外が暗いうちに目覚める。すぐに明るくなる頃に目覚める。鳥たちとともに。洗濯機をかけて麦茶をいれる。花火が描かれた薄いグラスが曇っていく。一昨日からまた麦茶を作り始めた。といっても沸騰したお湯にパックをポンと浸しておくだけだけど。今日も猛暑だそうだ。水分補給も気をつけねば。
『スープとイデオロギー』という映画を見た。ヤン ヨンヒさんがご自身の家族を撮った映画だ。彼女はこれまでも父親や姪のことを撮って多くの賞をとっているとのことだが私は全く知らなかった。彼女は在日コリアンで今回撮られたのは彼女のオモニ(母)である。オモニは18歳の時に済州4•3事件を現地で体験していた。
「来週見ようと思って」と見るより先に買ったパンフレットを見せてくれた。その人は部落の方々に話を聞くドキュメンタリー映画を見てきたとその話もしてくれた。生活史を聞く。社会学者の岸政彦さんの仕事が広く知られているだろうか。私の仕事の主要な部分でもある。彼らの生活史が広く知られることはないだろうけど。同じ場所で同じ出来事を体験したはずの人たちでも語りは異なる。おそらく聞き手によっても異なるだろう。その映画には若い女性の語り手はあまり出てこなかったと聞いた。
済州4•3事件、私は朴沙羅さんの『家の歴史を書く』(筑摩書房)で知った。以前ここでもこの本には触れたことがある。朴さんがご自身のおじさんおばさんの話をそのまま書き取り、聞き取るなかでの想いも吐露し、学者としての考察も加えた豊かな一冊だった。同じ場所で同じ出来事を体験したはずの人たちでも語りは異なる、と書いた。この本でもそうだった。歴史的な非常に残虐な事件が起きた場所でその日も生活していたからといってその事件について語られるとは限らないのである。
『スープとイデオロギー』の冒頭には、母親が病院のベッドで突然事件のことを語りはじめる場面、娘の結婚相手に言及する父に娘がツッコミを入れ母が笑う父在りし日の賑やかな食卓の場面が置かれていたと思う。大阪弁と韓国語が混じり合う家にはかつてこの映画の監督、オモニの娘であるヨンヒさんの兄3人も暮らしていた。写真でしか登場しない彼らのひとりはすでに亡くなり、2人の兄は平壌で暮らす。ヨンヒさんは映画が理由でそこにはいけない。父も墓で眠る平壌に。「人間プレゼント」という言葉も私は知らなかった。ヨンヒさんが結婚相手を連れてくる場面はこの映画の最も幸せな場面だろう。オモニの笑顔の美しさに涙が溢れっぱなしだった。そして昼過ぎにくる彼を迎えるために朝からオモニが作る鶏丸ごと一羽と大量の真っ白な青森ニンニクと高麗人参とナツメをコトコト煮込むだけのスープの美味しそうなこと!アボジ(父)が望まなかった日本人のパートナーを暖かく丁寧に笑顔いっぱいにもてなすオモニが済州島で大虐殺と焼き討ちを体験したのはまだ18歳のときだ。婚約者を失い、叔父を失い、幼い妹と弟と散歩を楽しむふりをして検閲を潜り抜け大阪へ密航を果たしたという出来事はこの映画ではクレイアニメで描かれた。余計な感傷を寄せ付けないクレイの若きオモニの目線はこうして娘たちを見守るオモニのなかに確かにあったものなのだ。でも私はそれを想像することすらできない。ヨンヒさんはアルツハイマーが進行しそこにはいない家族と同じ屋根の下で暮らしていると信じているオモニを済州島へ連れていく。もちろんパートナーの荒井さんも一緒に。ヨンヒさんがはじめて感情を抑えられなくなるのはそこでだ。母がした体験をそこで起きた出来事をどこまでも続きそうな犠牲者の名前の列を墓を彼らが幼い日を過ごしたかもしれない海を幼い妹をおぶって弟と手を繋いで30キロを歩いて大阪へ向かう船に向かったという道をヨンヒさんは車椅子の母と荒井さんと一緒に体験する。
”「語りえない」ことなど、おそらくそれほど多くはないのだ。”
朴沙羅さんは『家(チベ)の歴史を書く』で書いた。
”「ただ、調査者や聞き手が聞き取り得なかったことがあるだけだ”
ヨンヒさんは自分のカメラを通じてではなく母の体験の場所を共にすることで母の想いを知ってしまった。
ヨンヒさんの気持ちを考える。子供の頃から疑問だらけだっただろう。なぜ兄たちは、なぜ父は、なぜ母は、どうして自分だけ、と。映画のトーンはあくまで静かで暖かくユーモアがあり時折入り乱れる感情も日常に回収される。ただ、私にはオモニの症状が一気に進むきっかけとなったかどうかはわからないがその直前の聞き取りのシーンが本当にキツかった。ただ聞く、その難しさは日々実感している。ただ聞く、あくまで受動的に。そうすれば朴さんが書くように「語りえない」こどなどそんなに多くはないのだ、多分。
みてよかった。教えてもらってよかった。オモニは今年のはじめに亡くなったそうだ。問い合わせが多かったらしくヨンヒさんがTwitterで報告していたのをみた。ヨンヒさんの仕事の意味はとても大きい。難しく苦しい仕事でもあると想像する。歴史を共有してもらえてよかった。知らないことばかりの日常だけど少しずつ今日も少しずつ。