カテゴリー
精神分析

カーテンを開く音が聞こえる。一瞬の勢いある音は遠くまで届く。今朝はまだ曇。部屋は確かに明るくなったけど曇り空がはいりこんで空と部屋の境界をなくしただけみたいに思えた。電気をつけようか、何をするわけでもないからいらないか。ここが空だったらそれはそれで素敵だ。

冷蔵庫が閉まる音に赤ちゃんが小さな全身をビクンと震わせた。「どうして今開けちゃったの」と恨めしく思いつつ起きてしまわないか注意をはらう。大丈夫そう。「大丈夫よ」と少し歌うように小さく呟きながら抱える腕を注意深く調整する。再び深い眠りに落ちた我が子に愛おしさが増す時間。音にまみれている日中にはそんな余裕はなかった。緊張が緩み口元が微笑みの形になる。

鳥はいつも通り、と思ったけどいつもと違う声の持ち主がいるみたい。季節が過ぎて鳴き方を覚えたのかもしれない。春はまだ鳴き方が下手な鳥が多くて微笑ましかった。山に出かけるとその違いは顕著で「うわ、下手だなあ」と笑うこともある。これから少しずつ上手になってすぐに私には真似できないきれいな声を出し始めると知っている。また小川洋子『ことり』(朝日文庫)を思い出す。小父さんが一番好きなポーポー語は「おやすみ」だった。

他の本を数冊どければ取り出せる場所にまだあったその文庫をまた少し読んでしまった。仕事に行かねば。

この時期は鳥も親元を離れ自分から世界と関わっていかなければならない。それぞれの声を持つ時期なのかもしれない。とても素敵な声をもっているのにとても受身な鳥もいるだろう、身近で何人かそんな人を思い出して少しおかしかった。愛しさに頬が緩んだのがわかった。

「あの頃はいつでも小鳥の声を待ち望んでいたのに、その時小父さんはいつまでもメジロが歌わないでいてくれることを願っていた。その方がより長く彼女と二人でいられると思ったからだった。小鳥ではなく彼女に向って、小父さんは耳を済ませていた。」ー168頁、小川洋子『ことり』(朝日文庫)

音、声、二人を繋いだり離したりするそれに私は今日も耳を澄ます。なぜかそういう仕事についた。同じ母国語をもち同じことについて話しているはずなのにまるで鳥の声のように、外国語のようにわからなくなり通じなくなるそれに時折苛立ち不安になる。でもそれが元々なのかもしれない。言葉は少しずつ二人の間で意味を持ち共有できる記号へ変わっていく。「おやすみ」のことは数日前に書いた。私も好きな言葉だ。

でも今はおはよう。朝だよ、そろそろ動き始めようか。鳥たちはもう遠くの方で鳴いている。

「私のためになど、歌わなくていいんだよ」鳥籠に顔を寄せ、小父さんはささやいた。「明日の朝、籠を出よう。空へ戻るんだ」ー303頁、小川洋子『ことり』(朝日文庫)

私たちはどこへ戻るのだろう、生きている間。どんなに受身でもこの世界に居場所を見つけ、日々戻る場所を得る必要があるらしい、人間は。そこは日々変わるかもしれない。一つに定めることが難しいかもしれない。どこにいてもそこを居場所だと感じることはできないかもしれない。それでも今ここにいる自分の身体を、声を、言葉を、自分自身を宿らせる場所として一日をはじめられたらと願う。大丈夫。時々そう呟きながら。

作成者: aminooffice

臨床心理士/精神分析家候補生