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精神分析、本

詩の朗読

平熱のまま、この世界に熱狂したい 「弱さ」を受け入れる日常革命』(幻冬舎)の著者、宮崎智之さんが詩の朗読(暗誦!)を始めたと知った。聞いてみた。詩はパーソナルなものだ、と改めて感じた。

精神分析家のトーマス・オグデンの近著”Coming to Life in the Consulting Room Toward a New Analytic Sensibility”に彼がこれまでもずっと取り上げてきたロバート・フロストが登場していたので読んでみた。

8:Experiencing the Poetry of Robert Frost and Emily Dickinsonという小論がそれだ。オグデンは初期の著作から”creative readings”の試みを続けている。これは以前のブログでも触れた。最新刊である本書のオグデンはもうその極に達する、というとon goingだと言われそうだけどさっぱりしていてもう十分に死を意識しながら生きているのだろうなと感じた。この世には自分だけは死なないと思っているのではなかろうかと疑いたくなるような人も少なからずいると思う。私は虚しさや儚さと触れ得ないこころを感じとるときにそう疑ってしまう。オグデンはそれを否認しない。

オグデンはこれまでもボルヘス、ロバート・フロストを頻繁に引用しcreative readingを続けてきた。ここではエミリー・ディキンソンの詩を引用している。多分はじめての引用。

ちなみにこの小論の初出は2020. Experiencing the Poetry of Robert Frost and Emily Dickinson. Psychoanalytic Perspectives 17:183-188である。

私は彼らの詩自体にもようやく興味が沸いたので調べてみた。岩波文庫『アメリカ名詩選』『対訳 フロスト詩集』『対訳 ディキンソン詩集』の3冊がとても役に立った 。詩は面白い。

そうだ、宮崎さんの朗読に触発されたという話。細々とフロストやディキンソンを読み、ネット上でそれらの朗読を聞き詩を読むのはとても難しいと改めて感じていたところに宮崎さんの試みとも出会った。私も試してみた。読んだのは先日ここでも取り上げたさわださちこ『ひのひかりがあるだけで』。やっぱりとてもとてもいい。恐々自分の朗読を録音してみた。なんか変だ、やっぱり。私が詩から受け取ったものが私の声では表現できない。難しい。

夜になり「文章ならどうだろう」と思い立ちこれまた大好きな作家、小津夜景の『フラワーズ・カンフー』の短い散文を読んで録音してみた。こっちの方がまだマシかもしれない。が、なんと、とっても短い文章なのに自分の声を聞いてる間に眠ってしまった。私は私に読み聞かせをする意図などなかったのに。「あみさんの声は眠くなる」と言われてはきたがまさか自分が寝るとは。びっくりした。

これまでたくさんの子供たちに読み聞かせをしてきた。療育のグループで紙芝居を、お膝で赤ずきんを、抱っこしたままあやふやな記憶の断片を。これからもしていくだろう。精神分析の仕事も詩を読む体験ととても似ている。だからオグデンもそれを続けてきたのだ。私ももう少し体験を増やしてみよう。

朝はとてもそんな時間がないが(こういう文章をばーっと書くのとは訳が違うから)また夜かな。今夜かな。今日を過ごしてみて手に取りたくなった本から何か読もうかな。そう考えてみると今日を過ごすのが少しだけ楽しみになる。なりませんか。なにはともあれもうだいぶ朝も深まってきました(とは言わないけど)。よい1日になりますように。