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自転車と親子並行面接

オフィスのそばの自転車屋さんへ行った。学生時代に新宿で買ったマウンテンバイクもどき(マウンテンバイクなのかも)はもはや枠組以外残っていない。長い年月を経て様々な部品を交換しながらも原型を保っているこの自転車がちょっと愛しい。最近、ずっと乗っていなくてごめん。

枠組みは大切だ。

2020年、私が子どもと親御さんの心理療法を行っているクリニックのメンバーで本を編んだ。『こころに寄り添うということ 子どもと家族の成長を支える心理臨床』(金剛出版)という本だ。院長を中心とした日々の試行錯誤を仲間たちとこうして形にできたことは喜びだった。それぞれがそれぞれの技法でそれぞれの患者と実践を積み上げてきた痕跡がそこにあった。

私はそこで親子並行面接を取り上げた。「クリニックにおける心理療法の実際」の「第5章親子並行面接という協働」という論考である。社会人になってはじめて勤めた教育相談室時代からこの枠組みはずっと私の実践にある。多くの親子の「子担当」、あるいは「親担当」になり、私は先輩方と協働していた。慶應心理臨床セミナーに出始め、児童精神科医にスーパーヴィジョンを受け始めたのもその頃だ。まだ「親子並行面接」そのものを問うてはいなかった初期の初期。

その後、20年、実践を重ねるにつれ、この枠組みの意義について疑問を持つことが増えた。教育相談室をやめたあとも親子の心理療法を担当する場は持ち続け、この枠組みとはともにあった。今回論考を書くにあたり、テーマはあっさりと決まった。

昨日もここで、精神分析は、こころのなかに複数の人を住まわせる作業だと書いた。私は、集団をひとつのパーソナリティとみなすと同時に、個人のパーソナリティを複数の自己と対象からなる集団とみなす、というビオンのアイデアを援用し、親子並行面接という枠組みを見直してみた。

親子並行面接はこころの複数性に形を備えたものであり、それぞれが緩やかにつながりを維持することで、子どもと親のこころが安全に重なり合う場として空間的に機能する、というのが私の概ねの主張であり、論考ではそれを事例を用いて示した。

店には美しいフォルムのかっこいい自転車がたくさんあった。私の古ぼけた自転車も当時はそこそこ素敵でたくさん褒めてもらった。スクールカウンセラーをしていた学校の嘱託の先生は自転車乗りで、私の自転車を気に入ってくれてメンテナンスの仕方を色々教えてくれた。一緒に100キロ走ったこともある。若かったな、と今思ったが、彼は当時すでに還暦を過ぎていたわけで、若さの問題ではなさそうだ。

「これとっちゃっていいですか」若い店員さんの声に振り返る。手を黒くして作業してくれている。すでに本体のない台座を彼は指差していた。昔つけたスピードメーター、そのセンサー、最初につけたライト、2番目につけたライトなどなど。台座という痕跡が本体の記憶を蘇らせ、思い出を再生する。こんなに痕跡を残したままだったんだ。少し可笑しくなって笑いながら答えると店員さんもつられて笑った。

タイヤもサドルも当時とは違う。なのに見かけは当時のままだ。だいぶ黒ずんだけど。強固な枠組みは痕跡を抱え、私の年月を抱え、思い出を作ってくれた。私はこの自転車でとてもたくさんの場所を走った。昨日も自転車をとめては降りずに写真を撮った。曇り空の向こうに残る水色の空と夕焼けがきれいだった。

オフィスのある初台は昔住んだ街だ。当時とは街並みも変わった。商店街の名前は当時のままだ。あの頃から乗り続けているんだな。あれから何人の人と出会い、別れてきたのだろう。

これまで出会ってきた親子の多くはもうすでに別れているだろう、物理的には。当時子どもだった彼らはもうすでに子どもではないのだろう。当時すでに親だった彼らはきっといまだに親であり子どもでもあるのだろう。

私は教育相談室時代の仲間と今も緩やかにつながり、コロナ禍においても支えあった。私たちは彼らとの共通の思い出がある。いろんなことがあった。この論考も読んでくれた。まだ同じことを考え続けていることを褒めてもらった。論考に「協働」とつけたのはまさに彼ら彼女らとの仕事がそうだったからだ。

私たちは親子、あるいは大人と子どもという枠組みを維持したまま世代をつないでいく。緩やかに繋がりながら痕跡を残し、壊れたり、壊されたり、修復したり、捨てて新しくしたりを繰り返しながら日々を過ごしていく。この自転車ともいずれなんらかの事情で別れるのだろう。もう危ないからやめなさい、と言われまではメンテナンスを繰り返していろんな道を走りたいと思う。

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精神分析、本

『ピグル』

Twitterで東畑開人さんが、青山ブックセンター本店のブックフェア「180人が、この夏おすすめする一冊」で北山修先生の『心の消化と排出』を挙げていた。北山先生の本から「おすすめ」を選ぶとしたら私もこの本を選ぶ。「夏」っぽいとは思わないけど。

北山先生の『錯覚と脱錯覚』も私に大きなインパクトを与えてくれた。ウィニコット の『ピグル』とセットで読むべきこの本も「夏」かといえばそうでもない。

2歳の女の子とおじいちゃん先生ウィニコットとの交流が描かれた『ピグル』、16回のコンサルテーションの間にピグルは5歳になった。最初は1ヶ月に1回、二人が会わない時間は少しずつ増えていく。それでも1年に3,4回というのは私が保育園巡回に行くペースだ。3歳、4歳ともなればその頻度でも「また会えたね」となる。

ウィニコットはピグルと会わなくなった4年後に亡くなった。これからを生きる子どもと死の準備をする大人。妹の出生によって母親の不在を体験したピグルはウィニコットを一生懸命使い、持ちこたえ、生き残るウィニコットを発見し、「私」とも出会っていく。ピグルの名前はガブリエルだ。

1964年7月7日、6回目のコンサルテーションの冒頭、ウィニコットは「今回は、ピグルではなく、ガブリエルと言わなければならないとわかっていた」と書き、そこからの記録はすべて「ガブリエル」に代わる。そして帰宅したガブリエルも母親に「ウィニコット先生に、私の名前はガブリエルだよって言いたかったの。でも先生はもう知ってたの」と満足そうに言った。母親からの手紙でウィニコットはそれを知る。

子どもの治療の重要な局面だ。二人は通じ合っている。

夏の休暇前のセッション、「私はサンドレスと白いニッカーズを着てたの」とひなたに仰向けに寝転がるガブリエル、私はこの場面が好きだ。子どもが安心して空想に浸れること、複雑な情緒を体験する場所はいつもこうして開かれている必要がある。

そして夏の休暇後、二人がはじめて会う7回目のセッション、ガブリエルは「ウィニコットさん」とよそよそしい。「先生」ではないウィニコットの休暇に対する抗議のように「だれにも一緒にいてほしくなかったの」とひきこもっていた自分を知らせるガブリエル、このとき、彼女は3歳になったばかりだが、大きくなった。ウィニコットの記録を読むとそう感じる。

精神分析は週4日以上会っているので休暇の意味は大きい。たまにしか会わなくても会えない日々のことを想うのだから、この二人のように。

いない人のことを想う。いたはずの人のことを想う。そうやって描かれる私たちは大抵いつも現実と違うけれど、想うことだけが私たちを生かすこともある。

この夏、『ピグル ある少女の精神分析的治療の記録』(ドナルド・W・ウィニコット著、妙木浩之監訳、金剛出版)を読んでみるのはどうだろうか。彼女が青い瓶を目に当てて「ウィニコット先生は青いジャケットを着て、青い髪をしているのね」というように、本を読むことで(もはやなんの本でもいいかもしれない)この暑さを違う色に染めてみたり、2歳の頃の目で世界を見直してみる。この夏は、そんな旅もいいかもしれない。

(翻訳作業についてはオフィスのサイトに少し書いてあります。)