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精神分析

れんこんサブレー、寮

「れんこんサブレー」なるものをもらった。裏面をみると茨城県土浦市が販売元。ほー。そんなにれんこんの味はしない、というかそもそもれんこんの味とは?独特の水っぽさ(あるいは水が抜けたっぽさ)と土っぽさ以外にどういえば。形が最高にかわいい。このサブレーもぽこぽこ空いた穴がかわいい。茨城県のれんこんは作付面積、出荷量ともに全国トップとのこと。主な産地は低湿地帯の多い霞ヶ浦地域。土浦は霞ヶ浦地域になるんだね。予備校のときの友達が土浦出身で方言を少し恥ずかしがりつつネタにもしていた。寮だったからたくさん友達ができていろんなことが起きた。上板橋駅はなんの不足もない住みやすい場所だった。いろんな国の人がいた。肉じゃが定食は当時550円。それだって決して安いとは思わなかったけどよくいく定食屋もあった。ケンタッキーで鶏肉の部位を選べることも知った。これからごはんを食べる日も外で何か食べてきてしまった日も通学の一環のようによく通った。いつも一緒に行く友人はケンタ(と呼んでいた)でバイトの経験があったからいろんな裏話を聞いた。もう覚えていない。しょっちゅう門限に遅れては呼び出され寮母さんのおにぎりを食べながら説教というより雑談をされた。このセットはほぼ説教であった。このおにぎりは密やかに恐れられており確実に抑止力になっていた。急に雨が降ってきて隣の部屋の子の布団を取りこんだりもした。その子とはあまり話したことがなかったから迷ったけどベランダは繋がっていたし誰か取り込んでくれたらなあ、と今頃思っているに違いない、と思い込むことで取り込んだ。感謝された。ホッとした。尾崎豊が死んだ年だった。食堂のテレビのニュースを見ながら泣き崩れている子がいた。私は尾崎より氷室とかの方が身近だった、というか比べるものでもないが、尾崎のことをよく知らなかった。嫌な報道のされ方だなと思った。フレディ・マーキュリーが死んだのはその前の年か。高校で隣の席の友達がずっと静かに泣いていたことを思い出した。10代後半は最後の独特の時期という気がする。私は不登校を理由にやってくる小中高生と会うことが多いが何年一緒にいてもその年代ならではというのが現れるのが興味深いし愛おしく思う。今はあの感じが30代まで続いている印象があるがまあそれはそれでそれはそれ。今日は金曜日。がんばろう。

作成者: aminooffice

臨床心理士/精神分析家候補生