6時21分。すっきりと寒そうな空。宇宙飛行士の油井亀美也さんがあげてくれた宇宙の日の出の動画がとてもきれいだった。11月初旬、新潟の彌彦神社の宝物殿でみた刀たちを思い出した。きれいだった。丁寧に説明をしてもらいながら様々な日本刀をみたのが山形県上山市の蟹仙洞だと思うが、今年8月に閉館してしまったらしい。なんと・・・。これまで出会ってきた人たちのなかに刀剣好きな人はわりといていろんな話を聞かせてもらった。私も好きだが、ほとんどオタクのみなさんの語りには驚いてばかりだった。推しの話をするときの輝きや力強さはいまやアセスメントの指標のひとつだ。2017年、初台の物件で開業することを決めたとき、刀剣博物館が近いのが楽しみでいっぱい通うぞ、と思ったのに9月、ちょうど私がオフィスで仕事をはじめたときに両国に移転してしまった。貼り紙をみてガーンとなった。墨田区はSCとか幼稚園巡回で身近だから気楽にいけるけれど近所とは全然違う。オペラシティアートギャラリーだって近くなくても行っただろうけど毎日仕事をする場所の近くにある特別感。手ぶらでいけるし。

それにしても冬らしくなってきた。紅葉がとてもきれいで公園で読書とかしたいなとか思うけどとどまるには私には寒い。西新宿はベンチが多くて新宿中央公園のベンチでのんびりしている人をたくさんみかける。新宿白糸の滝と名付けられたミシシッピアカミミガメたちがいる水辺と新宿駅方面へ続く西新宿の高層ビルがみえるきれいなベンチでくつろぐ人たちをみるのは楽しい。公園全体の整備が進んで、なんか辛いなあ、と思いながらみていた工事中の景色が順々に新しくなっていく。私が毎年親しんで楽しんで開花を待っていた花たちはただの道になった。上を見上げれば高い木々の紅葉と鳥の声は前のままで誰を気にすることなく大きなため息をつける場所もあるけれど。アメリカデイゴは花の時期が長いらしく、いついってもまだ咲いている、という印象がある。

昨晩はずっとエアコンをつけていた。加湿器もつけた。加湿するとぬくぬくさが増す気がする。辛いニュースをぬくぬくしながらみていられるのは幸せな環境かもしれないが背筋が凍るような事態が進行していそうで怖い。辻田真佐憲の『「あの戦争」は何だったのか 』(講談社現代新書 2780)に靖国神社の遊就館が

「今日においても実質的に″日本を代表する戦争博物館″としての役割を果たしているといっていい」

と書いてあってそうなのか!と驚いた。外国人観光客も多く訪れているらしい。偏ったことばかりが書いてあるのではないか、という疑いはこれを読めば薄まるが、「負の歴史」を因果関係ではなく単なる事実として記憶に残る記録として展示していく公的な機関の必要性は強まるばかりではないか。そういうものが作られないための準備ばかりされているような気がしないでもないが。私は辻田さんの本は挑発的な部分を誤読してしまったらどうしようと思いながら読むのだけどこれも大変勉強になった。言いっぱなし、使われっぱなしの言葉や出来事をどう未来につながるものに育てて形にしていくか、ということを考えないといけないのだろう。「反省」って言葉とか。

アンドレ・グリーンの罪と恥に関する論文を読んだので、それについて書こうと思ったのに日本に思いをはせてしまった。罪と恥も土居健郎の「甘え」の文脈で考えているから結局日本に住む日本人として色々考えるのは当然だが。

いいお天気でうれしい。暖かくして温かい飲み物と一緒に過ごしましょう。

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俳句 散歩 音楽

秋三日目。

暗いうちから掃除した。空が濃いグレーになって濃い紺になりつつある。もうすぐ日の出。今朝はノラ・ジョーンズをかけた。きれいな柔らかい声。柳樂光隆さんが今年もノラ・ジョーンズにインタビューしていた。今週の来日公演に向けて楽しそうなノラが素敵。自分の大好きな楽曲を信頼できる人たちと演奏できるなんて最高だろうな。昨年リリースのVisionsはとっても生き生きしたアルバムだったからライブ行ける人はいいなあ。インタビューに音源あるよ。レポートもいっぱい読もう。

秋3日目。昨日も気持ちよくて遠回りしてオフィスへ行った。新宿中央公園でも昨日、今日はパークマルシェ開催。フリーマーケットみたいのもやっているみたいだった。先週まで鳴いていた蝉の声もしずまり、剪定を終えてなんとなくひっそりした花壇を抜けて公園側から熊野神社へ降りた。赤、水色、黄色の屋台。紅白の垂れ幕が見えた。あんず飴は赤の看板。「スーパーボールすくい」の文字はカラフル。お祭りの日の朝っていい。神社に入るとまだ何もない鉄板、きれいに積まれたじゃがいも、一つの屋台にまだ一人ずつ。パラソルの下のラムネ、足を派手に動かす蛸の絵、サッポロの味じゃがバター、味の王様フランクフルト、広島風お好み焼き、超大盛り焼きそばなどなど。いつもひっそりの本殿、社殿が搬入のための小型トラックに隠れてますます静か。それでもやっぱり主役感があるのは伝統ある神社だからか。本殿横の小さな神社の狛犬は面白い表情をしているのだけどかなり昔からいるみたい。西新宿の小さな一角のいつもと違う土曜の朝。良い寄り道だった。

たのしさは支度にありて秋祭 鷹羽狩行

一日の秋にぎやかに祭りかな 正岡子規

狛犬がおどけて笑ふ秋祭 阿波野青畝

そういえば、まだ暑かった少し前に句友たちが以前吟行していた東高根森林公園にいった。みなさんのやりとりを見ながらいいなあと思っていたのだ。彼らは吟行先を選ぶのが本当に上手。まだまだ知らない素敵な場所がたくさんある。東高根森林公園は小田急線向ヶ丘遊園からバスで生田緑地を過ぎて田園都市線溝口駅まで向かう途中にある。生田緑地ばら苑へ行こうかと思ったらまだ開園していなかった。10月16日から文化の日までだそう。向ヶ丘遊園で降りたのは久しぶりで新しいお店がたくさんできていた。昔、ここに住んでいた友達の家に心理検査を教えてもらいにきたなあ、など思い出しながらバスの時間まで散歩した。若い頃は仕事の後、友達の家に泊まり込んで勉強することが多かった。元気だった。溝口駅行きのバスは途中からたくさん人が乗ってきて驚いた。何もなさそうな場所なのになんでだろう、と思ったけどそのあとも続々人が乗ってきてバス利用の地元の方が多いってことかな、と思った。バスを降りて少し行くと白い曼珠沙華がたくさん咲いている鉢があった。その辺で方向を間違っていることに気づききた道を戻ると公園のきれいな案内板がすぐに見えた。私は湿地が好きなのだけどこの公園も水も緑も豊かですごく良かった。植物を眺めながら歩いているうちに結構上の方まで登っていた。

病める手の爪美しや秋海棠 杉田久女

みづうみに鰲を釣るゆめ秋昼寝 森澄雄

秋らしさを待ち侘びて小さな秋を探しながら残暑を過ごしたが、思い返す景色の色は着実に季節が進んでいたことを教えてくれる。立秋って本当に立秋っぽい空になるんだな、とか実感もしていたけど暑過ぎた残暑のせいで言葉と体感と景色が脳内でなんかチグハグしていた。ようやく一致した感じ。

新涼や白きてのひらあしのうら 川端茅舎

これね、私はまだ経験していない感じ。

新涼や起きてすぐ書く文一つ 星野立子

これはすごくわかる。これだって毎日書いてるけど気分が全然違うものね。今日も涼しいといいな。もう流石にあの暑さには戻らないでしょう、と思うとそれだけで身体が楽な気がする。

良い日曜日になりますように。

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散歩 精神分析 趣味

麦茶、紫陽花、クレー

今朝も風がない。どの向きの窓を開けても風が入ってこない。冷たい麦茶を飲む。今年も麦茶を作り始めた。少し前にそろそろかなと思って作ってみたらそれほど消費しなかったからやめてたけどここまで暑くなると需要も増えるだろう。昨日、ごくごく飲んだつもりのペットボトルの水が半分しか減っていなくて自分でびっくりしているのだけど。水分を取るのが下手なせいでいつもどこか不調なのかも。

近所の紫陽花がまだまだきれい。新宿中央公園の大きな紫陽花はだいぶ茶色くなってさらにマダラになってきた、と思ったのだけどあの茶色って別の葉っぱが落ちているのではないかな。紫陽花って立ち枯れることはあるけど葉っぱ自体がポロポロ枯れて落ちることはないだろうから。葉っぱじゃなくて花、あ、花でもないか。装飾花の方。ガクのこと。近所にしても公園にしても私が日々出会う紫陽花は木の下で直射日光にさらされている時間は少ないから茶色に錆びちゃうみたいにはならないけど、ここ数年の尋常じゃない暑さで株の体力も衰えるのではないかしら。自分の体力がどんどん衰えていくから投影しているだけかもしれないけれど。

今度、精神分析がらみでパウル・クレーの話をするので『クレーの日記』をどこに置いたっけと探していた。あの黒い表紙の。と思ったらあれって息子のフェリックスが編集したものだからということでできるだけ元のままの新版が出てた。知らなかった。クレーとカンディンスキーは多分親が好きだったのだろう。実家にあった大きめのカード(というのかわからないけど)を持ってきていて開業したときにオフィスに飾っていた。でも端っこがよれちゃったので今はクリアーファイルに入れている。谷川俊太郎の『クレーの絵本』『クレーの天使』も持っている。クレーはフロイトの20年後くらいに生まれて同じくらいに死んだ人。スイスで生まれたドイツ人でスイス国籍は死んでから認められたんだっけ。忘れてしまった。大抵のことは忘れられていく・・・。

しかし朝から蒸し暑い。バナナを凍らせているからスムージーでも作るか。混ぜるだけだし。熱中症に気をつけて過ごしましょう。

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散歩

曇り。新宿中央公園。

カラスの声は大きい。今日も涼しい。曇り空だけど雨は降っていないみたい。そろそろ梅雨の準備をしなくちゃ、というかしたい。下駄箱の掃除をしたい、というかしなくちゃ。うーん。色々工夫したいスペースがあるけどずっと放っておいてるなあ。

散歩は順調にしている。といっても郵便局とか銀行とか行くついでに西新宿、初台、参宮橋あたりをぐるんとするくらいだけど。最近は花々や木々が楽しみだから薔薇がたくさん咲いている公園やいつもの新宿中央公園には結構行っている。

新宿中央公園のちびっこ広場にはいろんな国のいろんな子どもや親や人たちがいて面白い。この前は「やだ!」と鋭く大きな声を出しながら「ダン!」と足を踏み鳴らすのを繰り返している子どもがいた。というかこういう行動はよく見かける。「地団駄を踏む」というのはもう少しスピードがあるイメージだからちょっと違うかな。お父さんの顔をまっすぐ見上げなら「1ヤダ」につき「1ダン!」。そしてあの視線。断固とした意志。お父さんはいつものことという感じだったけど少し疲れた様子で赤ちゃんを前に抱えたまま「あと一回ね」と送り出していた。送り出されたその子もニッコニコというわけではなく怒った顔のままなんとも言えない声を発しながら滑り台の階段の方に走っていった。

はじめてこの公園にくる人たちもいる。「あんな大きいじゃぶじゃぶ池がある!」と赤ちゃんを胸に抱え、誰も入っていないベビーカーを押したお母さんたちが歓声のような声を上げた。7月になったらオープンしますね。またくる余裕がありますように。じゃぶじゃぶ池のそばには大きなタイサンボクが花開き始めた。大きな白い蕾たちも見えた。目線を戻せばシモツケも紫陽花もきれい。どんどん入れ替わる花たちがいつも楽しい。

砂場にはクジラがいる。どの時間にも静かに佇んでるそのクジラが私は好き。しょっちゅう写真に撮ってる。時間や季節や背景の色が違ってもクジラはひっそり。この前、楽しそうな笑い声が聞こえたので振り向いたら1歳くらいと3歳くらいの子供がちょこんと大きなクジラの背に乗っていた。ちっちゃい子の方が大興奮でお姉ちゃんのちょっとした仕草を真似ては笑い、お父さんお母さんを交互に見ては手をたたいて笑い、その笑いを向けられた方がそこまでおかしいのかという様子で困ったように笑ったりみんなで大笑いしたり実に楽しそうだった。

今日は曇り空の中、どこへ寄り道しましょう。新宿に行かねばならない用事があるが、ねばならないことはなんとなく面倒だ。別の寄り道をして紛らしながら行こう。どうぞ良い一日を。

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散歩 精神分析

新緑、共有できる言葉

空が薄い。風はそんなに感じない。昨日の昼間の風はすごかった。オフィスから新宿へ向かった。新宿パークタワーのそばは特に風が強い。帽子をおさえながら信号待ちをした。朝はそうでもなくて誰もいないブランコも揺れていなかった。朝の新宿中央公園では父親と子供の組み合わせを3組くらいみた。大きな木々の新緑がとてもきれいで見上げながら歩いた。その足元の日陰には西洋シャクナゲやつつじが満開。桜はすっかりほかの緑に紛れている。桜の緑はもうすでに深くたくましい。

近所の老木がついに切られた。今年も桜のあとにそこに絡まるように枝を広げ切っていた藤が咲いた。藤が咲いて数日、朝通るたびに写真を撮ろうと思っていた。もう少し晴れた朝に、と思っていた日の帰り道、それはもうなかった。老木なりに逞しい太い幹が突っ立っていた。都会の住宅街にありながら放っておかれたまま時期がくれば咲き、散るを繰り返すこの木がとても好きだった。驚いて言葉も出なかったがいつ切られるのだろう、と思っていたのも本当だ。ようやく、と思ったのも。

近藤良平さんがテレビに出ている。紫綬褒章を受賞とのこと。「サラリーマンNEO」の映像が流れた。これは大宮エリー脚本ではなかったか。大宮エリーさんが亡くなったニュースにも驚いた。

昨日は初回面接の事例検討グループ。グループはふたつあり、こっちのグループの初回だった。メンバーは変わらず。このグループは知識を入れるためのグループではなく自分のやっていることを自分の言葉で意識できるように事例を素材に助け合っていくもの。人の事例を聞いて自分のことを振り返り頭を抱えることもしばしば。人に意見をするときにそれが自分への問いかけにもなっていることを実感していることはとても大切。専門家同士のグループでも患者さんといるときでもそう。言葉を出したならその反応を待つ、受け取る、その繰り返し。

臨床というのは本当に難しい。私がこう書く場合、私は精神分析的に話を聞くことの複雑さについて考えている。精神分析的にというのは、言葉を字義通りに捉える、同時に言葉を隠喩として捉える、というダブルトラックで聞くこと。なぜなら精神分析は無意識を想定するから。言葉はなにかを同定するとともに別のなにかを現わしていると考えている理論だ。生育歴と現病歴は同じ人の同じ時間に生じた出来事を多面的に捉える軸であり、それは人生のどんな時点で起きたことなのか、なにがトリガーとなって症状化したのか、あるいは問題として形になったのか、その経緯において繰り返されているパターンを捉えるには発達や病気に対する知識が必要なのは前提だ。私は印象や直観は大切だけど使わないでいいと思う、といつもいっている。まずそこに頼って物語的なものを作る人をたくさんみてきたけど、専門家ならではの技術はそれではないだろう。何かの専門家というのはその専門家集団の一人であるということで個別の技術ではなく理論に基づく、という前提にたてば「どのアプローチでも」=臨床心理学なりなんらかの専門的な臨床技術の基本は学習済み、ということであり、それらは本で学べる範囲でもあり学習はそんなに難しくない。一方、患者は具体的な体験を生きてきた人でそこでその人ならではの言葉の使い方をしてきた人だ。それを個人の印象や直観で何か別のものに変えないためにそれらの基本を前提として理論を使用する。精神分析の場合、この言葉なるものを言葉そのものとして扱ってきた学問で、木で言えば幹の状態を見つつ共有できる言葉にし、枝葉の広がり方、花のつけ方、身のなり方のパターンを捉え、共有できる言葉にできるように、それぞれの言葉を聞いている。もちろん自分の言葉も聞いている。自分が勝手に文脈を変えている場合、その地点に戻れるように。印象や直観ではこれができない。心を使う、的な表現を私が嫌うのは論理的に考えうることの重要性が共有されていないと感じるときなんだと思う。漫才が面白いのは共有できる言葉があってこそだからな、とかも考えた。

つらつら書いたがもう出かけなくては。今日もがんばろう。

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AI 散歩

新宿中央公園の整備

いいお天気。カーテンを開けた。窓も開けた。風も優しい。でも開け放つにはまだ寒い。閉めた。熱い紅茶を飲んでいる。暑くなってきた。

私のオフィスは新宿中央公園のそばなのでしょっちゅう通り抜けたり佇んだり散歩したりしにいっている。昨年から大掛かりな工事が始まり見慣れた景色がどんどん仮囲いに囲まれ、いつのまにか姿を消していった。新宿区にとって大事な木だったはずの「銀世界」という梅も今年のつぼみもたくさん撮ったこぶしもあっという間になくなった。2025年2月21日更新の「公園だより」には普通に

”園内では銀世界のように白い花を咲かせる

「銀世界」が沢山の花を咲かせています。”

と書いてあった。これを書いている人はそのすぐ後にこの木が根こそぎなくなることを知っていたのだろうか。今はすでに何もない。

AIにこんなときの気持ちを聞いてみた。
まず「それはとても切ない出来事ですね。」と共感してくれた。そして以下の気持ちを例に挙げた。

  • 喪失感:毎年親しんでいた風景が突然失われたことによる、深い虚しさや寂しさ。
  • 裏切られたような気持ち:園内の花便りが満開の写真を載せていたにもかかわらず、実際にはその後すぐに伐採されたことによる、情報とのギャップへの戸惑い。
  • 置いてけぼりにされた感覚:愛着をもっていた場所が、何の前触れもなく変えられてしまい、自分の気持ちがそこに顧みられていないような感覚。
  • 無力感:大切に思っていたものがあっけなく消えてしまったことへのどうしようもなさ。

本当にAIは賢い、というか、データがこういうということは多くの人はこう思うわけで、と言えるのも今だけなのかしれない。あの木々や花々があっさり茶色い土にならされたように一年後に同じことをAIに話したら「それはよくある出来事ですね」で終わるのかもしれない。「だからどうした」まではいわないか?いうか?全く腹立つ。誰に腹を立てたらいいのか。工事の発注をした人が悪いわけでもないし、こんな計画、ひとりで決めるわけでもないし、オリンピックのための整備のときもやったことだしもう慣れてしまったのかもしれないし、結構多くの人にとってはすでに「だからどうした」なのかもしれない。公園の工事は来年まで続く。来年の今頃はきっと何事もなかったかのように、今潰されそうになっているチューリップではないチューリップが咲き乱れたり、私が撮影していた薔薇ではない薔薇の芽が育ったりしているのだろう。代わりはいくらでもいる、みたいな。感謝とかないのかな。絶対的な神はいなくても小さな何かが宿っているものと思わないのかな。私のショックとモヤモヤは続く。毎日見ていた景色があっさりなくなった時の衝撃は強かった。自分がいつもと別の道を歩いているのか(一本道なのでそんなはずはないのに)と何度か近辺を往復したりした。あそこは、あそこは、と別の場所も歩いてみた。私が18歳の頃に通っていた公園の姿は何年も前になくなっていた。当時、会えば言葉を交わしたホームレスの人たちもいなくなった。ベンチが増えたにもかかわらず。排除は段階的に進むものであり、そのプロセスを直接目にしていない人には何のインパクトももたらさない、というか知ろうとしなければそれが起きたことも知ることはできない、ということも知った。新宿中央公園はデモの出発地として申請すれば使える場所でもあるが、公園整備反対のデモは起きなかったと思う。悲しい。今までありがとうと草木に対して思う。それぞれのものや場所や人に歴史があることを忘れないようにしようと思う。

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散歩 読書

新宿中央公園、白州正子、散歩

いいお天気。今日もずっと晴れるかな。週末、オフィスの近くの新宿中央公園はとても混んでいた。ちびっこ広場には何組の親子がいたのだろう。新しい滑り台も子供たちに埋もれていた。大人たちは話しながら遊びながらぼんやりしながら長時間ほとんど立ちっぱなしだろう。子供たちを見守るのも休日の大仕事。大変だ。大混雑のちびっ子広場をパンキッシュな大きな人の後をくっついていくことで無事に抜けフットサルコートを右手に前からくる犬や人を避けながら歩いた。桜色はほとんど見かけなくなりいろんな色のチューリップが咲き誇っていた。チューリップは花びらが大きいから存在感があるけど目線は随分下の方だ。空に伸びる大きな木の新緑の眩しさや都庁の高さに気を取られていたらすぐそばで咲き並ぶチューリップに気がつくのが遅れた。いつもはひとりずつ座れるベンチもカップルや親子とや友達同士か他人同士でいっぱい。春の週末はみんなアクティブで賑やか。子供たちもチューリップみたいだな。新学期だね、クラス替えとかどうだったかな。とりあえず1週間がんばろ。

今日もすこしお散歩する時間がある。最近は読書よりも作家について調べたりゆかりの地を歩くことが多い。暖かくなって身体が動くようになったから。関節の痛みもよくなると嬉しいけど動いているうちはまあいいかとも思う。

私が開院時から長く勤めてきた町田市鶴川のクリニックは4月から大きく耐性が変わった。まだ週2通っていた頃は長いお昼休みにいろんなところを散歩した。駅の両側は川沿いも駅ビル側もすぐに上り坂になるがお花や木々を楽しみながら歩いていると小道に突然小さなカフェが現れたりして楽しい。住宅街に美味しいパン屋さんもある。

鶴川には白洲次郎(1902-1985)と正子(1910ー1998)夫妻が昭和18(1943)年から住んでいた「武相荘」がある。この季節もきっと美しいだろう。駅から遠いのと入場料が高いのが残念だけど丁寧に作られ保存されてきたお庭や陶器や家具に囲まれてしばしそこの住人としてゆったり時の流れを味わう贅沢を時々なするのもいい。

正子は永田町生まれで自伝を読むと自分の足でよく動く人だなという印象を受ける。その足取りについていく散歩をするのもいいかもしれない。正子は裕福な家に生まれ自伝を読んでも「うわあ、とってもお金持ちだなあ」と思うのだが両親が付き合っている人物が財閥の人たちだったりするから本人は貧乏な家に生まれたと思いこんでいたというのだから子供の世界というのは面白い。永田町あたりは今はなんだかあんな感じで人の生活を感じにくいが戦前は美しい桜並木のある屋敷町だったという。誰かがこうして書き残してくれているおかげでその土地が最初からこうではなかったと知ることができる。無機質だったり荒地だったりみえる空間に自然や人々の暮らしを見ることができる。さっき書いたように白州正子の文章は彼女が実際に自分の足を使っている感じがよくわかるのでやっぱりついていってみようかな。それにしてもこの前も何かで書いたけど太田道灌ってどこにでもいる印象がある。江戸城作ってるのだから私の行動範囲からしたら当たり前なのかもしれないけど他の県でもよく見かけるからなんか「あーまた会ったね」みたいな気分になる。なんで正子から道灌を思い出したのか。永田町の日枝神社繋がりですね。

自分に見えるものなんてとてもわずかだけどいろんなふうにいろんな人やものに助けてもらいながらなんとかやっていきましょ。まずは今日のお昼までとかちょっとあそこまでとか区切ったりしながらベイビーステップで。

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精神分析

蝉の死

新宿中央公園はいまだに蝉の国だけど、蝉の死骸もだいぶ増えてきた。仰向けに寝転がるように一生を終えた彼らの透明な羽をきれいだと思った。

この時期なら新宿中央公園への道案内は簡単。「ここをいくと蝉の声が聞こえてくるからそこ」って言える。蝉の声が空間の輪郭を描く。

精神分析はいまだ輪郭を持てずにいるその人の部分に触れる。そこに無理に言葉を与えてしまわないように細やかに注意を払う。そうありたいので訓練する。簡単じゃないけど、いろんなことは大抵簡単じゃない。

蝉は「精一杯生きたぞ」とか思わないで力尽きて死んでいく。それはある意味「力の限り生きた」という感じでもある。

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広場

新宿中央公園、10代後半からずっと馴染みのある場所だ。少し前から蝉が一斉にわんわんと鳴き出した。先日、学生もホームレスの人も会社員も私たちも誰でも寝転がることができた芝生広場がリニューアルオープンした。「魅せる芝生」エリアの分だけ私たちの居場所は少なくなった。

広場。私たちが出会う場所。お互いが何者かなんて知らなくても言葉を交わす場所だった。

「いいじゃん、こっちがあるんだから」と残された広場を指差す人もいるかもしれない。単に寝転がるという目的を果たすだけならその通りかもしれない。でもすでに「残された広場」と書いた私は、美しく整えられたその場所を侵襲を受けた場所として捉えているらしい。一個だけ、あともう一個だけ、と言っていたら全部なくなってしまった、というような欲望、あるいは関係のあり方にも馴染みがある。「そこだけは」「それだけは」という抵抗こそ虚しく奪われていく場面も見聞きしてきた。

自分だけの場所を守る。それがどのくらい必要で、どのくらい難しいことか、いろんな人の表情や語りが思い浮かぶ。一度侵襲を受けた場所は多くの場合、最初からそうだったかのように少しずつ姿を変える。事実は変わらないとしても侵襲の記憶に苦しむのは辛い、お互いに。

広場、それは作られるものではなくてどちらかというと余白だろう、と思うのは昨日、マルジナリアのことを書いたからかな。