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精神分析

馴染む

依存についてずっと考えているのはどの病理にもその問題があるから。依存に関しては一般的な意味で使っているけれど、ナルシシズムに関しては一般的な意味でいうそれと精神分析でいうナルシシズムは異なるので私はあくまで後者の意味で使う。

臨床家としては治療の文脈でそれについて考えるのは仕事だから当たり前で、患者さんがナルシシズムの傷つきと出会うことも必然なのでその段階での治療状況はとても苦しいものになる。

プライベートで付き合う人に専門的な視点を向けてしまうと辛いことが多いので苦しくなる仮説がたったとしても言語化はしない。実際に深刻な問題が生じそうだったり、大切なその人がひどく傷つきそうだったり、誰かを傷つけそうな場合に指摘すればいいことだから。もちろんプライベートで客観的に相手を見ることはできないし、仮説を確かめる過程を治療状況以外では踏まないのでただの勘違いの可能性もある。でも今はこちらがみたくなくてもいろんなことがみえやすくなってしまっているので「あーあやっぱり」とか「また自分から構われにいってる」と思ってしまうことも多い。こちらが確かめなくても行動がみえてしまえばそれだけ確からしさは増す。

特にナルシシズムの傷つきを安全な距離感での依存関係によって回避している関係性は外からは見えやすいのに当事者はそこに安らぎを感じているから外からどう思われるかは否認しやすい。たいして知らない人と気楽に公然とやりとりできる現在、その関係を「安全」とは私は思わないが、当人たちのナルシシズムの傷つきの回避ということだけを考えれば当人たちにとっては「安全」で手放しがたい環境だろう。

ナルシシズムの病理は、親密な関係において葛藤し言葉を探し相手の問題と自分の問題を区別できないまま傷つき傷つけそうするなかで少しずつわかりあえない部分をもつ二人であることを認識しもしお互いを思いあうプロセス、そしてそれが維持できないのであれば自分をそれ以上傷つけないほうを選択する、という時間もかかるし苦しみの多いプロセスを過ごすことを難しくする。自分は本当の意味では愚かではないということを証明してくれる自分のことをあまり知らない相手と都合のよい距離を保つ。それは相手を自分のために部分的に使用しているということなのでは、という疑いは否認する。

精神分析はさっき書いたプロセスに価値をおくが、現代はそうではない。ナルシシズムの時代だと思う。私はそのプロセスに価値を見出すのでその内側にいるが多くの人にとってそうではないのはそれを回避するシステムがこれだけ整えばそりゃそうだろうと思う。だから私は精神分析治療以外でそれを重要だと言い続けるよりも相手の在り方に馴染んでいくことが必要なのだろうと考えるようになった。諦めるのではなく。かつてはナルシシズムの病理とみなされたものもそれが病理として現れる場所は減り、むしろそのありかたがマジョリティになりつつあるというのは現実だろう。そして行き過ぎたものだけがあっというまにネット上で拡散されネット上で「いいね」を送りあったくらいの関係(といえるのかは不明だが)のペアや集団における分断のシステムにおいてあれこれするのだろう。個人的には恐ろしいなと思うので私はナルシシズムの病理としてそれらを考え続けるけれど治療の文脈以外ではそうは言わない。言わないけど、大切な人が傷ついたりお互いに傷つけあったりというのは嫌だ。私は実際に触れ合える親密な関係のなかであれこれ繰り返していくことを大切にしたい。辛いこともたくさんだけど喜びもあることはすでに知っている。もしもう無理だな、と思ってもひとりではない。誰かを部分的に利用して孤独を癒そうとせずきちんと悲しんでからまた立ち上がりたいと思う。

いつもその作品で私を「ふつう」に戻してくれる友が悩んでいた。LINEで作品に関する短いやりとりを交わすなかでふと漏らされた弱音に少し驚き驚いたことだけ伝えた。そのまま手の届く距離にあった本を開いたら友が応募して落選したばかりの賞に冠せられた人についての文章が載っていた。評価などは気しない、これがおれの道、というようなことをその人は言っていた、と書いてあった。少し笑って「だそうです」と友に送った。明るい一言が返ってきた。

お互いもう大人だ。孤独をSNSのような場所に投げたりするタイプでもない。自分を立て直すすべは自分で持っている。互いに対してそういう信頼がある。だから短時間での少ないやりとりは少し笑いを含んでいる。きっと大丈夫。また眠れない日もすぐに来るかもしれない。でも多分また大丈夫。そういう小さな回復を繰り返せる自分たちを信頼して助け合ってやっていくのだろう、これからも。

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誰川

依存というのは応える人がいるから成立する。それを「依存」に変えるのは受け手であり、自由度を狭めていくのは両者。

身内に誘われ句会にでたとき斜め前に座っていた人の句がいちいち素敵でファンになった。その後仲良くなってこの前ももうすぐ1歳になる子と遊びつつたくさん話をした。

コロナ以前に私が立ち上げた小さなネット句会の「談話室」でその人が俳人津川絵理子さんのファンなんだと書いていて、そーなんだ!と思って私も句集を買ってみた。私は結社には入っているが結社誌と毎月のこのネット句会で締め切り直前に句を作るだけなので全く上達しない。仲間たちの情熱になんだか申し訳なく感じることもあるが彼らとおしゃべりするのは楽しいし、この句が好き!と感じるのにはなんの努力もいらない。好きな句はたくさんある。曖昧にしか記憶できなくても特に問題ない。

それにしても鳥たちが元気。おはよー。お互い早起きだね。

とても楽しいおしゃべりを終えて仕事に戻る電車でぼんやりSNSを眺めていると「あなたが誰でもかまわない川柳入門」という文字を見つけた。「あなたが誰でもかまわない」というので申し込んでみた。こういうノリは久しぶりだ。

私はまぁもろもろなんだっていいのではないか、ある程度のルールを守って楽しくやれれば、と思っているので俳句界に限らず人間関係の「濃さ」を感じる場所は排他的なものを感じてしまうことがある。まだ若い人たちが他人に「才能」を見出したり見出されたりしていろんな感じになっているのを見るとなおさら大変そうだなぁとなる。それだけで食べているわけでもないのにそんな使命感やマッチョ感は必要なのか、いやそういうのが好きなのか。というか使命感とマッチョ感(という言葉はないか)を一緒にしてはだめか。とにかく過剰さを感じることがある。言葉が本当に豊かな人たちの集団なので過剰なのは言葉だけなのかもしれないが。その人とも「そういうのは私はいいかな」と話した帰り道だった。こういうのは肌感覚というか生き方というか個人的な好みのようなものにすぎないが判断や選択には影響を及ぼす。

私の好きなその人の句は何かや誰かに依存的な感じがしない。使命感も義務感もなんかアツいものがない。ただポンッと場面や景色が置かれているだけ。シンプルでわかりやすく受け手に特に何も求めてない。賞をとったりもするわけだからそのあり方で十分人のこころをつかむのだろう。

「あなたが誰でもかまわない川柳入門」、川柳のことも講師のことも何も知らなかったが俳句を相対化してみたかったのかもしれない。相対化できるほど知らないので違和感を少し明らかにしたかったのかもしれない。

講師は暮田真名さん、後から知ったのだがZ世代のトップランナーと言われている柳人だ。Z世代というもの自体よくわかっていなかったし、時間的にアーカイブで受講するしかなかったのだが、導入ですでに「この人すごいな」と思った。私の好きなその人と似た雰囲気を感じた。

ということで仕事をせねば、だからまたいずれ。

暮田さんの講義の課題提出率の高さにスタッフの方も驚いていたが、あの講義ならそうだろう、と思う。本当にこちらが誰でも構わないのだ。何も求められていないのだ。ここには逆説がある。

が、またいずれ。良い連休でありますように。

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精神分析

安全な暴力

安全な場所から振るう暴力、について考えていた。らしい。今日も下書きの上書き。下書きを一気に消して、理論的なことも考えずに印象だけまた書いておく。下書きの上書きを繰り返して学会発表とかに備えて頭使っとこう。すぐぼんやりウトウトしてしまうから。特に最近の頭痛と眠気。全部お天気のせいかしら。

安全な場所から暴力を振るう人の典型として政治家がすぐに思い浮かぶかもしれない。私はSNSにおける言葉の暴力のことを考えていたような気がする。精神分析的心理療法のような生々しいコミュニケーションにおいて顕わになる攻撃性とは全く異質のものが蔓延するSNS空間。抜き差しならない緊張感のもとでは不可能であろう饒舌さと退行した言葉の使用を私は暴力的と感じたのだろう。投影先を広げればそれに対する反応も多様になると同時に単純な分断も招く。それぞれ見たいものを見て反射的に反応することが制限なくできてしまうのだから当たり前だ。

果たして最初に自分のなかで小さな声をあげたそれは本当にこんな形で公にされることを望んでいたのだろうか。知識や経験は武装のためにあるのだろうか。正しさの押しつけなど糞食らえだと思っていたのではなかったか。苦労して身につけてきた防衛手段は安心して徒党を組み相手を見下したり、相手に変化を促すためのものだったのだろうか。自分は自分の言葉を使っただけで周りが勝手についてきただけということもできるが、もしそうだとしたらひどく冷たい話だなと思う。「嫌なら♡をしなければいい」「そのときにそういってくれればよかった」というのも安全な場所からの暴力のひとつかもしれない。そこまで「正しい」ことを知っていて相手に賢くなることを公の場で求められるのに弱い立場の人が陥りがちな状況に対しては無知ですか、と反射的に言いたくなるが当然口をつぐむ。継続した話し合いの場が持てないところで投げるような言葉ではない。もちろん私もそれを暴力とした場合、加害者の位置にたつこともある。だから意識的でありたい。なので書いているのだろう、こうして。ただその場合もSNS状況と臨床状況は全く異質であるので同じ基準では全く考えない。そしてもし身近な男性との間で女性蔑視を感じたときに突然フロイトを責めたりもしない。その想いが、その言葉がどこで誰に対して生まれたものかを大切にしたい。それぞれの事情やそれぞれのあり方を平べったいスクリーンに羅列できるわけはない。言葉は本当にやっかいだ。SNSと臨床状況が大きく異なるのは言葉の使用であり、SNS上では想像力を駆使して相手の言葉を理解しようという契機がそもそも奪われている。投げられた言葉をカテゴリー化してゲームでまた敵がでてきたときみたいに自分もパターン化した言葉と態度で撃ち抜いたり殴ったりする。それではいつまでも「それはそのままあなた自身のことではありませんか」という応酬になりそうで不毛だ。お互い傷つけあうようなやりとりはしないほうがよくないか?「普通に」考えれば。

相手に対して言葉を選んでいく余地を持つこと、それは普通の思いやりだと思う。今日も現実の人と言葉を交わしたり黙ったりする。

穏やかな1日でありますように。

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精神分析

浮遊

父と息子の物語として語られる精神分析、文学の世界を見ると現代は母と娘の物語の時代らしい。

私はなにかを誰かと誰かの物語にするのが好きではない。でも自分も「これは父と息子の物語であると同時に、母と息子との物語でもある」といったりする。いいながら「ふーん」と自分に冷めた目を向けなくもない。

誰かと誰かがいたら誰かがいたりいなかったりするだろうし、現在の精神分析が焦点をあてるとしたらこの「不在」のほうだろうし「出来事」のほうだろう。

私たちは親のない子供と出会うし、親になったその子供とも出会う。親と子供というカテゴリーは適切だろうか。

もうここにはいない誰かとの時間はそこにいたかもしれない誰かの時間でもあって物語れているようにみえたその人との出来事はたやすく別の出来事にとってかわられるようなものだった。

物語の数を増やすより出来事のなかにかき消された声を探す。意味ではなくまなざしを。固定するのではなく浮遊するがままに。 

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精神分析

下書き上書き

パンチのある言葉で笑いをとってしまうと後悔する。別に笑わせたかったわけではないから。

とこれ、いつかの下書き。今となっては何があってそんなことを思ったのかはわからない。そして今私は何かを書こうと思ってここにきたのだが今度はそっちを忘れてしまった。まあいっか。

私の仕事は「とりあえず」を作り出すことだな、ということもいつかの下書きに書いた。すごくたまってるんだ、ここの下書き。でも多分何日か何十日かたったら自然に消える設定のはずだからこうして下書きを上書き。なにをやってるんだか。

でも毎日ってそういうものかもしれないよ、とも思う。想起と忘却。痕跡を触発するものが現れるまでそれは形をとらないかもしれない。とる必要がないのかもしれない。その場合の主語が誰だかはわからないけれど。

誰かを好きになった。失いたくないと思った。そんなとき私たちの言葉は変わる。たとえその気持ちを隠していたとしても気持ちの強さが言葉を揺らす。いつのまにか機械みたいになってパターン的に思考や言葉を生み出していた心が動く。

またか、めんどくさい、もう二度と、あんなことは、でも、もし、とありきたりの言葉の組合せが変わるわけではない。痕跡というのはもっと違う、傷のようなものだ。手術痕のように手当されたあとのものではなく、それよりずっと以前のもはやたどることのできない記憶の彼方の。

気持ちが言葉を求める。相手の応答を求める。正答ではなく。傷がいまさら治りたがっているわけでもなかろうに。もう二度と隠すことのできない傷になるかもしれないというのに。

なにをやってるんだか。

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公園へ行った

埼京線に乗って大きな公園へ行った。今月2回目の埼京線。この前遊びに行ったばかりの友人が住む駅を通り過ぎたのでLINEした。その友人も時々行く公園だそうで今度ちびさんを連れて一緒に行こう、などやりとりした。

土地勘がないのでどっち口のバス乗り場かもわからず駅員さんに聞いた。駅員さんに「多分東口だけど運転手さんに聞いて」と言われて少しおかしかった。運転手さんに聞けるくらいまで行ければ多分大丈夫、行き先はわかってるんだ。さて、教えてもらったほうの階段を降りるとスタバはあるのに妙に殺風景で目の前のバス停に気づくのに時間がかかった。それにしてもスタバはどこにでもあるな。うちの実家の方にはないけど、多分。

ぼんやりバスを待っているといつのまにか後ろに数人並んでいた。最後尾で友人がニコニコしていた。手を振って先頭から後ろへいくとすっかり大きくなった息子さんが恥ずかしそうにしていた。彼が保育園の頃、とてもたくさん遊んでとても楽しかったというと友人も「すっごくたくさん遊んでくれてすっごく楽しそうだったんだよ」と笑った。私たちはあの日、大きな声とさまざまな表情で遊ぶ彼に大層驚いたのだ。そんな姿は親にとってもはじめてだったという。だから多分お互いいまだ記憶が鮮明で声も少し大きめになった。彼もそれを覚えているかのように私たちの言葉に何度も頷きはにかむように微笑んだ。変わらない、この印象。いい子だ。

バスを降りたら目の前かと思ったらそこはただの道路だった(大抵の場合そうなのだろう・・)。川と緑を目指せばなんとかなるだろう、と適当なことを言っていたら若い彼が携帯をみながら案内してくれた。川岸へ軽やかに駆け登る彼についていき「もうすでに疲れた」と言いながらも湿った草花が広がるのどかな景色に嬉しくなった。登り切ると目の前が一気に広がり「あそこだ」とわかる場所があった。別の友達がすでに設営をはじめていた。もう何年ぶりだかわからないが、子供たちに挨拶するなかで大体予測をつけた。まだ赤ちゃんだった女の子。生まれたとはきいていたがはじめて会う子はすでに3歳、ということは、など。いちいち「もう!?」という言葉が口をついた。

若い頃から子育て支援のNPOで何かと活動を共にしてきた。夏には20年近く、地域の子供会や自閉症児親の会と協力して大きなキャンプを開催し続けてきた。私は障害のある子どもたちの担当として参加していた。それにしても、というくらいキャンプの知識は何も身についていない。タープやテントを立て、火を起こす。私がしたのはキャンプ用の椅子を広げることくらいだが、3歳児は慣れた様子でペグを打ち込もうとしていた。まだ力が足りないがすでに形ができている・・・。かっこいい・・。私には一生身につかないことを彼らは普通にやっていくのだな。頼もしい。これからも私は安泰だ。よろしくね。

今日は保育園巡回の仕事だ。大分減らしたがこの仕事ももう長い。赤ちゃんから卒園するまで本当に多くの子どもたちを観察し、保育士さんたちと話してきた。

彼らがどんな大人になるかは想像もできない。でも信頼はできる。彼らが大人になって、いかに自分が無視をされ蔑まれなんとか生き延びてきたかを言葉にならない声で主張しなくてもすむように、彼らに時間と場所を優先的に準備していくこと、自分に対してより少しだけ優先的に。きっと今日もそれを具体的にする方法について話すことになるだろう。

今日は暑くなるそう。どうぞお大事に。

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精神分析

日記

知床の観光船、心配です。とっても寒いでしょうし。

知床には一度行きました。GWに。お願いしていたユースホステルのガイドさんがとてもよくて観光バスなどの渋滞にも巻き込まれず、知床の自然をゆったり満喫できました。スキーで移動する時期を強くお勧めされました。私はスキーは好きですが寒いのが本当に辛いので相槌をうつにとどめました。こんなのんきな思い出話ができるようにどうか無事でありますように。

今日は今年度最初のReading Freudでした。『フロイト全集4』に入っている『夢解釈』の第一章を途中まで読みました。1パラグラフずつ順番に音読し、区切りのいいところで私が解説を入れつつ議論しながら進めました。フロイトは膨大な先行研究をあっちとこっちに分けて後者の意見で自分の理論を基礎づけていく書き方だと思うのですがそれはいつもと変わらない気がしました。「いつも」とか書きましたが、私たちが昨年度読んでいたのは1905年の「あるヒステリー分析の断片」で、『夢解釈』の方が早いので「いつも」は変ですね。その頃すでにそうだった、と。

國分功一郎さんが動画で精神分析について話されているのをみました。問題意識がぶれないなあと思いました。が、しかし、転移の力をその恐ろしさを含め十分に理解していそうな國分さんにやや通俗的な説明をされてしまうのは複雑な気分になるな、毎回、と感じました。またお話できたら嬉しいなあ。

眠くてゴロゴロしていたら書類をかけませんでした。読書会は趣味なので楽しくできました。進捗もないが矛盾もない毎日、と一瞬思いましたが、矛盾がないなんてどの口が、って感じだな、と思いました。相手あることに対して葛藤を否認し自分だけ現状にのっぺりと馴染んでダラダラ過ごしているだけなのにそれを「矛盾なし」とはなにごとと。甘えと依存の問題はこういう一瞬一瞬の心持ちに現れるのかもしれません。愛すること、働くこととはよくいったものです。実際にフロイトがそう言ったかどうかはわからないそうですけれど。

とりあえず今はまともな姿勢で眠ることを心がけることにします。

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居場所

日記なる文学に興味を持って色々読んでいる最中、作家を主たる職業にしているわけではない方々の手作り日記を購入できるイベントへ行ってきた。外でのイベントは楽しい。日記の書き手とおしゃべりしながら数冊購入。この世界には本当にいろんな人がいて、いろんな仕事、いろんな恋愛、いろんな生活がある。なにかを体験するともついつもの感想だが本当に毎回驚くほどそう思う。

それにしてもだ。人はなぜ自分のこんなことあんなことを見知らぬ人に向けて語るのか。語りたいから語る、というのがシンプルな考え方のように思うけど、だとしたらなぜ語りたいの?私だってここでこうやって書いているわけだけどみなさんの日記にあるような個人的なあれこれを書きたい衝動にかられることはほぼない(ぶちまけたいことはたまにある)。

私はよくしゃべるほうだがそれよりももっと聞くほうだと思う。仕事がそうだからというだけでなく、私のしゃべりは私ひとりからは生まれない。日記を書いたり、小説を書いたり、俳句や川柳を作ったりする人たちはたぶん自分との対話がとてもとても上手なのだ。

自分のなかに知らない人物を作り上げて、その人物に性格や生命や物語を与えていく。誰もが目にしているはずの景色や仕草をさりげなく引き寄せその存在の確かさを知らせる。寝転んでも持っていられる言葉たちを反転し分解しポンと置いてたまたまそれを目にした人を驚かせる。自分のなかの言葉が豊かで見せ方も上手ということは見方も上手なのだろう。

彼らの中には自分以外の目も耳も色々ある。もともと備わっている。もちろんそれを発見して育てるのは他者である私たちにほかならない。これは運だな。うん。どっちの運がいいとか悪いとかの話では無論ない。

私はどうだろう。同じ曜日同じ時間に同じ人の話に耳を傾け様子を観察する。様々なことを考えてはいるが、うっすらと透明人間みたいに互いを侵食しあっているから「自由連想」とかいったところで互いに不自由、という事態にいる気がする。ところで透明人間になってずっと好きな人のそばにいられたとして、それって絶対自分の首をしめるというか苦しみって増えるよね、余談だけど。

患者さんが発する言葉はみんな違う。同じ言葉をしゃべっていてもまるで違う。きっと私といるときとそうでないときでも違う。伝えようとしても伝わらなかった、一生懸命言葉にしたのに無視された、ペラペラと喋れば喋るほどむなしくなった。

私がきく言葉たちはそういう言葉。公に向けた言葉ではない。

多分日記の書き手たちもそういう言葉をもっているだろう。伝わらない言葉、伝えようのない言葉、言葉なんて意味ないじゃないかとはねつけたくなるような言葉。

それでも公にむけて書くとしたらそれは患者さんが自分だけの場所を求めて私のところへくるように、彼らの言葉がそこを居場所として求めたからかもしれない。

私は読み手として、聞き手として彼らの居場所づくりをともにしているというわけだ。なるほど。「居場所」の話なんてこれまで数えきれないほどしているが、なんとなく書き始めた言葉から導き出されるそれはいつもとは少し違う気がした。

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大抵のことは

大抵のことはなんとかなるよ、大丈夫。とよくいう。テキトーと笑われたりしかめ面されたりする。

でも思う。

大抵のことは大抵の場合なんとかなる。なんとかしたいことがなにかにもよるけど。

と言い出すと「それ結局なんともなってなくない?」ってなるかもしれないけどこういうやりとりしてるだけでも相手の話きいて気持ち動かしてつっこみいれたりしてるわけですよ。

やりとりを誰かしらと続けるうちに時間は過ぎる。それに持ち堪えているうちに最初の問題は別の何かに変わってる。

この繰り返し。

だから大丈夫、とはいわない。でも時間の経過に身を委ねられた自分のことは信頼してもいいのでは?

いい悪いではなくて変化していくものとして今日も一日を(やり)過ごせますように。

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精神分析

地震

地震、びっくりしました。気持ちも身体も大きな変化ありませんでしょうか。

何月であっても地震がくると11年前の3月11日を思い出します。あの日の地震は神田小川町で体験しました。その日は週一回の専門学校勤務の日でした。もう何階か忘れてしまったけれど高い階にあったカウンセリングルームからエレベーターで下に降りて職員室でみんなといるときに大きな揺れがきました。その日だったか、地震の後、カウンセリングルームのドアをはじめて開けたら、掛け時計が落ちてガラスが飛び散っていました。それまでに被災地の映像をみていたにも関わらず、私は誰もいないその階で鍵を開けドアを開いたときのその光景に最もリアルな衝撃を受けた気がします。

今思うと地震直後は混乱してぼーっとしていたのかもしれません。表面上はみなさんと会話をしたりしていました。大きな揺れの最中に繋がった携帯もすぐに繋がらなくなりました。東北にご実家がある先生もおられました。いつの間にか玄関先のテレビに皆が少しずつ集まりはじめました。その黒いものが海水であると知るまでに時間がかかり、それが一気に大地を覆っていく様子を見つめていました。その日はたしか東京ドームホテルで卒業式があり、懇親会中だったか、終えたあとだったのか、両側に立ち並ぶビルが音を立てて揺れるなか無事に戻っていらした先生方が涙ながらに話すのをみてようやく我に返ったような気がします。

交通機関の復旧も目処がたちそうもないため歩いて帰りました。いつもスニーカーなのにその日はなぜかぺったんことはいえパンプスを履いていました。そして寒かった。神保町に立ち並ぶ古本屋さんの前を人の波にのまれるようにゆっくりと歩くしかなくただ寒かったけれど、途中途中の居酒屋には電気がつき、楽しそうな人の姿が見えて安心しました。新宿駅が真っ暗に封鎖されているのをみたのははじめてでしたがぼんやりと横目でみて通り過ぎただけだった気がします。少しずつ人がばらけ、電話もつながりはじめました。その間にも東北では被害がどんどん広がっていたことは間違いありません。でもやっと家に着いたときの私にはそれを想う余裕はあまりなかったような気がします。

多分こういうことを前にも書きました。地震がくるたびについ書いてしまうのだと思います。

だから後悔しないように、とは思いません。だってそんなことできない、多分。喪失の可能性に対して何をどう準備したりすればいいのか私にはわかりません。ただいずれ喪失は起こる、なんらかの形で、お互いに。その現実を否認しないことも大切でしょう。でも実際の喪失を前にしたら起きてもないことに対する注意など、とも思うのです。