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精神分析

simply listen.

誰もみていないのになんでだろう。なんとなく気が咎めて反射的に奇妙な小細工みたいなことすることあるよね、と話しながらゲラゲラ笑った。

「小細工」という言葉がそのときは妙におかしかった。自分に対して行う「小細工」。
どうして私たちはそのままいることが難しいのだろう。

精神分析のお約束は「自由連想」だけどそれがいかに不自由か、ということは分析を体験している人には強く実感されることだろう。
なんか知らず知らずのうちに小細工するの、自分の言葉に。
控えたり、すり替えたり、小さな声になったり、慣れていない言葉使ったり。

夢の中での冗談は笑えないと言ったのはフロイトだっただろうか。
おそらく「機知」論文の中でフロイトがそう言っている。
最近、現実でも笑えない話が多い。
というより笑ってすますことができなくなってる?以前だったら笑えた話も笑えなくなっているような気がする。

言葉ひとつ足りないくらいで 全部こわれてしまうような かよわい絆ばかりじゃないだろう
さあ見つけるんだ 僕たちのHOME♪

B’zのHOME。この部分、しょっちゅう口ずさんでしまう。

小さい頃、落語をラジオで聞いていた。一部、布張りのしっかりした箱に入ったカセットテープの全集は東京に持ってきて、今も私の部屋にある。

当時は何を言ってるのかよくわからなくて、でも大人たちが笑うのがおかしくて笑った。
実際音の揺れや動きやリズムは子供の私にも楽しかった。

今、私たちは言葉を音楽として聞けているだろうか。言葉の単一の意味ばかりに注目し、その多義性に心閉ざしていないだろうか。意味だけでなく、言葉が紡がれるときのなにか別のものを取りこぼしてはいないだろうか。

いつもそんなことを考えながら患者の言葉をただ聞く。simply listen.
フロイトが技法として書いた言葉だ。
シンプルな言葉は奥深いし、難しいし、ただ真似をするということをさせてくれない。
なのに響く。「だから」響くのか。


今、No music, No life.にかけた言葉を思いついたけど恥ずかしいから書かない。
どうしてこうやってサラサラ書いてると本当にどうしようもないことが浮かんできちゃんだろう。
自由連想って危険だから不自由になるのね、多分。