雨は降っていないみたい。時折、鳥の声が高くピーッと過ぎていく。今朝は小田急線鶴巻温泉駅そば(秦野市)アンドリアン洋菓子店のオレンジケーキ。鶴巻温泉駅って降りたことあったかなあ。これは山登りをした人のお土産。アンドリアンさんのは前にもいただいた気がする。オレンジのパウンドケーキ、つぶつぶのオレンジがかわいい。しっとり。面倒だからインスタントだけどコーヒーと合う。
笠原嘉(1928年神戸生まれ)が亡くなったと聞いた。直接お話を伺ったこともないが、中井久夫(1934年奈良県生まれ)や木村敏(1931年旧朝鮮生まれ)などの著作同様、よく読んだ。事例も豊富で、多くの患者さんが投げかけたり、残したりしてくれたものを日常の診療でどう捉えていけばいいのか考え続ける姿勢に多くを学んだ。私は単科精神科病院でその日の診察で心理面接を希望した方の状態や状況に合わせてお話を伺っていくあり方がとても好きだった。医師とすぐに直接コミュニケーションがとれる小さな精神科や小児科のクリニックでの仕事もどうしたらもっと工夫ができるだろうと考えられて楽しかった。今は週に4コマだけ担当させていただいているが、自分のオフィスでの生活が中心になった。精神分析家の資格を得て、オグデンたちがいう精神分析家に「become」するためにこの生活で実践を積み重ねていくことを選んだのだから若い頃みたいにあれもこれもというわけにもいかない。子ども支援のNPOの仕事もしたいし、療育もしたいし、笠原先生の本を思い返すと以前の日々も同時に送りたくなるけれど。今みたいに特定の人たちの中のいろんな部分とお会いする毎日を積み重ねられる時間だってそれほど長いわけではないし、これ以上別の専門の勉強をする時間はない。笠原先生のような本はいくら読んでもいくらでも実践に活かせるわけだから読み続けるけど。それにしても若い頃に読んだ本たちの濃さはすごかった。今とはだいぶ異なる読書体験をしていたように思う。簡単に感想を述べられるようなものでもなく、病気については哲学の方面も併せて歴史から学びつつ、症例から受けるインパクトに身を浸しつつ読んだ。本のおかげでいつでもそういう体験に戻れることに感謝したい。
先日、フロイト「治療の開始について Zur Einleitung Der Behandlung」(1913)を読み直していたと書いた。これはストレイチー訳以前に英国精神分析協会の創設メンバーでもある
Joan Riviere (1883-1962)も訳している。リビエールの大きな貢献である「陰性治療反応の分析への寄与」は最近復刊した重要論文集『対象関係論の基礎 クライニアン・クラシックス 新装版』に収められている。松木先生による紹介文にもあるけどリビエールはストレイチーも参加していたブルームズベリー・サークルにいた才媛で、1916年からジョーンズの分析を受けたあと、1922年2月から11月までフロイトとの分析を体験している。その間にフロイトの著作の翻訳をしており、フロイトが自分を翻訳者として見ていることに不満を持っていた、みたいなことが別の何かに書いてあったことを思い出した。フロイト理論にクライン理論を位置づける困難もリビエールだから説得力ある形でできたのだろうし、それがクラインとアンナ・フロイトの大論争のときの貢献にもなった。それでも自分の分析家から何かの役割で見られることは嫌だよね。そういうふうに使わないでほしいし。リビエールはその後クラインとも距離を置きつつ、文学、芸術分野と精神分析をつなぐ論文も書いていて、学派と関係なくインディペンデントな人だったのだろう、と思う。
1992年のInternational Review of Psychoanalysis,19:265-284にLetters from Sigmund Freud to Joan Riviere (1921–1939) が載っていて、1921年8月12日から1939年1月22日までの期間にフロイトがジョアン・リヴィエールあてに書いた一連の書簡が読めるようになった。私がPEPで読めるのは要約部分だけなんだけどワシントンのLibrary of Congressのサイトから探せるかも?わからない。そこにもフロイトの著作を翻訳し出版することに関するやりとりがあるらしい。リビエールはすでに伝記も出ていたかも、と今思い出した。あとでチェックしてみよう。みんな死ぬけど多くのことを残してくれている。ありがたい。
肌寒いけど風邪ひかないように参りましょう。どうぞ良い一日を。
