今朝は山梨の信玄餅で有名なお店「桔梗屋」のお菓子色々をもらったのでそこから黒蜜カステラをいただきました。ちょうどよい甘さで美味しかった。空のピンクもとてもきれいでした。
以前、必死に頑張ってきたことを褒めてほしい(だけの)人のことを書きました。(だけの)とあえてつけるのは「まさかとは思うけど本当にそうだったんだ」という絶望に近い驚きを相手にもたらすからです。その人は相手が別の気持ちや考えをもった別の人であるということを頭ではよくわかっています。でも内面に興味を持つ、親密になる、ということがどういうことか実はよくわからない。その人は自分の脳世界だけで生きているといってもいいかもしれません。以前「AIっぽい」と書いたのもそういう感じの人のことです。嫌なやつとかでは全然ないのです。AIと同じように人を惹きつける力を持っていることも多いです。私は非常に魅力を感じているので色々読んじゃいますね。そう、彼らも表面的に関わる分にはとっても魅力的でとっても素敵だったりするのだけど親密さを求めるととたんに理解に苦しむことが増えるので特定の関係性を持つ相手のみ相当なアンビバレンスに陥ることが多いです。当人はそういうのが実感としてわからないので面倒なこと厄介なことはうざい重たいしんどいで回避、排除の方向へ行動しがちです。自分の情緒を自由に感じるためのキャパが少ないのでしょうがないので苦しいのはお互い様なのだけどこの苦しさも共有できないので相当なすれ違いが生じます。回避、排除は自分が引きこもったり相手のせいにしたりちょうどよく心配やら賞賛やらしてくれる人を相手役に変えたり行動としては様々な形をとります。相手の気持ちを想像するとかは本当に本当に困難であることを相手の方は思い知り「ああやっぱりそれ(だけの)人だったんだ」と絶望し、魅力を知っているだけに自分のその認識に自分が追いつけない事態になります。今の時代、その人が知性が高くメディアを用いた自己開示が上手な人となるとなおさら外側と目の前のその人のギャップは文字情報として残るのでこちらの情緒的な乖離をもたらします。知りたくもないことが突然目に飛び込んでくるような時代です。もちろん自己開示を上手にするのはかなり大変でそういう意味でも一生懸命を超えて必死さを感じてそうやって愛してもらってきた。できるだけ卑小感を感じないように。だからその部分に少しでも異物が混入するのを感じると怒り(Narcissistic rage by Heinz Kohut)が生じてしまう、というのは専門的にみればわかるのでそういう自分に苦しんでおられる方が精神分析的な治療を求めることはよくあります。ただ変容ということを考えるとそのナルシシズムが傷つく怒りを通過しないわけにいかないので治療状況でも同じようなことが生じたときにお互いがどう持ち堪えるかは重たい課題になります。
村田沙耶香『となりの脳世界』は私も人のそういう部分をとても苦しく感じていた昨年の終わりに出た本ですごく助けられました。年末は年末で「来年とかいらないし」という方もいるでしょうし年末とか関係なく「今日もまた生きたまま起きてしまった」といつもの絶望に苦しんでいる方もおられるでしょう。そういうときにこういう本と出会ってほしいなと思います。私は辛くて辛くて仕方ないときに出たばかりのこの本と本屋さんでたまたま出会うことができました。みなさんの苦しくて死にたい毎日にも少しでも幸運な偶然があったらいいなと思います。ちなみにこの本は文庫ですし、短いエッセイを集めたものなので読む負担も少ないと思います。
「隣の人はどんな世界に住んでいるのだろう。同じ車両の中にいるのに、きっと違う光景を見ているのだろうなあ、といつも想像してしまいます」
「誰かの脳世界を覗くのは、一番身近なトリップだと思います。ちょっと隣の脳まで旅をするような気持ちで、読んでいただけたら」
と村田沙耶香さんは「まえがき」で書いています。年末年始のお休みはまだコロナも心配ですし、外に行かずともこんなショートトリップもいいかもしれないですね。村田さんの書いてくれた脳世界へ。
私たちは映画や小説みたいにわかりやすい「悪」がいる世界に生きていないから愛と憎しみというアンビバレンスに常に引き裂かれるような痛みを感じています。ナルシシズムはその痛みにどっぷりと沈みそこから立ち上がるのではないあり方のひとつです。人と思われていたらモノだったみたいな驚きと絶望を親密さを求める相手にはもたらしがちですが、どれもこれもその人の全体を覆うものではないのもほんとのことでしょう。そうでなければ、私たちがお互いに「そうではない」部分を想定できなければまたあの体験をするのかと怖くてコミュニケーションできなくなってしまうでしょう。
「夫婦や家族のように近い関係ならなおのこと、これからもたくさん、深く、傷つけ合うのです。自分が他人を、家族を傷つける人間だという事実から逃げずに、受け入れましょう。」
紫原明子『大人だって、泣いたらいいよ~紫原さんのお悩み相談室~』152頁からの引用です。
「後ろ指で死ぬわけじゃないし、それもまた一興ですよ。」
これは32頁。「離婚と恋愛編」のなかのひとつ。ちなみにさっきのは「近いから厄介な家族編」のひとつでした。
専門家ではない人の言葉の明るさと力強さは半端ないですね。私たちって患者さんといるときでさえいい人ぶったりしがちだけど紫原さんみたいに自分の感覚と経験を信じて正直であることが自分にも相手にも誠実であることだとはっきりと打ち出していくことはとても大切だと思います。
と私はなんとなくきれいめな感じで書いている気がしないでもないですがどれもこれも簡単ではないですよね。それでも今日も世知辛い現実となんとかやっていきましょうか。朝upし忘れたので歩きながらなんとなく閉じます。またここでお目にかかりましょう。