カテゴリー
お菓子

宇都宮土産とかいつものお菓子とか

深夜にも早朝にも原稿が届いた。みんな仕事しすぎでは。でも素敵な文章をありがとうございます。あああ。ここからがまだ長いけどもう5月も13日か。困った。が、とりあえず今日を。大切な会議もあるし。なんとか無事に終わってほしい。

さて今朝は宇都宮のお土産「とちおとめバウム」。ちっこいまるたみたいなバウムクーヘンがしっかりチョコに包まれていて中にはとちおとめのクリーム。10こ入りでホワイトチョコとスウィートチョコ5個ずつ。とっても美味しいの。私も栃木へいったらこれをみんなに買ってこよう。うちには餃子も買おう。ホワイトチョコ自体をあまり好きじゃない人からホワイトチョコ味の方は追加でもらったのでいっぱいあったんだけどすぐになくなっちゃうね。なんのための個舗装かってね。バウムクーヘンはホールだと賞味期限までに食べきれないから買えないなあ、とか思ってたけどそんなことない気がしてきた。でも最近はどこも個包装があるか。近江八幡のクラブハリエで焼き立てバームクーヘン食べたなあ。近江八幡ってすごくいいところで、と宇都宮から心が離れてしまった。いけない。宇都宮からきたお菓子をいただいのだから。

群馬県民にとって宇都宮は身近なんだけど最後に行ったのはいつかな。友達のうちへ行ったり後輩の結婚式へ行ったり普通に遊びに行ったりしたけど。私が行ったときって駅前の広場にいくつも餃子屋さんが出ていてみんな並んだりしてたけど今もそういうのやってるのかな。私は量を食べられないから普通にお店で食べたけど昔池袋のナンジャタウンで餃子の食べ比べができてそこのは何度か行った。今もやってるのかな。いろんなことが昔になっていくねえ。早く記憶から消えてほしいことほど薄まりもしないでずっと苦しかったりするのにね。食べ物のお土産とか「消えもの」って言い方するけど大事な発想だと思う。

おみやげをくれた人が宇都宮に行く前に餃子像を見るのが楽しみといっててそんなのあるのか!と調べたらすごく笑ってしまった。「言わないで!聞きたいけど、でも言わないで!」というから画像を見せることも説明することもしないでひとりでウケてたんだけど送られてきた写真を見るとそれはそれでまた全然印象が違った。いろんなこと思いつく人がいるもんだ。私も会いたい、餃子像。

こんな毎日お菓子ばかり食べてたら肌が荒れてきてしまった。ローソンとセブンイレブンのお菓子はもうほとんど試してしまった。セブンイレブンのあんみつは定番としてずっとあってほしいな。ファミマはあまり行かないけど宇治抹茶のティラミスは甘い甘い言いながらふわふわとしっとりが美味しくて全部食べちゃったな。ローソンは最近だとさくさくバターパイサンドとあんバターサンドが美味しかった。あ、肌荒れしてるのにまたお菓子のことばかり思い浮かべてしまった。

あ!投句締切、今夜の分だけじゃないことを今思い出してしまった。15日までのが二つもある。しかもひとつは必着。もう間に合わないではないか。欠詠だけはしないようにというのが目標だったのに。明日なら直接持っていけるからそうするかなあ。東京ってこういうことができてしまうからすごい。とかいってないでまずは俳句を作らねば。鳥たちよ、俳句になっておくれ。

鳥雲に隠岐の駄菓子のなつかしき 加藤楸邨

これは春の句だけど鳥とお菓子でこんな句作れちゃうのすごい。私は毎日こんなたくさんのお菓子や景色と出会っているのにダメダメだな。こんな駄文ではなく素敵に切り取って残していけたらいいのにね。

今日の暦生活はみつ豆だ!きれい。キラキラしてる。夏は透き通るお菓子を楽しむのもいいですね。お菓子好きじゃない人も別のものやことに支えられて一日なんとかやれますように。良い週末を。

草いちご
宇都宮土産
カテゴリー
俳句 精神分析

写生

朝、窓を開けると秋の風が入ってくるようになりました。でもあと数時間もすればまた夏の熱気に覆われるのですね、この街も。すっきりと去ることはできない夏の気持ちを熱気というのかもですね。

ところで、俳句のお話ですが、俳句は素材を写生することで感動が生まれるので、擬人法は「月並み」としてあまり歓迎されません。

友死すと掲示してあり休暇明 上村占魚

どきっとしますね。休暇明けの掲示板を写生しただけなのに。これが俳句が持つ力です。たった17音なのに知らないはずのその風景がパッと浮かび、こころ打たれてしまう・・・。それでは月並みといわれる擬人法はどうでしょう。

五月雨を集めてはやし最上川

えっ、擬人法なの?と思うくらい自然。これは月並みではありません。松尾芭蕉ぐらいになると自然も人もこころの中で十分に融けあってしまうのでしょうか。月並みではない擬人法も実はたくさんあるのですが、私なんかが作ると月並みというかやや陳腐な句になりがちですねえ、やはり。

素材を時間をかけて観察してその感動を伝えること、事例研究みたいです、私たちの世界でいったら。相手のことをよく観察して、そこで生じているやりとりや二人の間の現象を細やかに言葉にしていくこと、精神分析でいえば、クライン派や対象関係論と呼ばれる学派の人たちがそうですね。事例を読むだけでその方の様子が浮かび、こころの世界まで伝わってくる。後からならいくらでもなんとでもいえる、みたいな書き方とは全く違います。私はそういう事例研究が好きだし、そう書けたらいいな、と思っています。その人の姿を勝手に変えてしまわないように。

今日はどんな風景と出会うでしょうか。目にとまったものがあったらいつもより少し長く立ち止まってみようかな、日曜日ですし。

さえざえと水蜜桃の夜明けかな 加藤楸邨