早朝にブログを書いたと思ったら一言も書いていなかった。「一言も」ではないか。一文字も。寝転んだまま優しい人のことを考えていたんだ。私にとってはすごく具体的なその人のことを抽象的に書くとしたらどんなかなとそれを言葉にしたつもりだった。いつにまにか眠ってしまったらしい。幸福なことだ。地震のあった地域の方は眠れただろうか。地震が起きると私にとって全く優しくない人と一緒にいるときに地震が起きたことを思い出す。私はまた福島の方だったら辛いなと思って携帯をチェックした。その人にそう言ったら同意して地震で自分の抱えている仕事がなくなればいいのにといった。とても忙しくてしんどいようだったが「嫌われたくない」と公私混同で曖昧なことをやってたらそれは辛いだろう、と思った。その人は欲しいものが手に入らないとすぐ不機嫌になる人でよくわからない圧力もすごかった。自分では気づいていないようだった。知らない人がその人が持つ独特の圧力について書いていて同じように感じる人がいることに安心した。私はその後その人がひたすらしんどいと呟きながら快楽を追い求める方法を知った。そしてその圧力の意味も。一次過程優位の心は自分と自分みたいな人にしか優しくなれない。結局いろんな嘘をついていたしつき続けている。元日、みんなが集まっていてよかったと思う人もいればそれが苦痛な人もいるだろう。できるだけ普通の思いやりのなかで過ごしていてほしいと願う。
カテゴリー