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俳句 精神分析

写生

朝、窓を開けると秋の風が入ってくるようになりました。でもあと数時間もすればまた夏の熱気に覆われるのですね、この街も。すっきりと去ることはできない夏の気持ちを熱気というのかもですね。

ところで、俳句のお話ですが、俳句は素材を写生することで感動が生まれるので、擬人法は「月並み」としてあまり歓迎されません。

友死すと掲示してあり休暇明 上村占魚

どきっとしますね。休暇明けの掲示板を写生しただけなのに。これが俳句が持つ力です。たった17音なのに知らないはずのその風景がパッと浮かび、こころ打たれてしまう・・・。それでは月並みといわれる擬人法はどうでしょう。

五月雨を集めてはやし最上川

えっ、擬人法なの?と思うくらい自然。これは月並みではありません。松尾芭蕉ぐらいになると自然も人もこころの中で十分に融けあってしまうのでしょうか。月並みではない擬人法も実はたくさんあるのですが、私なんかが作ると月並みというかやや陳腐な句になりがちですねえ、やはり。

素材を時間をかけて観察してその感動を伝えること、事例研究みたいです、私たちの世界でいったら。相手のことをよく観察して、そこで生じているやりとりや二人の間の現象を細やかに言葉にしていくこと、精神分析でいえば、クライン派や対象関係論と呼ばれる学派の人たちがそうですね。事例を読むだけでその方の様子が浮かび、こころの世界まで伝わってくる。後からならいくらでもなんとでもいえる、みたいな書き方とは全く違います。私はそういう事例研究が好きだし、そう書けたらいいな、と思っています。その人の姿を勝手に変えてしまわないように。

今日はどんな風景と出会うでしょうか。目にとまったものがあったらいつもより少し長く立ち止まってみようかな、日曜日ですし。

さえざえと水蜜桃の夜明けかな 加藤楸邨

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精神分析 読書

モモ

ミヒャエル・エンデの『モモ』が、最近また取り上げられていましたね。『モモ』は私にとってとても大切な作品で、好きな本を聞かれるといつも「モモ」と答えていました。もう少し大きくなると、同じくエンデの「鏡のなかの鏡」と答えていました。

映画も観に行きましたが、私が描いていたモモとはだいぶ違う、と思った記憶があります。本を読みながらはっきりしたイメージを持っていたわけではなかったのに不思議です。

赤ちゃんが泣きわめくとき、私たちはその子が何をほしがっているのか見定めようとします。0歳児に慣れている方は「おなかすいたね」「おむつかえよっか」「眠くなっちゃった」など声がけをしながらニコニコと抱っこをする余裕がありますが(もちろんこころで泣いて、というのはあっても)、はじめての子どもを持つお母さんや0歳児の担当ははじめて、という保育士さんは、赤ちゃんの切迫した泣き声に含まれる不安や不快や苦痛を自分のもののように感じてしまうことがとても多いです。この子はどうしてほしいのだろう、これでもない、あれでもない、もうどうしたらいいのだろう、もうやだ、と本当に辛く悲しくなってしまうときがあります。

たとえばおかずひとつでも、あれもだめ、これもだめと大きな声で泣き、小さな手でお皿を払いのけようとし、これまた関わる人は大慌てで「これ?」「こっち?」と彼らの本当のニードを必死に探ろうとします。でももう全部だめ、何をやってもだめ、させてもらえるのは抱っこだけ、と抱っこして泣きやむのを待って、落ち着いたらもう一度お座りをさせて、小さなスプーンであげてみたらぱく、ぱくぱくってなったりして、こちらがほっとするとあちらもにっこりしたりして・・。

私たちはなにがほしいのか、どうなりたいのか、なんて本当ははっきりしないのかもしれません。そのときの体調やそれが差し出されるタイミングやなにかいろんな感覚的なものが混じりあって、パッと決められるときもあれば、これかな、あれかな、とやりながら「これかもな」と一番自分のイメージにしっくりくるものを選択するときもあるのでしょう。そしてそれはあとから変わることもあるのでしょう。

モモは受け身で、静かな子どもです。人の話を聞くのが上手です。話したくてウズウズしても、怖くてしかたないときでも性急に言葉を発することを控えることができる子です。そう学びました。

眠って、夢をみて、目覚めたら、やるべきことが自然に定まるような、なんとなく言葉の形になるような、まるで精神分析プロセスのようなプロセスを踏んで、モモは強くなっていきます。

もしかしたら、私はそんな時間が大切で、精神分析家を目指しているのかなぁ、と思いました。私が思い描いているそれと「精神分析」のイメージが違うかもしれないから(違ってもいいのだろうけど勝手に変えることはできないから)、私はどうしたいのかな、ということを長い時間をかけて、眠り、夢をみて、目覚め、言葉にして・・というトレーニングを繰り返しているのかもしれません。

今日の言葉は、明日は少し違う形を描くかもしれません。時間をかけて、二人で、大切にしたいなにかと出会っていけたらいいなと思います。

それでは今日もおやすみなさい。