寝不足。電化製品に頼ってヌクヌクしすぎている結果だ。全然ダメだな、と思いつつテレビまでつけてる。作業のために必要なものは全てうちにある。だからうちで没頭すればいい。それを邪魔する誘惑も全てうちにある。うーん。お菓ティがまずい。いやお菓子もお茶も美味しすぎてまずい。昨日、カフェに行ったら周りのみんなは一生懸命勉強していた。私も隙間時間に少しでも勉強しなくてはと思って行ったのだけど「ココア美味しい」とヌクヌクぼんやりしていたらすぐに時間になってしまった。「だって雪だったし」とか理由はなくもないが今日は晴れる予定だとしても「だって寒いし」とぼんやりし続ける理由なんていくらでも作れる。誰も困らないのだけど。いや困るかもしれない。やっぱりやらねば。
本は少し読んだ。ラカン派ではないフランスの精神分析家アンドレ・グリーンの理論を少しずつ咀嚼しているので読んではやめていた『フランス精神分析における境界性の問題
─フロイトのメタサイコロジーの再考を通して─』も読めるようになってきた。
・1996年11月〜1997年5月
・ジャック・アンドレ主催、サンタンヌ病院でのセミネール
・目次は講演順、演者による加筆修正あり
第一章 唯一の対象
──ジャック・アンドレ
第二章 境界例の生成と状況
──アンドレ・グリーン
第三章 境界例は精神分析家にとって夢の患者なのか
──ピエール・フェディダ
第四章 境界例における分裂(clivage)と幼児性欲
──ダニエル・ヴィドロシェ
第五章 境界性機能様式:いかなる境界か
──カトリーヌ・シャベール
第六章 境界性患者、境界性状況──ジャン=リュック・ドネ
155ページに高名な精神分析家たちの講演が詰め込まれた贅沢な一冊だ。そしてどの論文も無駄がない。講演会の記録の加筆修正だからか。無駄な前置きもない。いや、無駄と思うのは私だからそれが本当に無駄かどうかはわからないのだけど「どうしてこの部分が必要だったのかしら」と思う読み物もあるから。そしてどの演者も立ち返るのはフロイトでありラカンではない。ただフランスで精神分析を営むにはラカンの影響を受けずにはいられない。そもそもフロイトへの回帰を強力に促したのはラカンであり、ラカンのフロイト再読はやはり何度も通るべき道でもある。さて、この講演の中心であるグリーンはラカンのセミネールに強く影響を受けラカンと対立し論争を繰り広げることができる人だった。そして袂をわかった。彼は英国対象関係論の系譜とは異なる形でウィニコットを読みこむと同時に、フロイトの第二局所論の読み直しを続け、欲動に新たな役割を与えた。フロイトの快原理、ナルシシズム論はこれによって深まる。
と書いていたがいつのまにかNetflixを見てしまっていた。いけない。今日こそがんばろう。
能登はどうだろう。安東量子さんのmastodonでの言葉がこれまでと今回の震災で生じていることを考えるヒントをくれる。被災地のみなさんが自分に合った音量で発信を続けられる環境づくりが進められるますように。それは常にこちらの態度次第だということが忘れられることのありませんように。