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精神分析

環境

どうしても母親の気持ちを知りたい、執拗に、執拗に。

臨床場面ではそのような切実な想いにたくさん出会います。この場合、知りたい対象が実際に生きているか、そばにいるかは関係ありません。こころのなかで、こころと言わないならば記憶のなかで(どちらも現象としてしか捉えられないけど)生きている人に向けられた行き場をなくした強い思いというものが今ここに現れることがあるのです。

精神分析でいえばそれは患者と治療者の関係として現れ、それは転移と呼ばれています。

切り取られ、リピート再生されるように同じ場面、同じ状況が不思議と持ち込まれる臨床現場はすでに時空の歪みが生じているとも言えるでしょう。過去・現在・未来が動的に作用し合う可能性がそこにはあるようです。

ただそこにはとても強力にネガティブな感情も動いています。そのため精神分析家のウィニコットが当時の精神分析に欠けていたものとして描き出した「環境」がとても大切になります。

誰かと何かを知ろうとすることはリスクを伴います。多くの傷つきを反復的に体験します。だからそこには支えが絶対に必要なのです。安易に外的な第三者を導入するのではなく、二者を守る環境を治療者側が外的、内的、心的に準備する必要があるのです。それを可能にするのが訓練としての治療です。精神分析でいえば精神分析を受けることです。

今度、出る本の一章では精神分析ではなく、精神分析の知見を活用した理解をしながら行なった心理療法の症例をもとに、そんなことを書いてみました。何事にも準備が必要で、支えが必要だ、という一見当たり前のことを何度も思い出す体験をするのが臨床なのでしょう。私たちはすぐに相手との境界を曖昧にしてしまいがちだから。傷つきやすいのにそうしてしまうのは人間の本性でしょうか。

穏やかなお天気が続いていますね。良い一日をお過ごしください。