朝焼けがはじまる。東の空が赤くなってきた。西の空はまだ夜気分。久しぶりに長い時間、読書をした。大体30分ごとに乗り換つつ移動時間を全て同じ本に費やした。読んでいたのは恩田侑布子 『星を見る人 日本語、どん底からの反転』(春秋社)である。恩田侑布子は樸(あらき)俳句会の代表を務める俳人だ。評論でも第23回Bunkamuraドゥマゴ文学賞を受賞するなど多分俳句の世界を超えて有名な人なのだと思う。私は精神分析以外の世界の誰がどうというのをよく知らないが恩田侑布子の名前は恩田侑布子編『久保田万太郎俳句集』(岩波文庫)で知っていた。2021年刊行なのでコロナ禍、句友たちとオンラインで話しているときに話題になったのかもしれない。大高郁子さんがイラストを描いた久保田万太郎の小冊子も我が家にあるはず。句友たちと浅草へ吟行に出かけた頃に入手したものだったと思う。あれはお正月だった、たしか。記憶がコロナ前かコロナ禍かコロナ以降くらいの雑な分類になっていていろんなことが断片的。とても楽しかったのに。
さて『久保田万太郎俳句集』の解説でも居場所定まらぬまま明治、大正、昭和に幅広いジャンルの言葉を送り出した万太郎の俳句に特別な日本語で賛辞を捧げた恩田侑布子だが、最新の評論『星を見る人 日本語、どん底からの反転』でも筆捌きが見事。休日にのんびり好きな本を読めるなんて至福、と思いながら手に取ったのに最初から結構な緊張感があり、これは至福というよりなんというか、読めること自体は幸福だが、たしかに憂うべき現代の言葉の状況、そしてそれに加担しているに違いない自分の鈍感さ、適当さを思うと呑気な気分でもいられなかった。しかし、読み進めると著者の内に積み重ねられた言葉の自由自在さにだんだん気持ちが明るくなっていった。石牟礼道子を「みっちん」と呼び、その突き抜けた言語感覚に賛辞を送り、草間彌生の芸術を皮膜とその深さの二面性から捉え、荒川洋治の詩集に溢れる言葉の隠喩性を正確な引用で示す。そしてその後はやはり久保田万太郎、そして飯田蛇笏、三橋敏雄、大牧広、黒田杏子などなどと続く。緩急自在、剛柔自在の文章はこうやって時間をかけて味わうに限る。まだ途中なので楽しみに次の余暇を待とう。