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映画、写真、まなざし

今朝は南側の大きな窓の間近、いつもより近くで鳥たちが鳴いて飛び去った気がした。今はだいぶバラけた個別の声が聞こえるだけ。

ケイコ 目を澄ませて』の友達同士のおしゃべりのシーン、本当に素晴らしかったなぁ。言葉を話すとはこういうことかとその手話の美しさに圧倒された。

いつまでも子供でいたいあの人の言葉にもっとも欠けていると感じた自然な「流れ」。

上原沙也加のニコンサロン(新宿)での個展「眠る木」にも連日行ってしまった。そこに写されていないものを写せる写真家なんだなあと涙が出た。「写真集、届いたら楽しんでくださいね」「楽しみます。とても楽しみ」と話した。

自分に意地悪な人は理論武装してもいくら愛想よく気遣いに溢れた振る舞いができても意地悪がこぼれでてしまう。それに気づいたり傷ついたりしてしまう人は亡き者に。攻撃的で衝動的な自分が嫌で仕方ないから他人を使う。自分を保つ。写真には写らない。けど写ってる。誰もが歴史と場所に痕跡を残してる。いずれ誰かに、と。

残酷な現実があるから成立するまなざし。それを単純化しないことが大切な気がしている。普段はごく普通の思いやりで、何かを指弾するならできる限り冷静に正確に。他者とは利用や馴れ合いではない協力を。孤独で冷徹な自分を十分に感じつつ。

あー。寒くて動きたくないけど仕事行かねば。みなさんもお身体お大事にお過ごしくださいね。

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ジェンダー関連メモと映画メモ

「退行的な胎内への回帰幻想=母幻想におぼれそれにしがみつく者と、母子の間にすら存在する自我と他我の相克を凝視する者とでは、どちらが子どもに対し、また人間に対し、本当の愛情と理解を持っているといえるだろうか。」

ー『増補 女性解放という思想』(ちくま学芸文庫)江原由美子著

「中絶」や「子殺し」の問題に取り組んだリブ運動に関する論文から引用。愛情ってなんでしょう。

この論文はこちら(2022)にも所収→『リーディングス アジアの家族と親密圏第3巻 セクシュアリティとジェンダー』 p383「第19章 女にとって産むこと産まぬこと」

先日、インドの女性の精神分析家の話を受けて、同じくリーディングス アジアの家族と親密圏第3巻 セクシュアリティとジェンダー』の「第12章「男性の概念」とは何か。ー名誉殺人における「名誉」」を引用しながら議論。手紙書かなくては。

彼らにとって「名誉の損失」が、苦痛を構成するほどのものだとされれば、それは暗に「正当化されうる動機」となるのである。言い換えれば、もしある女性の人格が「邪悪」あるいは「ふしだら」とみなされれば、男性は理由なく彼女を殺すことができる。上記の理由づけは、例外なくすべての人の生存権と平等権を認めるインド憲法に反している。❨246-247❩

増加する暴力に対する一つの可能な解決策であったはずのカースト間結婚の社会的受容への道筋は、欲望、道徳、名誉のイデオロギーの中に失われてしまったのである。

女性は名誉の貯蔵庫であり、男性はその管理人なのである。❨248❩

先日「名誉毀損」という言葉を法の文脈で使ったけど使いながら「名誉って」となった。まずはいつもこんな気持ち。もしジェンダーに関する困難や問題を構造の問題として考えるなら個人的な人間関係はひとまず棚上げして同じ困難を抱えるものという「共感」から始めてはどうかしら。

映画「ケイコ 目を澄ませて」をみた。最近はなかなかない音と光がツルッとしてなくてリアルで岸井ゆきのはやっぱりとてもよかった。このことから書こうと思ったのにメモから書いてしまった。そんなこともある。大体そんなかな。良い一日を。