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雪予報、上原沙也加写真集『眠る木』(赤々社)

まだ雪が降っていないのを確認。雨だと窓の内側からだと見逃すことがあるから一応少し窓を開けて確認。何も降ってない。というかさむっ!私のアイフォン(カタカナに変換されちゃった。新鮮)だと8時代から曇りときどき雪マークなの。困ります。早めに出るけど。でも雪慣れしていない東京の人としてはほとんど出番のない雪用の靴を履いちゃおうかなとかちょっとしたワクワクもあったり。育ったのは群馬だからスキーはたくさんいってるけど市内は雪より風だったし。まあだからといって風に強いわけでもない。

昨晩、帰宅しポストをのぞいたら薄い封筒が入っていた。B5より小さいけどB5くらいのサイズ。なんていうサイズなのかな。たまたまここにある『超ビジュアル戦国武将大事典』(西東社)と同じくらいの縦横。なんと写真家の上原沙也加さんから。開けてみたら薄い冊子が入っていた。

写真集『眠る木』(赤々舎 )のための上原さんの文章と柴崎友香さんと仲里効さんによる英語の寄稿文。嬉しい。昨年末、なんとなくニコンプラザへみにいって静かに胸打たれ翌日もみにいって写真集を予約。その時はまだ製本されていなくてその手前の状態に触れて見ることができた。柴崎友香さんと仲里効さんの寄稿文はその時に読んだ文章の英訳。日本語は写真集で。本が届いて帯文が岸政彦さんでデザインは鈴木千佳子さんだと知った。出来上がった写真集は大事に触れたくなるざらざらとふわふわが混じったような質感であのマネキンの写真が表紙だった。写真集については以前にも書いた気がするが、一度しかいったことのない沖縄で感じた独特の印象の理由を静かに辿らせてくれるような写真たち。あたたかい、寂しい、静か、のんびり、どんな言葉も当てはまるようなどんな言葉にもならないような。写真には文字としての言葉しかないけどたとえそこに人が写されていなくても人の気配があり沈黙や話し声が聞こえる。ニコンプラザの無機質な小部屋で引き伸ばされたそれらの前で佇んだ時間はとても貴重な静けさを荒んだ私の心にもたらしてくれた。

ああ、今日の東京は雪の予報だった。まったりしてしまった。電車が本数を減らしたりするかもといっていたから早めに出ねば。みなさんもどうぞ足元お気をつけて。

上原沙也加さんの写真集のこと、岸さん、柴崎さん、仲里さんの文章の一部は上原さんのツイートをチェックしてみてください、ぜひ。

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土砂崩れとか火災とかのニュースが辛い。今年は関東大震災から100年というニュースを電車の液晶で見た。

昨年行ったいくつかの写真展のことを考えながらここ半年くらい何度も検索した人物をまた検索しようとしたがまた忘れてしまった。精神分析協会の先生の名前しかでてこない。苗字が同じなのか、と今思い出したつもりだったけど見直したら苗字も違った。忘れたくても襲いかかってくる記憶のほうをなくしてほしい、なくすなら。

上原沙也加の個展で注文しておいた写真集『眠る木』が届いた。美しい製本。帯を岸政彦さんが書いていた。

なんだか書いては寝て起きては消しを繰り返してしまう。加工ができない状態のときは寝るに限る。東京はいいお天気。みなさんどうぞご無事で。

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映画、写真、まなざし

今朝は南側の大きな窓の間近、いつもより近くで鳥たちが鳴いて飛び去った気がした。今はだいぶバラけた個別の声が聞こえるだけ。

ケイコ 目を澄ませて』の友達同士のおしゃべりのシーン、本当に素晴らしかったなぁ。言葉を話すとはこういうことかとその手話の美しさに圧倒された。

いつまでも子供でいたいあの人の言葉にもっとも欠けていると感じた自然な「流れ」。

上原沙也加のニコンサロン(新宿)での個展「眠る木」にも連日行ってしまった。そこに写されていないものを写せる写真家なんだなあと涙が出た。「写真集、届いたら楽しんでくださいね」「楽しみます。とても楽しみ」と話した。

自分に意地悪な人は理論武装してもいくら愛想よく気遣いに溢れた振る舞いができても意地悪がこぼれでてしまう。それに気づいたり傷ついたりしてしまう人は亡き者に。攻撃的で衝動的な自分が嫌で仕方ないから他人を使う。自分を保つ。写真には写らない。けど写ってる。誰もが歴史と場所に痕跡を残してる。いずれ誰かに、と。

残酷な現実があるから成立するまなざし。それを単純化しないことが大切な気がしている。普段はごく普通の思いやりで、何かを指弾するならできる限り冷静に正確に。他者とは利用や馴れ合いではない協力を。孤独で冷徹な自分を十分に感じつつ。

あー。寒くて動きたくないけど仕事行かねば。みなさんもお身体お大事にお過ごしくださいね。