朝日でオレンジに染まった空はあっという間に薄い水色に落ち着いた。
今年は水分補給の下手さを実感する。加齢で身体に不調が出やすくなったせいでそう思うのもあるが、調子が悪いときは大抵水分をあまりとっていない。しかしこれも不調を感じてから気づくことなので熱中症とかそういうのは本当に危険なのだ。小さい子たちに時間を決めて一定量の水分を取らせることはとっても大切、ということをたくさんの子どもたちを見てきて実感しているので自分にもそれを適用すればいいのだが。子供にいうことは自分にも適用した方がいいんだよね。逆に、子供にだけ要求するのは不平不満が出てもしかたないので理不尽ではない理由が必要になるのでしょう。ああ。子供にもなれず、十分な大人にもなれず。
この前、小淵沢に行ったとき、駅がすごくきれいになっていてびっくりした。町名も北杜市になり、駅舎も新しくなり、懐かしいと感じるはずの以前の駅をもう正確には思い出せない。まだスクールカウンセラーをしていた頃は同じ地域で働く人たちと箱庭とかいろんな研修会に一緒に行っていて、小淵沢へも神田橋合宿で一緒に行った。みんなで色々歩いたはずだがそれがどの辺だったのか全然わからない。線路沿いを少し歩いただけだったのかもしれない。最近はようやくいろんな土地の記憶がつながりつつあり、入笠山、諏訪湖周り、車山などこれまでに出かけた場所が意外とその辺だったこともわかる。朝露に靴があっという間に濡れてびっくりしたのも思い出す。
小さな頃からなんでも読み、とりとめもなく書きつづけてきた。先日、NHKスペシャル「新・ドキュメント太平洋戦争1944 絶望の空の下で」をみながら、なんとなくそうしてきたことの意味をぼんやり考えていた。その番組では、サイパンで両親とともになんとか生きながらえていたのに目の前で父母を亡くした14歳の少女の日記、体調を崩してもヒロポンを渡されながら工場で働き、B29の爆撃で亡くなった女学生の日記、人間魚雷回天の特攻で亡くなった若者から父と妹へ宛てた手紙など、絶望的な状況で書かれた言葉たちが紹介されていた。それらは貴重な資料であると同時にそこには書かれていない思いを想像させるものだった。
被爆者の声を集め続けた元放送作家とある被爆者の交流を中心に描かれるNHK戦後80年ドラマ「八月の声を運ぶ男」では語られたことと語られていないこと、語りを聴くこと、残すことについて考えさせられた。原案は伊藤明彦『未来からの遺言ーある被爆者体験の伝記』(岩波現代文庫)。西日本新聞に伊藤明彦に関する記事がある。
今日は8月15日、終戦記念日、敗戦忌。今日も暑くなりそう。大切に過ごそう。