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精神分析

フロイト読書会など

暑い!と言おうとして「うん?そうでもないか」となるような気温ですね、今日は。表示は30度だけど。あっつい紅茶を飲んでも汗をかきません。代謝の問題だったりして。今日は和菓子処かわはら「横浜銘菓 港の丘」とFIkaのとてもかわいいクッキー。たくさんあったかわはらのお菓子はこれでおしまい。ご馳走様でした。美味しかったです。Fikaのクッキーは箱もとても可愛くていただくととても嬉しい。クッキー好きさんへの贈り物にもはなまる。

昨晩はフロイト読書会のアドバイザーでした。やっぱり最初からしっかり読んでいくと概念の成り立ちの最初から追えるせいか以前読んでいたときよりも緻密だし修正もきく。立ち戻るポイントをいくつも持てるようになると理論を自分仕様に変えてしまう心配は減るから地道って大事よね。精神分析なんて毎日のように延々同じことをやり続けていてひどく不毛な一方でそれを不毛というにはあまりにいろんな作業を自分の見えない部分がしていて反復はただの物語では全くなくなりまさに今ここで治療者と患者が起こす出来事となる。言葉だけではとても表現できない、自分を超えている何かが自分を強く動かすことがあることをお互いに実感する。フロイトは多くの患者との臨床体験において目の前の患者に大きく心揺さぶられただろう。それは「大変だった」「びっくりした」「辛かった」というような感情体験ではなく自然の驚異みたいなもので届かなくとも自分もその一部として探究せざるを得ないことだったのではないか。本当に大きく揺さぶられることがなければここまでのことはできない。言葉でならなんだって言えるがその言葉が実感とどう結びついているかは非常に重要だろう。精神分析の設定もその揺さぶりに持ち堪えるためにある。環境の準備がないところでお互いの生身の感情が動くとしたらそれは暴走しやすいし破壊に繋がりやすい。思いがけないことはどうしても起きてしまうし自然破壊のように環境破壊を繰り返したりもするがなすすべなしにはしない。共存とは何かを考える。そんな感じ。

ビリー・ジョエルが来日するという。16年前の東京ドーム、行きました。アルバムもほとんど持っていたけど意識的にものすごいファンとかではなかった。それだけ聴いてたらファンなのでは、と自分でも思うが意識的にはハードロックバンドに夢中だった。みんな長生き、というのも変な表現だけどこの歳になると死は遠い世界の話ではない。コロナのせいもあるだろうけどまだ生きててくれてたんだ、と思うことは増えた。私のためにではなくても誰のためでもなくてもそう思う。誰かの死について考えようとしてもその人やその人の周りの生について考えるしかないのだけどなんだかいろんな気持ちになりますね。

今日は金曜日。どうぞお大事にお過ごしください。

作成者: aminooffice

臨床心理士/精神分析家候補生