毎日思いもかけないことが起こるのだけど、これからもずっとそうなのでしょうね。
「またか」という失望を伴う出来事ですらそれがまた本当に起きるとびっくりしてしまったり。何度も何度も辛い思いをしたいわけではなかろうに、と自分でも思うのに。不思議です。諦めが悪いのかもしれません。
こころは意識的にどうこうできるものではないと思っているので、何か感じたり考えたりする自分に委ねるしかないと私は思います。いろんなことは起きてから。
だから「待つ」ことの重要性ばかりいっているような気がします。言い聞かせてるだけのような気もします。難しいです。
息苦しくならないために何かいったつもりがその言葉にまた息苦しくなってしまう。精神分析の方法である自由連想にはそういうところがあります。不思議ですね。
自分で自分を欺くようなことをして苦しんでしまう私たちを「人間ってそういうものだ」みたいにいうのは簡単ですし真実かもしれませんが、この仕事ではそういう言葉は自分以外の誰かがいうものではないのでしょう。
少しずつですね、何事も。