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読書

「この道」

新宿西口駅から都庁のほうを改めて写真にしてみると未来都市っぽいです。

2020年のままの記載があるのも。

過去が本当に過去になるなんてありうるのでしょうか。

昨年2月、敬愛する作家、古井由吉が亡くなりました。

彼の言葉を引用します。

生きているということもまた、死の観念におさおさ劣らず、思いこなしきれぬもののようだ。生きていることは、生まれてきた、やがて死ぬという、前後へのひろがりを現在の内に抱えこんでいる。このひろがりはともすれば生と死との境を、生まれる以前へ、死んだ以降へ、本人は知らずに、超えて出る。

古井由吉『この道』からの引用です。

先日、帰宅してテレビをつけたらエヴァンゲリオンをやっていました。

もう20年以上が経つのですね。

当時は結構熱狂して全て見ていました。

今回、14年間、眠り続けたシンジが目にした廃墟、

昨日、新宿西口駅から都庁の方へ歩きながらその場面を思い出していました。

ここは未来都市のようで廃墟、あるいは墓場だ。

そんなことを考えながら都庁に大きく張り出された2020年のオリンピックの広告を眺めながら通り過ぎました。

都庁は淀橋浄水場が破壊された跡地です。

そして古井由吉の言葉。

「とにかく、死はその事もさることながら、その言葉その観念が、生きている者にはこなしきれない。死を思うと言うけれど、それは末期のことであり、まだ生の内である」

過去の定義の難しさは死のそれと同じであるように思います。

瓦礫、廃墟、墓場という言葉は被災地へも心を向かわせました。

もうすぐ10年、以前もここで取り上げた小松理虔さんの文章をゲンロンβで読みました。「当事者から共時者へ(9)」。多くの人と共有したい記事でした。

Facebookに載せましたが今日、辛夷の蕾が膨らんでいるのをみました。花も何輪か咲いていました。

過去がなんであれ、死がなんであれ、今年も真っ白な花が咲く場面に出会えました。