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街のお菓子、千葉雅也『現代思想入門』

今朝もまたまたパティスリートリヨンフさん。小川町マドレーヌ。町名のついているお菓子が好きです。たとえばヴォアラの「世田谷讃菓」とかだと太子堂の風景として「芙美子のかけおり坂」、豪徳寺だと「福まねこ」とか。心象風景をお菓子に、ということなので「これはどうしてこの味かしら」と想像しながらいただくのが楽しいです。なんでも「か」は「菓」に変えてしまうところとかも好きです。小川町マドレーヌはどうして小川町?というかどうしてマドレーヌ?これは多分ごくシンプル。パッケージに「和紙のふるさと」とあるからマドレーヌ自体に街らしさがというより街のお菓子屋さんならではの定番お土産なのでしょうね。「小川町って和紙のふるさとなんだー」「そう、わしのふるさと」「・・・」みたいな会話をもたらすのでしょう。「あ、わしって私ね」「(わかってるよ。だから・・・なんだよ)」みたいな会話も聞こえてきますね。あ、くだらない。

千葉雅也さんの『現代思想入門』読みましたか?私の周りは多分「フーコー」で挫折してると思うのです。デリダ、ドゥルーズとものすごく軽やかに話されているわけだけど「フーコー」は内容からしてちょっと雰囲気が変わるからなんにも考えずに「ただ読む」という方法をしない人は立ち止まってしまうと思う。なまじ有名だし。でも本は立ち止まらないことが大事。全部平面として読むことが大事。小さい頃って多分それができていたと思うよ、みんな。絵本の読み聞かせしてるといちいち反応はあるけど立ったまま膝に乗ってきたり指くわえてぼんやりしたりしながらもわりとじっと本を見て聞いているでしょ。反応は自分の中の情報と照合できる部分とかびっくりしたりするところであるわけだけどある意味作者の意図通りなわけでそこはそこ。進むことが大事。千葉雅也さんはこの本の付録にこういう読み方についてもっと上手にユーモラスに書いてくれています。「細かいところは飛ばす。一冊を最後まで通読しなくてもいい。」など。えー、最初に言ってくれよ、と思う人もいるでしょう。でもこういうのは壁にあたってから「え、そうだったの?」となる方が学びになるのでさすがは千葉先生なのです。方法論について常に考えておられるのはnoteを購読しているとわかる。それもすごく勉強になる。この本もベースになっているのは立命館大学での授業だそう。いいねえ、こんな先生に教わることができて、と思うけどだったらこの本を読め、ということですね。高校二年生のときのお父さんとのちょっとしたエピソードも印象的。進路を考え始める時期に誰かがいてくれるって本当に大事。言葉に従うためではなく何かを言われたら反抗したくなったりなるほどそうかと思ったり考えるためのきっかけができるから。そういう相手がいろんな事情でもてなかった人たちとお会いすることが多いのでこういうエピソードにもじんときてしまうのかもしれません。そうそう千葉さんの『エレクトリック』のフランス語訳も出版予定だそう。高2の達也くんのお話。フランス人にどう読まれるのか、千葉さんご自身がフランス語堪能だからご紹介してくれることでしょう。楽しみです。

どうぞ今日がよい一日でありますように。

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思い出など

今日も小川町のトリヨンフさんの焼き菓子と紅茶。神保町の隣の神田小川町ではなくて埼玉県比企郡小川町。東武東上線の。懐かしいなあ。東上線沿いに住んでいたことがあるから駅名はすごく馴染みがある。森林公園も遊びにいったなあ。ジャングルジムで遊んでたら男の子と間違えられた。当時の彼氏と一緒だったのだけどベリーショートだったから?いつもTシャツにジーパンだったから?今もたいていそうだけど。きっとそういうイメージなんだろうね。18でジャングルジム登るのが子供っぽいというのもあるか。でも公園行ったら遊ぶでしょ。今も小さい子たちと登ることがあるけど子どもの危険防止で登っているはずなのだけど私の方がバランスとか危うくて全然ダメですね。鍛えねば。最近ようやくストレッチポールに乗る習慣はついた。脛ゴリゴリするとまだすごく痛いけどトレーナーの先生のところでやったときより痛くない気がする。というかやり方が間違っているのかも?先生、ものすごく的確だったから。怪我しやすい人は身体が感覚掴めるまでプロにきちんと教わった方がいいと思う。自己流で怪我してたら二度手間というかとっても残念な気持ちになるし。整形外科とか行かねばになるといつも混んでるし病院通いは時間がかかるから本当にやってられないでしょ。私は日曜診療のところも使ってるけど、助かるけど・・・。この歳になると友達との病気関連情報網が発達してるから「ここは混むけど順番になると連絡くれるし先生がこういう感じでいい」とか「ここでこんなになってあれは失敗だった」とか教えてもらえるのがいい。この前、友人の病院選び失敗談を聞いてて、その人が医療系の友人にその病院のことを話したら「いい先生はそんなにべらべらしゃべらない」って言われた、と聞いた。至言と思った。必要なことだけをやるっていうのが技術でしょ、医療系も支援者も。余計なことはしない。友達じゃないんだから。友達だったら色々してほしいことをしてあげたいのはわかるよ。小さい子供がいる家庭なんて本当大変だし。予防接種行ったり、熱出したり、怪我したり、なんだかんだ、と自分のメンテナンスする時間も持てないでしょう。だからできることはしたい。私は小さい子がいる友達と遊ぶときはハーブティーとか持ってくことがある。自分が一緒に試してみたいのもあるし、前もってリサーチする場合もあるかな。ハーブって好き嫌いあるものね。彼らと森林公園に行くのもいいな。小さい子はとにかくいっぱい動きたいから見える範囲が広いところで(狭いとこっちもあれこれ注意払わなくちゃで疲れてしまうものね)遊ばせてあげたい。でも最近体力ないからあんまり遠くに行かないで・・・。森林公園は今はチューリップがたくさん咲いてみるみたい。昨年はチューリップで有名な公園に行ったつもりがもう終わっててありゃーってなった。でもいいところだったから野生の花々とか鴨とか見ながらお散歩して楽しかった。なんかまだ寒くて嫌になってしまうけどいろんな種類の桜が咲き始めてて沈丁花やコブシがとってもきれいなまま終わり始めてる。昨晩も真っ白なこぶしが朽ちていく手前の大きな花で闇を照らすみたいに咲いててすごくきれいだった。三浦哲哉さんの『自炊者になるための26週』(朝日出版社)の終盤「索引と徴候」という章で中井久夫の『徴候・記憶・外傷』からの文章が引用されている。この本は私もよく引用させていただいている。そこで中井久夫が書いた花のにおいのところが引用されているのだけど本当に見事な描写だと思うし、その後の三浦さんの思考の展開もすごい。「懐かしいにおいのお茶があれば、それを淹れてください。飲みつつ、つづきを読んでください。」のあとの文章。懐かしいにおいのお茶、なにかな。オレンジティーかな。バイト先で最初に飲んだときはびっくりした。紅茶なのにオレンジ?今ほどフレーバーティーのない時代だもの。でもすっごく美味しかった。あれはジャム使ってたのかな。タバコ臭くて意地悪なお客さんが多くてすごく近寄り難い喫茶店だったのだけど(だからバイトがバレないと思って友達に紹介してもらった)賄いのパスタもアイスココアも全部美味しかった。厨房の大人たちは怒鳴るし最初は怖かったけど(あまり覚えてないけど多分怖かった)「メニューにないものも作ってくれるよ、これが美味しいよ」と先輩が色々教えてくれたから恐々いってみると先輩のいう通り美味しいのが出てきてニッコリしたり。そのおっさんもそのうち怒鳴らなくなった。最初から怒鳴らないでよ。先輩はメルローズに就職した。あるとき道を歩いてたら田舎道ではあまり見かけないかっこいい車がピタッと横に止まった。声をかけられて「だれ!?」って一瞬ビビったけど先輩だった。モデル体型の人ではあったけどすごくおしゃれで最初誰だかわからなかった。エプロン姿しか馴染みがなかったから。あの人が私にとって「かっこいい」の元祖かも。元祖って今もいうよね?中性的で言葉少なくて優しかった。不良時代を支えてくれた皆々様との思い出が食べ物を通じて蘇るよ。感謝感謝。こんな歳になるまでどうにかこうにか生き延びております。みんなも元気でいてほしい。あ、千葉雅也『現代思想入門』のことを考えていたのに全然書いていない!なぜだ。お菓子を先に食べたからか。まあ、今日は時間切れ。あの本はとてもいいけどかなり難しいよね、ということを考えていたのさ。どうぞ良い一日をお過ごしください。